今里新地 戦災のない大阪 昭和初期に誕生した二業地

大阪府
大阪市
生野区




交通
近鉄大阪線今里駅下車徒歩








2008.03.06
2009.03.20
大阪の近代の花街は、明治初年の再編に伴う松島の創設のほか変化はなかった。そして南北の大火をきっかけに北新地や難波新地では廃娼が断行された。しかし、大正末期、新しい遊郭として飛田新地が開設される。その後、大阪近郊では土地建物会社の地所に「芸妓居住指定地」(二業地)の設置が進む。この時誕生した花街は、「南陽新地」「飛田新地」「今里新地」「港新地」「住吉新地」などである。その一つ今里新地は、昭和4年に認可され、6間、5間、4間、3間と四通りの道路で町割りを行い、中央部に公園が配された。「芸妓置屋居住指定地」とは、「特殊料理屋」の営業が許可された場所で、娼妓は存在せず芸妓置屋と料理屋から構成されたいわば二業地である。
街の入口には「今里新地」というネオンのゲートで迎え入れる。一軒一軒の間口が等しく、交差点にはきちっとした角切がなされていて計画された都市であることがわかる。今里新地は、JR環状線の東側であったことが功を奏し西側半分が太平洋戦争時の被災を受けていないため、かなりの戦前建築が残っている。同時期に同じ大きさの敷地に建てられた建物はそれぞれが似通っており、昭和初期の和風の町並みである。各々の建物には大きすぎるのではないかと思われる屋号の書かれた内照式の看板が突き出しており、これもまた似通っている。今里周辺は日本一のコリアンタウンとしても知られている。
街の入口にある「今里新地」と書かれたネオン式のゲート。
新今里東部の町並み
大きな屋号の書かれた看板を掲げた店

今里新地は昭和4年に区画整理された街で、各々の敷地間口が等しく、同時期に建てられたこともあって大変似通った建物が並ぶ。
今里新地は韓国人街でもある。韓国料理屋がたくさんある。
今里新地では珍しいモルタル吹付けのカフェー調建築。
新今里5丁目南部の町並み
小さな交差点は角切が小さいので、交差点に面する部分は窓がなく屋根には小さな妻をあげているものが多い。
新今里3丁目の町並み
新今里2丁目の町並み
ここは今里新地内ではないが、料亭らしき建物が並んでいた。
参考資料 リンク
大阪市

参考文献
『花街 異空間の都市史』(加藤政洋 朝日新聞社)