にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第15日 徳島(徳島県)~高野山(和歌山県)
     御坊 湯浅
  高野山
 


高野山(和歌山県)
 
 縦走紀行第14日では、私の悪い癖「気まぐれ」が出てしまった。第15~16日は、紀伊半島の和歌山県から奈良県大阪府を経て滋賀県にかけての行程。それなのに今晩は四国の徳島にいる。なので明日朝5:40発の南海フェリーで和歌山に渡らなければならない。そのために金曜日の夜京都でクルマを借り、高速道路を乗り継いで深夜徳島に入った。この町に単に泊まるだけではアホらしいので、名物のラーメンでも食べておこうと思う。徳島の歓楽街の端にある徳島ラーメンの「東大」で肉味玉入りと餃子を注文した。遅い時間でお腹が空いているからであろうか。今宵の宿は町の外れ国道55号線沿いのビジネスホテルだ。
 寝坊してはまずいと気になって4:00に目が覚めた。
雨が結構降っている。もう雨のスタートに違和感はない。港近くのホテルだったのでフェリーターミナルへは10分で着いた。ありがたいことにチケット売り場はドライブスルーになっているから雨に濡れることは無い。徳島港から和歌山港へのフェリーはどういう人が利用するのであろうか、早朝便にしては客がいる。雨だけではなく風も強いので、紀伊水道は波が高く船は揺れた。東京湾の金谷~久里浜程度のイメージを持っていたが、反して2時間も要した。和歌山は徳島よりやや北にあるから最短距離を渡るわけではない。

「東大」の徳島ラーメン全部入り

 縦走紀行第15日は、和歌山港から紀伊半島の西側を南へ走りまず御坊まで行く。御坊の町を歩いたのち、引き返して醤油の町湯浅を再訪、そこから山に入ってひたすら上り空海の開いた高野山へ至る。高野山は山上の都市。門前町の宿坊に泊まる予定である。
 和歌山市内を抜け、阪和自動車道〜湯浅御坊道路を経由して900御坊着。雨がひどいので歩く時間を最短にすべく、クルマで何度も流して町並みのポイントを絞り込んでおく。見所としては商店街の中町もそうだが、本願寺日高別院の東側を通っている旧熊野道の東町にいいのが残っている。クルマを銀行の駐車場に置いて町並みを北から攻める。冒頭、最初に丸窓やスナック看板の見られるあやしげな建物群を見つける。ピーン、ここはおそらく旧遊郭であろう。発見にウキウキして気をよくしながら、つぎの東町の町並みはどうか。銅板の壁の商店、虫籠窓や出格子、白壁など、いい町並みだ。何より屋根が本瓦葺きなのが町並み景観のランクを上げている。本願寺日高別院近くまできたところで、雨は相当強くなってきた。頻繁に雨宿りしながらではあるがズボンはびしょ濡れ、靴の中はグズグズである。カメラのレンズに水滴がすぐついてしまう。中町を南から急いで取材し、たまりかねてクルマの中に駆け込んだ。あー大変。町並みをマップによれば、もう一角にいい場所があったのに、豪雨で立ち寄るのを忘れてしまった。

湯浅 旧熊野道の辻

 湯浅は醤油発祥の町。1996年に訪れたことがあるが、一部しか歩いていなかったのとロクな写真が残っていないので再訪である。実は、2008年の年末に紀伊半島一週の旅をして湯浅を片付けるつもりだったが、白浜で高熱を出してしまい帰宅が余儀なくされ、湯浅をパスしたことがある(高熱紀行参照)。そんなこんなで、今回はダブルリベンジで望んでいる。湯浅の旧市街は、道路整備が全くなされておらず、以前歩いたとき感動した。クルマが通れない道、通れてもたやすくすれ違いのできない道、大部分がそんな道でできている町だからこれだけ古い民家が残っているのか。残っているから道が拡幅できないのか。いずれにしてもすごい。湯浅は2006年に重伝建地区に指定されたので、この空間は維持されるであろう。旧市街の中にはクルマを停める場所が全くないので、遠く湯浅駅に停めて長角醤油までをじっくり歩いた。雨は相変わらず時折狂ったように強くなった。

湯浅 太田久助吟製の前で雨宿り
 

 湯浅の北、有田川の河口にある高校野球で有名な有田市箕島の町をチェックしたが取材するほどではなかった。1980年私が高校2年生の時にわが母校(都立国立高校)が甲子園に出場して盛り上がったが、初戦で古豪箕島高校に当たりあっさり敗退した。その恨みもあったかもしれない。


岩屋商店街の町並み

徳島港フェリー乗り場

御坊の町並み ここは旧遊里かな

御坊 いい町並みなんだけど豪雨(泣)

湯浅 醤油醸造「角長」のあたり

湯浅の路地
 さて、いよいよ高野山に向かう。高野山はご存知、819年に弘法大師空海が修業の場として開いた日本仏教における聖地。寺院だけでなく門前町の都市そのものが全て山上にあるという。紀伊山地は「天界の村」でよく知られた山上集落のエリアであるが、都市レベルであるというのは興味深い。高野山へ向かう道は高野街道といって高野山を中心に四方八方へ延びている。その一本、有田からの街道を行く。次第に谷は狭まり起伏が険しくなってゆく。そして山の上部斜面にへばりつく集落が現れた。紀伊山地の「天界の村」だ。そこを超えてまだまだ高度を上げて行く。本当にこの先に都市があるのだろうか。

山を上りきると高野山の大門が現れた

 上り切ると真っ赤な山門が現れた。そしてそこから高野山の家並みが始まった。寺院もいくつも現れ、道路が折れて広場のようになったところに総本山金剛峰寺
が構えている。向かいには高野山大学の正門もある。町はさらに続いて、町家形式の商店と寺院が並び、一の橋近くに今宵の宿密厳院があった。お寺であるが宿坊でもある。建物は旅館として見てもなかなかなもので、2室を独り占めした。荷物を置いて町歩きに出かける。今、クルマを流してきた通りを歩き赤い大門まで。寺院の町は、全体が寺の境内のようにきれいに手入れがされていて気持ちが良い。イギリスオクスフォードの街をやはり雨の中を歩いたことがあるか、緑が多く教会や大学もあって何となく雰囲気が似ている気がした。日が暮れて宿に戻り、まず風呂につかり、そして広い部屋の真ん中で御膳形式での夕食をいただいた。もちろん、高野豆腐もあった。外は相も変わらず雨がシャーっと降っている。

宿坊密厳院にてお膳で夕食

高野山への道 紀伊山地の「天界の村」が現れた

高野山の町並み

高野山の町並み
 
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