犬山 天守閣と城下町の町割が残る商人の町並み

愛知県
犬山市
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交通

名鉄犬山線犬山駅下車





犬山




2005.06.23
犬山城の城郭は、成瀬家五代城主政泰の元文年間(1736〜41年)頃までに下記の絵図のような状況に整備されていた。その後、天保13年(1842年)の火災により櫓や門などを焼失したが、直後に再建され、明治初年(1868年)の廃城に至るまで、おおむね絵図のようであった。
犬山城が城下町としてそのかたちを整え始めたのは、江戸時代に尾張徳川家付家老であった成瀬家が犬山城主となった頃からである。南北に渡る直線的な道路と、それらと交差する東西にわたる道路を骨格にしたほぼ長方形の町で、町全体を土居や堀で取り囲む城塞都市として整備された。町の中央部には町人地が置かれ武家地がそれを取り巻くように配置されたことが、犬山の城下町の特徴の一つである。重要な道路には、「枡構えの木戸」と呼ぶ鈎型に曲がる木戸が造られ外敵から城下町を守る工夫がなされていた。現在もその木戸跡から旧城下町の範囲を知ることが出来る。
金坂本通りの町並み(左)
城下町の外(東側)に延びた町。

奥村家住宅(登録有形文化財)(下)
金坂本通りに面する商家。天保13年(1842年)の大火の後に建てられた犬山の豪商の建物。明治期に大規模な修復を受けている。
金坂本通りの町並み
金坂本通りの町並み
旧城下町の東端にあたる桝形が残っている。
新町付近の町並み
寛永12年(1635年)の城下町大火の後、防災上の理由などにより、魚屋町筋が練屋町通りで止まっていたのを、本町まで新町を開き、それに伴って新しい町内が形成された。
練屋町の町並み
荵苳酒醸造元・和泉屋。荵苳酒は、江戸時代から門外不出の製造法による犬山の酒として知られる。建物は年代不詳、半分は明治28年の濃尾地震で破壊され再建されているという。
新町の町並み
米清旧宅は、江戸時代末期から明治・大正にかけて活躍した犬山商人の屋敷跡。明治22年に建てられたと伝えられており、濃尾地震で崩壊、修復されている。

新町より本町通りを見る。(左)
交差点に面するタバコ屋。(上)
本町通り、上本町の町並み。
札の辻付近。
北方正面に犬山城がそびえる。
本町通り、中本町。南を見る。(左)

中本町の町家たち。(下)

中本町の町並み。

高木家(中本町)(左)
昭和10年頃まで酒造業を営んでいた家で、大正初年の建築という。
中本町の町家。
下本町の町並み。
本町通りは駅前通との交差点から南側が再開発されている。道路が拡幅され、町並みの統一感を意識して建てられた戦後の建物。このような町並みは他にも見られ、一時期に全国的に流行ったようだ。
群馬県大田長野県岩村田など)
参考資料 リンク
犬山市

参考文献
『日本の町並みT 近畿・東海・北陸』 西村幸夫監修 平凡社