八女 入母屋下屋庇付きの居蔵造り町家が並ぶ町並み

福岡県
八女市
紺屋町
京町、ほか



交通

国道3号線




紺屋町、京町





2004.01.01
八女福島は、関ヶ原の合戦の後,、田中吉政が柳川城主になり、慶長6年(1601年)に福島城を支城として築城、城下町を造った。その後、久留米藩に参入され城は廃止されるが、奥八女の農産物の集積地ならびに手工業の町として繁栄した。町割りは城下町を踏襲しているため整然としているが、商家の並ぶ町並みはその中を、柳川方向から矢原町・古松町、京町、宮野町、紺屋町、唐人町と往還沿いに折れ曲がりながら続いている。製蝋、酒造、和紙、製茶など諸産業の問屋の比較的大きな建築が多い。18世紀の後半に何度か大火があったため、現在の町並みは19世紀からのもので、入母屋桟瓦葺き妻入で両端に下屋庇を設け、大壁から軒裏まで漆喰で塗り籠めた「居蔵造り」と呼ばれる重厚な町家の並ぶ。
宮野町の町並み
両端に下屋庇を設けた江戸時代末期の「居蔵造り」と呼ばれる重厚な町家の並ぶ町並み。
八幡宮
八幡宮で毎年行われる奉納は、その都度組み立てられる舞台でカラクリ人形が踊るという珍しいもので、仏壇や灯篭など、福島の伝統工芸技術が伝えたものとして、国の重要無形文化財に指定されている。
宮野町の町並み(左)
正面に見えるは八幡宮。東西の町並みは八幡宮前で北へ折れる。




宮野町の一角(下)
八女福島の町並み折れ曲がる一本のメインストリートに沿った町並みでもある。ちょっと脇にそれると違った印象的な場所もある。
京町の平井家
明治5年(1872年)の町家。妻入りで主屋の奥行きが大きく、中庭・付属屋が連なり。深い敷地である。
東古松町の今里家(上、左)
天保9年(1838年)居蔵建始の墨書が残っているという。
古松町の町並み
東古松町から西京町方向を見る。突き当たりは西京町に残る枡形。
古松町の町並み
古松町の町並み
敷地の間口が大きすぎて二棟がつながっているものもある。
古松町から矢原町方向へ折れる交差点
八女では珍しく漆喰で塗られていない町家。
参考資料 リンク
八女市

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州・沖縄編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社