伊那八幡(長野県)
|
昨日の反省から第21日の計画を立て直す。最後の富士五湖は標高1000mにあるため、気温が上昇する前に上りきらなければならない。上ってしまえば気温は低いのでオーバーヒートの恐れはない。じゃどこから上るか。山梨県側だと甲府盆地から上っていくことになるが、この道は勾配がきついので心配である。一方、静岡側は富士宮市から富士山の裾野を徐々に上っていくのでリスクは少ない。ならば静岡側で決まりじゃないかと思われるが、問題は飯田から遠州にどうやって出るかである。飯田から豊橋、あるいは浜松へはすべて山越えとなる。昨日撤退したのもその一つのルートだった。気温上昇の始まる昼前に富士山の裾野を上りきらねばならないが、朝の気温が低い状況であれば山越えも可能と思われる。
第21日は、飯田のホテルを5:30amに出発した。飯田の町は過去に何度も来ている。その都度町並みを探るが見つけられずにスルーしてきた。今回こそはと昨日夕方探索したけれど、今の目をしてもやはりモノはなかった。飯田市街は昭和22年に大火があり大掛かりな復興都市計画整備がなされたそうで、伝統的な町並みは残っていない。その代わりと言ってはなんだが、飯田市街を天竜川方面へ下りすぐの場所にある伊那八幡を歩くことにする。昨日、水温計とにらめっこしながら何度も通過しいい町並みがあることをチェックしていた。ここは鳩ヶ峰八幡宮の門前町であるとともに遠州街道から秋葉街道を分岐する宿場町でもある。これが大したもので本卯建あり海鼠壁あり、短いけど質の高い町並みである。旧道と平行した国道151号線も戦前に整備された道路だそうで、こちらは看板建築系の昭和の町並みが見られ面白い。
左 秋葉道 と書かれた道標
まだ6:30am。早朝の収穫に気を良くして、時間を気にしながら遠州街道を南下しつつも適度に町歩きをはさもうと思う。長野県南端エリアは未踏地だらけだからつい欲張ってしまう。阿南町に入り早稲田を過ぎると人里が無くなった。国道151号線は一気に高度を上げていく。でもまだ気温が低いから大丈夫。標高800mの阿南町新野は高原上の農村で田園が広がっている。そこに宿場町の町並みが残っている。切妻平入り、入母屋妻入りが混じっているものの1階2階の軒線が連続していて整っている。街道から一歩入った場所に料亭建築も残っていたので、かつてはそれなりに賑わっていたのであろう。この新野には無形文化財の盆踊りがある。阿南町は隔絶性の高い地域なので他にも民俗学的に貴重な無形文化財が残っている。
|
伊那八幡の町並み 本卯建の建物が見られる |
伊那八幡 国道151号線の町並み |
阿南新野の町並み 遠州街道の宿場町だった |
阿南新野の町並み 料亭建築もあるほど賑わっていた |
新野を歩き終わって8:00am。さてどのルートで遠州にでようか。安全を見て昼前に富士山麓に上りたいのであれば、国道151号線を経由して素直に豊橋へ出ようではないか。でも、縦走紀行と言いながら愛知県、静岡県の集落町並みを完全スルーするのは旅の趣旨からいって望ましくない。豊橋に出るのではなく、静岡県佐久間に出て天竜川に沿って浜北まで南下し、完成したばかりの新東名高速で東へ進めば静岡県佐久間を入れられる。人間というのは物事をいいようにいいように解釈するものである。今日は曇り、まだ気温は低い、佐久間からは下り一方、10時ころまでに佐久間を仕留められれば何とかなると、私はこのルートを選択した。もし失敗したら、、、谷底の村に日没まで足止めを食うかもしれないのに。
カーナビを佐久間にセットする。この地域は天竜川流域の丘陵性山間地の過疎地帯、太い整備された幹線道など無く全て山越えのワインディングだ。頑張っていくつも山越えをして愛知県豊根村のみどり湖(ダム湖)に下った。もう一山越えれば佐久間だというところで、道路が通行止めになった。なんたるこっちゃ!今走ってきた道を戻り、途中から大きく迂回しなければならない。しかもここで新たな問題が発生した、、、ガソリンが足りない。もう一回ミスすればガス欠になってしまう恐れがある。そうすれば気温も何も関係なく万訪号は動けなくなってしまう。みどり湖の縁の道路をできるだけアクセル踏まないようにして走る。かなり心細いぞ。が、やった!豊根村の中心市街に出られた。安心して町を見るといいではないか。下黒川は豊根村の中心である。おそらく宿場町であろうが確証がない。そして、村のガソリンスタンドへと思ったら今日は休業だ。トホホ、国道151号線別所街道は下りが多いのでニュートラルを多用しガソリンを節約して走る。東栄町中設楽でやっと給油、これでガス欠は免れた。そしてやっと佐久間(静岡県)に抜けられた。ホッ。
佐久間は、1988年に天界の村を信州から九州まで走る旅をしたときにも通過しており良い町並みを確認していた。先月、会社の仲間とドライブにきた時も確認しつつ歩けないでいた。そんなこともあって、なんとしてもこの縦走紀行に含めたかったのである。JR飯田線中部天竜駅のある中部地区と佐久間駅のある佐久間地区を歩く。佐久間地区はまさに天界の村の中の町場という風情がある。森林資源に恵まれた土地であることから外装の木比率が高い。歩き終えた時点で10:30am。ようやく暑くなってきやがった。急いで天竜川を下り、高速にのって富士宮を目指そう。
佐久間の町並み(静岡県)
ここで、新東名を走りながら愛知県、静岡県の町並みを紹介しておこう。愛知県では、まず東海道の宿場町があげられる。東海道といえば今でいう東海道新幹線みたいなもので大動脈だったから、町並みの質もかなりのものであった。その面影を感じたければ、御油、赤坂、有松、鳴海を歩くといい。知多半島は板壁系の優れたものが多く、岡田、大野、常滑、野間、豊浜、豊丘を挙げる。その他、濃尾平野の町で犬山、津島、稲葉、戦災復興計画の町として有名な名古屋市内の中にあって戦災を受けなかった白壁、四間道、中村大門などを指摘しておこう。静岡県ではまず、伊豆半島の海鼠壁系の民家集落を挙げたい(松崎、下田)。そして、大動脈東海道の宿場町から由比、蒲原、花沢、宇津ノ谷、丸子、島田、白須賀など。天竜川流域の天界の村(平山、大野)、今日再訪したかったけどいけなかった森町。
【回想】松崎(静岡県) |
豊根村下黒川の町並み(愛知県) |
豊根村下黒川の町並み(愛知県) |
旧佐久間町中部の町並み(静岡県) |
旧佐久間町佐久間の町並み(静岡県) |
【回想】岡田(愛知県) |
【回想】有松(愛知県) |
【回想】花沢(静岡県) |
万訪号は登坂であっても高速道路でスピードが出ていればラジエター風を受け冷やされるので大丈夫である。しかし、ノロノロ運転になったらヤバイ。渋滞にならないことを祈って新東名を東へ走る。本当は森町(静岡県)を再訪したかったのだけれど、もうこれ以上リスクはとれない。富士宮IC11:30am。ここからの国道139号線は緩やかだけどひたすら登坂が続く。ラッキーなことに空は厚い雲に覆われていて日射を遮ってくれている。そして、12:30pm無事に本栖湖に到達した。ここは標高1000m、もうオーバーヒートの心配はいらない。
朝霧高原(静岡県)
本栖湖は富士五湖の一つで最も深いことで知られる。湖畔にある本栖は、文献で兜造りの茅葺屋根集落として紹介されてた。しかし今まで何度も訪れては「無いな」でスルーしてきたから、データベースのリストに残ってしまっている。だから縦走紀行で来ざるを得なかったのだ。歩いてみたが、やっぱりもう何も無い。観光地だしさすがに無いでしょう。石垣に富士山の溶岩が使われているくらいか。これでは本栖がリストから削除されてしまう。近くにいい集落があれば抱き合わせで残してもいい。ということで、鳴沢集落に立ち寄ったらまだ兜造り屋根が何棟か見られた。よーし、これを取材して本栖とくっつけてしまおう。
河口湖町にある甲州ほうとう小作で遅いランチ。小作は山梨県内にあるほうとうチェーンで、こっちへ来ると必ずどこかの店で食べてから帰ることにしている。2:00pmだというのに満席だった。中央道河口湖ICの道路情報で小仏トンネル(神奈川県東京都県境)を先頭に渋滞25kmと出ている。高速道登坂でのノロノロは水温が100℃になってもすぐに停められないから一般道しかない。山中湖から道志村を通って東京へ向かうことにした。山伏峠を越えるとずっと下りが多い国道413号線。若いころのドライビングコースで十八番(おはこ)の道。道志村を通り、途中から分岐する相模湖への道でスイスイ相模湖ICまで辿りついた。高速道に乗っても小仏トンネル前の登坂で渋滞してるから、国道20号線で大垂水峠を越えるしかない。甲州街道小原宿を通過して、いよいよ大垂水峠の登坂。ここで何たることか、前の車が超安全運転の時速30kmで走りやがる。ラジエターは冷やせないので水温は上昇を開始。大垂水峠の標識の下で水温は95℃だった。ギリギリセーフ!
高尾ICからはもう渋滞はないので高速に乗って、無事首都高速へ、縦走紀行第21日の最終地「新宿」を通過することができた。フー、これにて~、一件落着!
首都高 新宿あたり |
本栖湖(山梨県) |
本栖(山梨県) |
鳴沢(山梨県) |
【回想】小原(神奈川県) |
|