にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第16日 高野山(和歌山県)~米原(滋賀県)
     下市 上市  太子 伊豆七条 水口


下市(奈良県下市町)

 
 16日朝は寺のお勤めで始まる。宿坊には私の他、男性が人、夫婦が一組泊まっていて、横に並んで正座している。彼らは観光というよりは参拝で訪れている本来の宿坊の客で、私のように集落町並みの取材の傍に興味本位でお勤めに参加しているのではない。日頃全く正座などしない私は、30分のお経が終わったとき真っ直ぐ立ち上がれずよろけて恥ずかしい思いをした。

宿坊密厳院はとても快適であった

【回想】橋本(和歌山県)の町並み

 高野山へ至る高野街道の中でも最も主要なルートと言えるのが橋本からの登山道だ。それでもかなりのワインディングと急坂、改めてすごいところに寺と街をこしらえたもんだと感心させられる。紀ノ川の平野部に下ると和歌山県九度山橋本、奈良県に入って五條という☆の多い町並みがある。これらに再訪したいがスルーし、吉野山の麓まで移動して下市上市の町並みを歩こうと思う。この二箇所は町並みWeb集団「いらかぐみ」でも絶賛されているので、かねてより是非訪れたいと思っていた。下市は渓谷の両側に形成された町で、深い渓谷の橋を渡ると目を引く建物が出てきた。欄干や化粧窓が見られる建物群。これは旧遊里に間違いなかろう。林業で栄えたからであろうか、渓谷を臨む景勝地に形成されたようだ。
 奈良県には旧遊郭が3カ所しかなかったという文献もあるが、実際のところはわからない。その代表的な3カ所とは、奈良市内の木辻町、大和郡山市の洞泉寺町東岡町と言われている。中でも東岡町は木造3階建てがたくさん建ち並んでいる旧遊郭としてはかなり評価が高かったが、近年解体が進んでおり空地が目立っているという。


下市の旧遊里と思われる町並み

 下市に行けば上市にも行きたくなる。上市は、近鉄吉野線の吉野口駅がある町で、旧市街は駅からずっと東に離れており、斜面の狭い土地に形成されている。かつては、吉野川の中州に材木の取引のために集落が創られたそうだが、度重なる洪水によって中州の浸食が進んだため、現在の河岸段丘上に移動したらしい。狭い緩斜面に重厚で質の高い建物が集まっている。奈良県というのは実に質の高い伝統的な町並みがたくさん残っている。私が思うにその理由は、伝統様式を大事にしようという気質が根底にあり、かつ伝統建築の技術を持った職人の数が多いからなのではなかろうか。新しい住宅でも伝統様式で造られている割合が多い。

上市の材木商で潤った町並み
 
 

【回想】五條(奈良県)の町並み

下市 秋野川の溪谷に面して崖家造りが見られる 

下市の町並み

上市の町並み

上市の町並み 山林王の邸宅

 さぁ忙しい、今度は大阪府だ。府内南東の端っこに残している集落を歩かないとならない。国道169号線は、奈良盆地と吉野を結ぶ動脈としてトンネルや道路拡幅整備が進んでいて走りやすい。橿原神宮の周辺で渋滞したが、国道166号にでるとバイパス化していて順調だ。南阪奈道路で竹内峠を超えて大阪府に入った。そこは、難波と飛鳥京とを結んだ日本最古の官道「竹内街道」の宿場町。聖徳太子ゆかりの地でもあり、その名も太子だ。竹内街道は奈良県側の竹内にも歴史的な町並みが残っており、いずれも道幅が狭くアップダウンと左右の曲がりによるシークエンスが楽しめる景観が良い。瓦屋根の中央部に急勾配の茅葺屋根を立ち上げた「大和棟」の民家が数棟残っていた。国登録有形文化財として公開されている旧山本家住宅はトタンカバーをせず草葺きが維持されていた。

大和棟の旧山本家住宅

 ここで大阪府の町並みに触れておこう。歴史的町並みとしては、寺内町である富田林をはじめ、紀伊街道の岸和田貝塚などに質の高いものがある。そして、大阪の都市部では、随所に今でも多くが残されている戦災を免れた長屋群と旧遊里の町並み(飛田今里松島などの新地)が独特の景観を見せている。関東で都市部の歴史的町並みといえば関東大震災(大正12年)後の洋風看板建築が主流となるが、震災のなかった大阪では洋風が加わるものの戦前まで伝統様式が正統に進化してきたことを感じる。なお、旧遊里に伝統様式が色濃く残されていることについては、別の機会に紹介したい。

【回想】大阪の戦災のない町


 再び奈良県に戻る。西名阪道を走り、大和郡山ICのすぐそばにある伊豆七条という集落に行く。奈良盆地には中世勢力を持っていた寺院のつくった環濠集落(稗田番条など)がいくつもあるが、伊豆七条も面影を残す一つ、、、と「図説日本の町並み」で紹介されていた集落であった。この文献も30年以上経っているので、今ではなんてことのない集落町並みになってしまっている場合が少なくないが、この町も残念ながらそうだった。環濠のあとがやや見られる程度で、環濠集落の特徴である長屋門が並んでいた。鉄筋コンクリートでつくられた長屋門があったことは新しい発見だ。

伊豆七条の鉄筋コンクリート造の長屋門



太子のシークエンスのある町並み

【回想】岸和田の旧紀伊街道の町並み 

【回想】大阪の旧遊里の町並み(飛田新地)

【回想】奈良盆地の環濠集落(大和郡山市稗田)

旧環濠集落伊豆七条の長屋門の町並み
 奈良盆地には先の解説のごとく質の高い町並みが多いので、極論するとどの町に入って行ってもはつく。☆がつくと取り上げなければならず、ページを作成する時間が限られているので溜まってしまう。それも困るし、奈良の「町並の沼」に足を踏み入れては「にっぽん集落町並み縦走紀行」は進まないので先を急ぐ。今日は最後に滋賀県を収めないといけない。滋賀県は琵琶湖を中心に置くドーナッツ状の形をしていて、見どころの町並みジャンルは大きく3つあげられる。街道系では、旧東海道(草津土山など)、旧中山道(高宮醒井など)、旧北国街道(長浜米原など)、近江商人の出た富で築かれた町では近江八幡日野五個荘など、琵琶湖水際系では湖の港町海津菅浦、珍しい淡水湖の島集落=沖島などである。その他、城下町彦根の歴史的町並み群も忘れてはならない。

【回想】城下町彦根の町並み

 滋賀県の町並みを回想しながら名阪国道を伊賀上野まで走り、そこから田園地帯を北上して旧東海道の宿場町である水口へ着いた。旧東海道はここから土山を経て鈴鹿峠を越えてゆく。水口はかつては城下町で、それを基盤に宿場町として整備された。宿場の入り口で紡錘状に道路が3本に別れ一方の入り口でまた1本に絞られるという珍しい形態の宿場町である。残念ながらその後の建て替えで戦前の町家はあまり残ってはいないが、江戸方面の街の端に面影が残っているエリアがあった。
 滋賀県には申し訳ないが先を急ぐため、水口だけで勘弁してもらおう。隣の三重県伊賀上野を通過されただけだし、愛知県に至ってはかすめもされないので、滋賀県はまだいい方である。かすめもしないのに町並みの紹介だけしてその県を済ませたことにするのはあまりにも失礼なので、また別の機会にじっくり取り上げることを約束してスルーさせていただこう。
 新名神高速ができて水口や信楽も便利になった。京都駅まで30分で着いてしまった。クルマを返却し新幹線に一駅だけ乗って、北陸道の起点である米原駅にて縦走紀行第16日の旅を終えた。

米原駅で旅を終える

 これで沖縄県最南端の波照間島からスタートした縦走紀行は、曲がりなりにも順調に近畿地方までを駆けぬけたことになる。2012/6/17までの足跡を下に示す。次回は、北陸から中部山岳エリアへと歩を進める。


【回想】旧東海道醒井宿
 

【回想】近江商人の街 五個荘金堂 

【回想】琵琶湖の港町 海津 

旧東海道 水口宿の町並み
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