草津 中山道の始終点 大本陣の残る東海道の宿場町

滋賀県
草津市
草津1,2
渋川1



JR東海道本線(琵琶湖線)草津駅下車


国道1号線



大津宿から近江八景のひとつ「瀬田の唐橋」(瀬田川)を渡ると旧道は右へ左へくねくね辿ることになる。野田の一里塚で現在の東海道国道1号線を横切れば草津宿である。旧東海道はこの草津宿から一路鈴鹿峠へと向かうが、この宿から分岐する中山道はしばらく琵琶湖湖畔の平野部を経て関ヶ原へと向かう。2大街道の分岐点ということもあり、江戸時代は本陣2、脇本陣2、旅館70という大規模な宿場町であった。
JR草津駅を降り、駅前通りを歩いて「どこが中山道?」と探してしまうが、すぐに交わるアーケード商店街が旧中山道。商店街を南下していくとアーケードが終わる場所に立体交差のトンネルがある。上を車か鉄道が通っているのだろうと思うが、驚くことに「川」、いわゆる天井川の草津川である。トンネルを抜けた場所が旧東海道と中山道の分岐点で道標が立っており、東海道の草津宿となる。
分岐点近くには大きな古い家が残っているが、これが田中七左衛門本陣(国指定史跡)。現存する本陣の中でも最大級を誇っている。
古い町並みは、本陣近辺と草津川の土手下を並行する旧東海道沿い、アーケード商店街の追分と反対側(江戸方向)にあたる旧中山道沿い(渋川町)に見られる。

本陣に展示してあった江戸五街道の地図。こうして見ると東海道と中山道は距離的にたいした差がなく見える。東海道は川渡りに苦心し、中山道は峠越えが大変。旅人は草津宿でどっちで行こうか迷ったのだろう。
ここが追分。右は鈴鹿峠へ向かう東海道、左は草津川を渡って関ヶ原へ向かう中山道。昔はトンネルがなく草津川の上を渡るので、それだけで東海道を選んだ旅人もいただろう。
分岐点は、明治期にはアーケード商店街の中、覚善寺前に移動した。
田中七左衛門本陣。全国に「本陣跡」は多いが「本陣の建物」が残っている場所は少ない。その中でも最大級で、建物と敷地全体が当時の面影を今に伝えている。
昭和15年頃の本陣。
左の白壁沿いは川だった。どうりでくねくねした道だと思った。
ここまで旅籠が大きくなると台所土間もたくさん必要になる。表から中庭に向かって抜ける大きな台所土間が客ゾーンと居住ゾーンを分けている。
追分から草津川の土手沿いに旧東海道の町並みが続く。
旧東海道の町並み。
店先に壁付き折りたたみ式の腰掛(呼び名忘れた)があった。街道らしさを感じる。
旧東海道沿いの洋風医院建築。装飾は簡単な部類のものだが、屋根の斜めラインが見えない建築はひときわ異彩を放っていたであろう。
これが天井川なる草津川。明らかに町より高い、不思議な関係である。
細い天井川は見たことあったがこれほどでっかい天井川は初めて見た。しかも水無し。大雨のときどうなってるのか見てみたい。
渋川1丁目の旧中山道の町並み。
この先(江戸方向)で、旧中山道はJRの鉄道敷に斜めに分断されている。
参考資料 リンク
草津市

参考文献