彦根 天守閣と町割と町家が残る近世城下町

滋賀県
彦根市
城町1,2
本町2



交通

JR東海道本線彦根駅下車


国道8号線
県道2号線



城町1,2
本町1
関ヶ原の戦いと佐和山城の墜落後、1601年井伊直政が佐和山に封ぜられ、直継が彦根山に彦根城を築いた。彦根の城下町は、築城と同時期に町割が造成され、芹川本流河道の付替えや自然地形を利用した堀の掘削などの大規模な土木工事により、元和8年(1622)頃ほぼ完成した。当時の城下町は、内濠、中濠、外濠により4郭に区分されていた。第1郭には天守を中心とした城郭施設。第2郭は内曲輪と二の丸に分けられ、重臣屋敷や藩主の下屋敷があった。第3郭には京橋口に面する本町を中心に広がる町人町と、それを取り囲むように広がる武家屋敷街。第4郭は、南部の外濠と芹川との間に足軽衆の屋敷、東部には町人と武士・足軽が一定の区画をもって混在していた。
道路は、外的の侵入に際して、城下、城濠の遠見や見透かしを妨げ、弓矢銃弾の射通しを避けて防御をするため、ほとんどの街が屈折(とんつき)し、あるいは斜交しており、今もなおその面影を残している。
四十九町の本卯建の町家
下魚屋町は魚屋が集中的に居住していた町である。
旧広田家は代表的な魚問屋で屋号を「納屋七」といっていた。安政7年(1778年)の建築で、軒の出桁や軒裏などを漆喰で塗り籠めており、湖東地方の町家形態の典型を示す。

下魚屋町の本卯建をあげる町家(左)
耐震補強のためバットレスを施した民家もある(右)
下魚屋町から中魚屋町の町並みを見る。

右手手間の商店の看板「粉白トーレ」?
いや「レート白粉」が超レトロな一品。

中魚屋町の町並み
各住戸が連続する長屋形式の民家。
職人町の町並み
城下町の町割りと町並みが色濃く残っている。
上魚屋町の町並み
(写真:神奈川県hiromuさん)
京橋通りは「夢京橋キャッスルロード」として整備された。町並みは伝統様式で建てられた新しいものだが、本物がたくさん残っている街並みの中で違和感のない修景方法であると思う。
紺屋町・白壁町界隈

俳遊館

大正13年(1924)建築の旧信用金庫。
参考資料 リンク
彦根市


参考文献
『日本の町並みT 近畿・東海・北陸』 西村幸夫監修 平凡社