下田 上方江戸航路の港町として栄えた海鼠壁の町並み

静岡県
下田市
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2007.05.27
下田は伊豆半島の東南端に位置し、東海道から小田原・三嶋から分岐する下田街道の終点に位置している。大阪と江戸を結ぶ航路の中継港として、江戸時代より重要な役割を果たしてきた港町である。江戸幕府は下田に奉行所を置いて直轄領とし、さらに船改番所を置いていた。下田の名前が歴史の教科書にも載るほど有名な出来事は安政元年(1854年)の黒船に乗ったペリー艦隊の来航である。安政3年に下田にはアメリカ領事館が置かれたが、安政5年の日米修好通商条約の締結の後閉鎖された。
下田の町並みの特徴は、なんと言っても海鼠壁で覆われた民家である。昨今、数が減ってはいるものの、江戸末期から明治大正昭和初期にかけて建てられた海鼠壁と伊豆石の民家がまだまだ多く残されている。海鼠壁は下田や松崎を中心とした南伊豆地方に多く見られ、防火、防湿のために土壁に瓦を貼り、その継ぎ目を漆喰で盛り上げて固めた土蔵造りの一種で、漆喰が海鼠に似ているところからそう呼ばれるようになった。町並みの見所は、河岸通りの一本裏側通り運河を挟んだペリーロード周辺である。
南豆製氷所
大正12年の建築
下田市1丁目
加田家住宅
明治末期から大正初期と思われる。
下田市1丁目
船田家住宅
安政の大地震(1854年)直後に建てられたといわれる。
石原家住宅
明治初期の建築
下田市1丁目
雑中家住宅
文政元年(1818年)
雑中家住宅
文政元年(1818年)
下田市1丁目
雑中家住宅
土蔵に貼られた伊豆まだら石
栗田家住宅
明治時代
下田市1丁目
臼井家住宅
明治20年頃
下田市1丁目
松本旅館
江戸時代末期
下田市1丁目
安直桜
江戸時代末期(左)
下田市2丁目

丸宮家住宅
毎時時代(左下)
下田市2丁目

澤村家住宅
大正時代(左)  下田市3丁目

草画房
大正3年(上) 下田市3丁目
ペリーロード沿いの町並み
左手手前が草画房(大正3年)(上)
下田市3丁目

土佐屋
安政元年(1854年)(左)
下田市3丁目

風待ち
明治42年(左下)
下田市3丁目

ペリーロード周辺はかつての遊廓街(上)
下田市3丁目

平野屋
江戸時代中期
下田市2丁目
参考資料 リンク
下田市

参考文献