にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第4日 屋久島(鹿児島県)福岡(福岡県)
    志布志  東桜島

 


志布志 大隅半島はシラス台地である。砂岩を使った石垣や石蔵が見られる。
 
 2012年2月19日屋久島空港の待合所。9:50発鹿児島空港行きの日本エアコミューター機は、鹿児島からの朝一番の便が折り返す。その便が無事着陸できたからもう欠航はない。これでリスキーな離島の旅は予定通りに消化できたことになる。ほっとして飛行場の滑走路の先の洋上を眺めると、平べったい島が見えた。種子島である。地図を見ると、屋久島と種子島は対をなしている。本来であれば屋久島を終えた後、種子島に渡って歩くべきであろうが、今回は最重要未探訪地を縦走することが目的であり、そのリストに挙がっていない種子島なんぞで時間を費やしてはいられないのである。私も事前の計画で何とか種子島を組み込もうと試みたが、どうしても不便な志布志が邪魔をして私を種子島に行かせてくれない。たとえ未練があっても寄り道は言語道断、バッサリ切り捨てて先へ進まないとこの旅は全うできない。種子島には申し訳ないが、再び屋久島に世界自然遺産見物に来た時にでも、一緒に歩くかもしれないからその時まで待っていてほしい。種子島がふてくされてあっちを向いて寝ているように思えてきた。

 飛行機は順調に海を渡り、大隅半島上空に差し掛かった。昨日、東京から飛んできた時と同じ着陸ルート。シラス台地がお盆のように見え、桜島が噴煙を上げている。後でこの辺りをクルマで走ることになる。鹿児島空港10:30着。空港前のレンタカー営業所からクルマをドライブする。九州道→東九州道を快調に走る。天気も上々。悪天候の島とは違って、気持ちよく高速道路を飛ばしながら、「やっぱ本土は違うなぁ」と思った。自動車道の終点曽於弥五郎ICから一般道をちんたら走り、空港から志布志まで1時間半かかってしまった。予定より大幅に遅れている。


大隅半島の農村 シラス台地上はお盆のように平
 

 第4日は、移動だけでお昼になってしまった。スマホで地元のグルメスポットを検索する。市役所の近くに「マルチョンラーメン」というのがあり、人気があるというので行ってみた。駐車場は満車、行列のできるラーメン屋。うーむ、ところが実にうまい。トンコツ王国である九州にありながらトンコツではなく、塩だれあっさり、だけど濃いめ。つきあわせの沢庵がまた絶妙に合う。この店、東京にあったら間違いなく流行るだろう。

 志布志市役所の前に面白い看板を発見。「志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所」、まぁ何回「し」って言ったであろう。江戸時代、旧薩摩藩に属していた志布志は、日向国に接する場所にあることから夏井関と八郎ヶ関の二ヶ所の関所が設けられ、志布志湾に注ぐ前川河口を港として津口番所も設置された。貿易港として、町家が千軒並んでいたといわれるほどに栄えていたという。現在でもその名残からか、東京や大阪からのフェリーが港に着く。


志布志 オール擬石の見事な洋風病院建築があった

 町人町の一番北側の通りを東へ向かって歩く。商店や寺院があり、やがて立派な洋風の病院建築が現れた。オール擬石の手の込んだ建物である。昭和初期であろうが、この時代のこの町の繁栄ぶりを物語っている。この病院建築のすぐ近くにももう一棟、洋風病院建築があった。通りはかつての港であった前川河口付近で北に向かって折れ、石蔵や商店、ビルのような建物もあって一時期に賑わいを見せた面影を残している。そしてさらに北へ進むと、石垣石塀が連なるかつての武家屋敷町となる。しかし、家屋の方はあまり残ってはいないようだ。
 再び、町人町の方へ戻り、津口番所のあった場所から街の主軸だった通りを西へ歩いていく。残念ながら古い町並みと呼べるものではなかったが、一棟だけ立派な漆喰塗籠造りの商家が残っていた。この造り、北九州の古い町並みでよく登場する「居蔵造り」という奴であろうか。入母屋塗籠造りの妻入りで1階部分の庇が焦点の大きな間口を表現している。居蔵造りは福岡県の平野部を中心に北部九州で良く見られる代表的な様式だが(木屋瀬吉井八女福島など)、熊本県の南部から鹿児島県南部にかけてはパッタリと姿を消す。いままで熊本県南部佐敷より南では見かけていなかったので、おそらく志布志が最南端であろう。


町人町に残る唯一の古い商家 九州らしい漆喰塗籠造り
 

 街の西部には日南線志布志駅があり、駅前に銀座街という夜の飲み屋街が形成されていた。これらが、志布志の中心市街地の全貌であろう。相当じっくり広範囲を歩いて☆2つ、頑張ってやってきた割には町並み度は薄かった。

 志布志を後にし、西へ走る。6時までに錦江湾を渡って鹿児島中央駅にたどり着かなければならない。予定より時間がおしており、道路の交通量も多くたらたらしか走れないため、やや焦る。途中の鹿屋、垂水に、もしかしたらいい町並みがあるかもしれないと探索の時間を用意していたのであるが、クルマで軽く流しただけで「無し!」と判断し、先を急いでしまう。こういう時に得てして町並みを発見できずやり過ごしがちになる。後で、いい街があったことを知り「しまったー!」と後悔するパターンもあるが、こうしてまた来る機会を残しておくことも大切なことなのである。我ながらずいぶん大人になったものだと感心する。

大隅半島から桜島へ

 しかし、どんどん進んでしまって、逆に予定に追いつき追い越してしまった。このままあっさりと鹿児島中央駅に行ってしまうのはさすがにもったいない。垂水を過ぎ、目の前に桜島がドーンと構えている。これから、桜島の南側の裾野を走って、桜島港からフェリーで鹿児島港へ渡る予定である。大正時代の大噴火で大隅半島と地続きになった桜島の溶岩道路を走る。冬季の桜島の灰は北西の風に乗ってまさにこっち方向へ飛んできており、道路には火山灰が積もっていて
前の車が灰を巻き上げていくのが良く見える。


冬季に灰が降り積もりやすい位置にある有村町の集落

 溶岩道路を過ぎたところに集落が現れた。そうか、桜島は活火山なのに足元に集落があるんだ。有名な桜島大根などの栽培で生計を立てているのであろうが、それにしてもものすごい量の火山灰を四六時中浴びながら暮らすのである。有村町集落の灰をかぶったグレーな姿に言葉を失ってしまった。その近くの古里温泉も有名な温泉地だが、灰まみれ。そして、島の南東側にある東桜島町でいい集落を見つけ、歩くことにした。有村町よりやや山から離れているせいか、有村町ほどではないがやはり灰をかぶっている。石垣は溶岩、石蔵の石は大隅半島の砂岩のようだった。ここでもいい集落を発見し、取材することができた。しかし、本当に大変な場所に住まわれているものだと感心する。


桜島フェリーから桜島を臨む

 桜島港からフェリーに乗る。インターチェンジの料金所から高速道路に乗るみたいな感覚で、すんなりと船の中に乗り込める。甲板に上って桜島に別れを告げた。鹿児島市内を通り抜けて鹿児島中央駅の近くでクルマを返却した。これから18:32発の九州新幹線に乗る。九州新幹線は、数年前に新水俣~鹿児島間を乗ったことがあるが、全通してからは初めてである。鹿児島中央駅で「新大阪行」の表示を見るのは新鮮だ。片側2席の普通席はゆったりとしていてくつろげる。この乗り心地をじっくり味わいたいものだが、たった1時間半で九州北部の博多についてしまうので、途中通り過ぎてしまう地域の中から私の気に入っている集落町並みを紹介していこう。

 熊本県に入ると鹿児島で見られた麓集落、あるいは麓集落調の形態はなくなるものの、相変わらず「石」の景観は色濃い。数年前の豪雨で残念ながら流されてしまったが石橋群の見られた御船、明治期にオランダ人技師が計画した石の護岸が美しい港町三角、同様に石積や石橋が印象的な玉名川尻など。また、天草諸島には天主堂と漁村が調和した集落として私も大好きな崎津、入り組んだリアス式地形の谷部に家々を埋め尽くした牛深の漁村集落などがある。当サイト<集落町並みWalker>のタイトルバックになっているのが、その崎津集落だ。重厚で質の高い町並みとしては、山鹿が熊本県随一であろう。一方、熊本市内は戦災にあっているので城が残っているけど古い町並みは少ないが、一角にみるべきものが集中している。なまこ壁の美しい漁村松合、木造三階建ての旅館が残る日奈久温泉も忘れてはならない良い町並みである。
 そして、私としては紹介せずにはいられないのが、西日本を中心に連続分布する山岳集落の最西端にあたる秘境五家荘であるが、ここについては、山伝いに連なる宮崎県椎葉米良とともに<探訪:天界の村を歩く 九州山地>を見られたい。


【回想】 山鹿の町並み 町並みの質の高さは熊本県内一であろう

 新幹線さくら号は、熊本駅まで各駅停車し、その後は新鳥栖に停車しただけで、20:15博多駅に着いた。
 

屋久島空港を無事離陸する
 

屋久島と種子島の関係
日本エアコミューターのパンフから
 

志布志市志布志町志布志にある志布志市役所志布志支所
さて、何回「し」って言ったでしょう

 

志布志 マルチョンラーメン かなりおいしい!
 

志布志 武家屋敷町 石塀と生垣とごっつい瓦屋根
 

志布志 日南線の終点志布志駅
 

東桜島集落と桜島

東桜島 溶岩の石垣と砂岩の石蔵

東桜島 溶岩の石垣の集落

九州新幹線の車内 鹿児島中央駅にて

【回想】 崎津の町並み 漁村の中に建つ天主堂

【回想】 熊本の非戦災地区に残る商家
 博多駅の新しい駅ビルのレストラン階にある和食屋に入り、地酒と明太子で打ち上げる。最重要未探訪地はたった2ヶ所の消化(残り49ヵ所)だったが、発見の集落町並みもあったので、総探訪数は5ヵ所加えた1959ヵ所となった。次回は3月、北部九州の未踏地を一気に横断するハードな旅である。


博多駅ビルのレストランにて

開通したばかりの九州新幹線熊本駅
 
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