さぁ忙しい、今度は大阪府だ。府内南東の端っこに残している集落を歩かないとならない。国道169号線は、奈良盆地と吉野を結ぶ動脈としてトンネルや道路拡幅整備が進んでいて走りやすい。橿原神宮の周辺で渋滞したが、国道166号にでるとバイパス化していて順調だ。南阪奈道路で竹内峠を超えて大阪府に入った。そこは、難波と飛鳥京とを結んだ日本最古の官道「竹内街道」の宿場町。聖徳太子ゆかりの地でもあり、その名も太子だ。竹内街道は奈良県側の竹内にも歴史的な町並みが残っており、いずれも道幅が狭くアップダウンと左右の曲がりによるシークエンスが楽しめる景観が良い。瓦屋根の中央部に急勾配の茅葺屋根を立ち上げた「大和棟」の民家が数棟残っていた。国登録有形文化財として公開されている旧山本家住宅はトタンカバーをせず草葺きが維持されていた。
大和棟の旧山本家住宅
ここで大阪府の町並みに触れておこう。歴史的町並みとしては、寺内町である富田林をはじめ、紀伊街道の岸和田、貝塚などに質の高いものがある。そして、大阪の都市部では、随所に今でも多くが残されている戦災を免れた長屋群と旧遊里の町並み(飛田、今里、松島などの新地)が独特の景観を見せている。関東で都市部の歴史的町並みといえば関東大震災(大正12年)後の洋風看板建築が主流となるが、震災のなかった大阪では洋風が加わるものの戦前まで伝統様式が正統に進化してきたことを感じる。なお、旧遊里に伝統様式が色濃く残されていることについては、別の機会に紹介したい。
【回想】大阪の戦災のない町
再び奈良県に戻る。西名阪道を走り、大和郡山ICのすぐそばにある伊豆七条という集落に行く。奈良盆地には中世勢力を持っていた寺院のつくった環濠集落(稗田、番条など)がいくつもあるが、伊豆七条も面影を残す一つ、、、と「図説日本の町並み」で紹介されていた集落であった。この文献も30年以上経っているので、今ではなんてことのない集落町並みになってしまっている場合が少なくないが、この町も残念ながらそうだった。環濠のあとがやや見られる程度で、環濠集落の特徴である長屋門が並んでいた。鉄筋コンクリートでつくられた長屋門があったことは新しい発見だ。
伊豆七条の鉄筋コンクリート造の長屋門
|