三角西港 明治期オランダ人技師により都市計画された港町

熊本県
宇城市
三角町
三角浦





交通

JR三角線三角駅より車





三角西港





2005.07.24
宇土半島の先端、天草諸島の大矢野島との間の「三角ノ瀬戸」に面する天然の良港が三角港である。西港と東港に分かれるが、西港は小型漁船、東港は大型船が着岸できる。三角西港のある三角浦は富岡街道の宿場町でもある。
三角西港は、明治三大築港の一つとして、明治政府の国内統一、殖産振興の政策に基づいて建設された地方港湾の一つで、オランダ人水理師ムンドルの設計によって、明治17年から20年にかけて造られた港である。有明湾に臨みながら良港を持たない熊本にとって、港は江戸時代からの悲願ともいうべきものであった。
石積埠頭や石積水路など、築港後一世紀を経た今でも当時の都市計画がほぼ無傷のままで残っている。建物は当時のものが数棟残っているが、復元された建物もあり、歴史的な港の景観が保たれている。一方、宿場町でもあった三角浦は、旧富岡街道に沿って2階建て平入の町並みが形成されていたが、現在はその面影を僅かに感じることはできる。
昔の三角港
旧富岡街道沿いに寄席棟や切妻の2階建ての建物が並んでいる。右奥の海岸には今も残る倉庫や龍驤館が見える。(上)
(画像は案内看板から撮影)

旧裁判所
明治23年に西港中町に造られたが、大正9年に現在の位置に移転された。(左)
旧裁判所前の洋館
旧裁判所の前に平屋の洋風民家が残っていた。
旧宇土郡役所(九州海技学院)
明治35年に宇土郡役所として建てられた洋風建築。
旧宇土郡役所や旧裁判所が建っている高台の上から港を臨む。中央の石組水路や通りは築港で都市計画されたもの。
ほぼ完全な状態で残っている港の石積埠頭。多くの釣り人が釣り糸をたらしていた。その向こうは三角ノ瀬戸で、漁船が行き交う。遠方に天草諸島へ渡る「天門橋」が見える。
石積埠頭の西方を眺める。内海ならではの静かな水面である。
龍驤館
大正7年に明治天皇頌徳記念館として建設された建物。
旧倉庫
この倉庫の前に臨港鉄道も通っていた。現在は三角築港記念館となっている。(上)

旧富岡街道の町並み
おそらく古い全景写真に写っていた建物と思われる。(左)
築港当時から存在していた町家の高田回漕店(保存)

西部の町中を入っていったところにレトロな建物が数棟残る。
山沿いの石積水路
水路側の断面が斜めのため地盤面から上部に飛び出した手摺状の石積みも斜めに倒れている。
山沿いの石積水路
石済みの曲線が美しい。
参考資料 リンク
宇城市

参考文献
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社