にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第3日 鹿児島(鹿児島)~屋久島(鹿児島)
    栗生  吉田  宮之浦

 


屋久島の南西部にある栗生集落 栗生川に沿って珍しい形態の集落が形成されている
 
 2012年2月18日6:30羽田空港、鹿児島空港行のJAL機の中。「にっぽん集落町並み紀行」第3日は鹿児島県だ。第2日が沖縄県だったから、本来であれば那覇から鹿児島へ移動すべきであるが、適当な便がないためこの間だけ羽田経由となる。一筆書きを宣言しておきながら、初っ端から羽田経由かと叱られそうだが、そもそも、南西諸島のうち、奄美群島の奄美大島と沖永良部島は昨年暮に歩いたばかり。この旅を思いつくのがもう少し早ければうまく組み込んで、沖縄県から鹿児島県へかけて綺麗に北上することができたのかもしれない。沖縄本島~屋久島間は、奄美の回想で繋ぎたいと思う。今日は天気が最高に良い。窓の外にはきれいな富士山が眺められた。



 沖永良部島や奄美大島は、もとは琉球王国の一部であったが、江戸時代薩摩の島津藩に支配された関係で現在では鹿児島県になっている。だから、言葉も食べ物も集落形態も、比較的沖縄との共通点が多い。でも、そのことを奄美で口にするのはご法度、いい顔をされない。奄美の人はいまだに江戸時代の琉球への恨みを引きずっているのであろうか。
 しかし、沖縄が戦後アメリカに占領され、アメリカの持ち込んだ建築生産技術に染まらざるえなかったのに対して、奄美はそうではなかったから、かつての住居形態、つまり、石垣石塀や高床式倉庫(高倉)、分棟型民家までもがちゃんと残っている。沖永良部島の瀬利覚和泊の石垣石塀の集落。奄美大島の名瀬大和、今里秋名赤木名、節田などでは、高倉の遺構が多く見られ、中には茅葺屋根の現役も残っている。主屋は分棟型民家を基本とした住居が今でも主流。このように古い沖縄との共通点が指摘できる一方で、赤木名のように薩摩の麓の形態が見られるところが薩摩藩の支配下にあった現れであり、大変興味深い。
 麓とは、普段は農村で農業により生計を立てているが、いざとなると兵士となり戦いに参加する郷士による江戸時代につくられた集落である。当初の姿はわからないが、現在見ることのできる麓集落の共通項は、石垣石塀で屋敷地を囲み、刈り込まれた生垣と庭を持ち、家は屋根を瓦でしっかり葺いて入母屋を漆喰で固めた立派なもの。有名なのは、知覧上郡出水であるが、ほんと田舎町の入来蒲生、さらには上甑島里下甑島手打などにもみられびっくりした。鹿児島県では、麓でなくてもちょくちょく見かける屋敷構えなので、おそらく地元で名家と呼ばれる由緒ある家のスタイルとして定着していったのではないだろうか。


【回想】上甑島の里にもみられた麓集落の形態

 飛行機は徐々に高度を下げ、窓の外には大隅半島が横たわっている。海岸の平地と内陸の台地の関係のはっきりしたシラス台地地形が飛行機からでも良く把握できる。錦江湾に飛び出した桜島は噴煙を上げている。そして、飛行機は、晴れているのに小雪が舞う鹿児島空港へ30分遅れて着陸した。東京からの乗り換え客を待っていた屋久島行きの日本エアコミューター機は、我々を乗せるとすぐ空港を飛び立った。30分間のフライトの後、細長く平べったい種子島が見えてきた。そして機体は、種子島とは真逆の円形・山がちの島へ向かって旋回し、やがて着陸した。

 屋久島の主峰、八重岳は白くかすんでいる。五合目以上は雪が降っているのだろう。海岸にある飛行場は雨、大寒波が到来しておりものすごく寒い。南の島に来た印象は全くなく、まるで北海道の利尻島に降り立ったようだ。


【回想】沖永良部島瀬利覚

【回想】奄美大島大和

【回想】奄美大島秋名

【回想】麓集落の代表格が薩摩半島の知覧上郡

【回想】奄美大島赤木名
 屋久島は九州最高峰の宮之浦岳(1935m)を含む八重岳(連峰の総称)を中心にした外周約100kmの円形の山岳の島。集落は内陸にはなく、すべて外周にしかない。真北を12時とした時計に島を例え、針の進む方向へ島を一周する。それにしても、前回の沖縄に引き続き今回も悪天候。冬の島旅はやむを得ないことなのか。屋久島は年間降雨量がとても多い島で、特に島の北部の日照時間は極端に少ないという。だが、南部は比較的天気は良く温暖だそうだ。南北で40kmそこそこしか離れていないのに天候が違うというのも不思議であるが、その原因となっているのが島の中央にそびえる八重岳なのである。つまり冬季、湿った北西の風が山にぶつかり北部に雨や雪を降らせ、南部は乾燥して晴れているということ。本州の日本海側と太平洋側の関係のミニチュア版現象が起きているのである。

 屋久島時計3時の位置にある安房から歩こう。この街は、北部の宮之浦とともに屋久杉の積出港として栄えた港町。安房川の北岸に形成されている町を歩いた。が、背景の山々を望む景色は素晴らしいけれど、町並みとしては今一つ。そんなことを思いながら商店街を歩いていたらびっくり!。なんと、モスバーガーがあるではないか。こんな島の中心でもない一集落になぜ?やはり世界遺産登録の効果なのであろう、シーズンにはとんでもなく大勢の観光客が押し寄せるのだろう。


安房にあったモスバーガー 離島にまさかの存在でびっくり!

 屋久島時計6時の位置にある尾之間のレストランで昼食。なるほど、天気は良くなり日が差してきた。これが屋久島南部と北部との違いか。
 

ムッチョム岳を見上げる。南部とはいえ、頂部では雪が降っている模様。

尾之間から西へ進んでいくと、名物のガジュマルの木があるというというので立ち寄ってみた。トンネル状になったガジュマルの木。中間集落の方も良さげで、石垣石塀の美しい姿を見せてくれた。こういう石垣石塀の集落を見ると、薩摩半島先端近くの大当に通じるものを感じる。

中間のガジュマル

 この島で最重要未探訪地として挙げられていたのが、屋久島時計七時半の位置にある栗生集落である。屋久島の港は、北部の宮之浦、東部の安房があるが、ここ南西部の栗生も古い港である。栗生川の河口を利用した自然の良港で、江戸時代は港を管理する津口番所が置かれ、鰹漁で栄えていたという。ただ、屋久杉の積出港にはならなかったようで、他の2つの港のようには繁栄はなかった。したがって、漁村の佇まいを残しているのだが、よく見る漁村の形態とはちょっと違う。漁村というのは様々な形態があるが、川の河口を利用した漁港の場合、川と平行の街路があってその街路に沿って町が形成されるのが一般的で、川側の家は背後に船を付ける。しかし、ここ栗生集落は川に平行の街路があってそこに商店などが軒を連ねるところまでは同様だか、漁家はその通りに直交する方向の街路に沿って建ち並んでいて、その通りは川に突き当たって終わっているのである。
 町並みは、島で採れる花崗岩を利用した石で屋敷を囲み、建物は豊富な森林資源を背景に板壁で覆われている。江戸時代の民家も2棟あるそうだが、どれなのか確認できなかった。

 鹿児島県の歴史ある集落町並みの景観の特徴は総じて、あはり石垣石塀ではないだろうか。まぁ、この傾向は九州から沖縄県にかけても共通するところであるけれども、石垣をより目立たせているように思う。それは、先に説明した麓集落のスタイルへの憧れなのかもしれないが、石垣石塀をしっかり見栄えのするように積む意図が感じられるのである。屋久島では、この栗生がそうだが、薩摩半島坊津秋目を歩いた時も、同じようなことを感じた。


【回想】薩摩半島の坊津
 


安房 安房川の北岸に形成された安房の町
背景の八重岳では雪が降っている
 

安房の町並み DataBaseにあげられるほどのものではなかったが、結構、店が多い。世界遺産効果であろうか。
 

中間 石垣石塀の集落。石は島で採れる花崗岩であろう。

栗生川に面して形成された栗生集落。コンクリートの防波堤の曲線がきれいだった。

栗生集落 豊富な森林資源を背景に板壁が多い。
 

栗生集落 石垣石塀のほか、生垣や庭木の手入れが良い。これは鹿児島共通の現象である。
 
 栗生から北の西海岸にはしばらく集落がない。山が海に落ちる地形となるためである。最高峰宮之浦岳の麓にあたるところに大川の滝というのが、外周道路から見られたので立ち寄ってみた。世界自然遺産で注目されている島にまったく違う目的で訪れている人間でも、あえて無視するつもりはない。近くにあれば見物だってする。大川の滝、迫力のある素晴らしい滝だったが、じっと見ているとしぶきで寒いので、そそくさと引き揚げた。
 ここからの外周道路は西部林道と呼ばれる。道幅が極端に狭くなり、舗装こそされているもののきついワインディングとなる。クルマがすれ違えられる場所も限られており、これはシーズン中は渋滞するであろう。今はオフシーズン、交通量は少なく、途中で何度も野生のシカやサルを見つけた。野生の楽園、サファリパークを走っているかのようだった。

 ワインディングを抜け永田という集落を過ぎ、しばらく行くと斜面上のよさそうな集落が現れた。吉田岳の裾野上に形成された吉田集落。屋久島時計では十一時の位置である。集会所にクルマを停めて歩いてみた。斜面であるから当然整地するための石垣が築かれるわけで、これが集落景観として効いているが、やがてもう一つ大きな特徴に気が付いた。巨石だ。集落の周りや中の随所に巨石が転がっている。


吉田 集落の周囲や内部に巨石が転がる村

 屋久島は、白亜紀層を貫く花崗岩質でできている島といわれているが、その岩石がもろに現れている集落のようだ。あるものはしめ縄が巻かれ祀られていた。そして家屋はここでも板壁である。この集落は、文献などにも紹介されていないもの。こういう掘り出し物を見つけることがあるから集落町並み探訪はやめられない。


吉田集落の町並み 石垣と板壁 そして、、、巨石
 

 さて、屋久島のほぼ一周した。屋久島時計一時の位置にある島の玄関口、宮之浦という港町。まずクルマで流して見どころを絞っておいて、銀行の駐車場にクルマを停めて歩く。宮之浦川の河口に島の外周道路である県道77号線がオーバーパスする宮之浦大橋というのがあるが、その隣に昭和初期の古い橋があって歩行者専用橋として使われていた。県道の大橋から眺めると、1900m級の山々を背景に、年間降水量が多い屋久島ならではの幅の広い宮之浦川、そしてそこに架かる華奢なコンクリート橋の姿が美しい。



街は、川の東岸に形成されていた。今日廻った他の港町と同様、川に沿った街路に商店街が形成されており、橋の袂の一角が街の中心部で、郵便局あり、飲食店あり、すでに廃屋となっていた料亭のような建物も残っていた。屋久杉の積出港として栄えた港町には、かつては遊郭もあったのではないだろうか。
 主軸の通りから路地を入る。ここでも今日一日歩いてきた農漁村と同様、花崗岩が積まれ、両側を石垣石塀で挟まれた町並み。しかし、さすがに島の中心都市だけあり、きちっと積み上げられた石垣石塀や綺麗に刈り込まれた生垣も見られ、街の格の違いを感じられた。

 今晩は、空港近くのホテルに泊まる。入浴して温まった後、再び宮之浦まで繰り出す元気はなく、ホテルの食堂で夕食を済ませた。これで、南西諸島の島旅は終わり。明日朝も天候は悪そうだが、無事に飛行機が飛んで本土に戻れることを祈る。いよいよ、明日から本土上陸だ。

島西部の大川の滝
 

吉田 古い道の分岐点に座り込んでる岡エビス
 
 
吉田 集落から海の向こうに口永良部島を眺める
 

吉田 大根を干してるのかな?
 

宮之浦 石垣石塀に挟まれた町並み
 

宮之浦 ド派手なローダウンバイクが集落景観としてマッチしていたと感じたのは私だけでしょうか
 
 
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