熊本 戦災のない熊本 城下町街区に近代栄えた町人町

熊本県
熊本市
新町4
古町(西唐人町
中唐人町、ほか)




交通

JR鹿児島本線熊本駅より市電





新町



古町






2005.07.24
熊本は熊本城を中心として都市計画がなされた城下町だが、明治10年の西南の役と昭和期の太平洋戦争と2回焼け野原になっている。現在の町の中心は熊本城南東側、周辺地域への路線バスの始発となる交通センターがあるあたりで、新市街という地名の通り戦災復興で整備された町である。一方、戦災から逃れることの出来た町は熊本城の南側にある。
一つは熊本城の外堀を兼ねていた坪井川の南側にある古町である。古町は江戸時代、一辺60間の街区に分割し中央に寺院を配置した「一町一寺制」の町が建設された。今でも細工町、呉服町、鍛冶屋町、大工町などの町名が残っており城下町の町人町であったことが伺える。西南の役では焼けたがその後復興し、昭和初期まで熊本の商業中心であった。戦後は商業中心が新市街に移ったため問屋街に変わった。坪井川にかかる古橋を渡ると黒漆喰壁の町家による古い町並みが見られる。中には巨大な煉瓦防火壁を備えた商家や立派な近代洋風の銀行建築もあり、往時の繁栄振りが想像できる。
もう一つは坪井川の北側の新町で、明治初期は官庁街の前の商業地だったが明治20年に官庁街が城東地区へ移った後、職人町住宅地となった。やはり城下町のとき計画された町で、長方形の短冊形の町割となっている。その街区には黒漆喰壁の重厚な商家「吉田松花堂」や近代和洋折衷風の「長崎次郎書店」などがあって目を引く。
新町の町並み
新町交差点、北西角の町並み。近代和洋折衷風の吉田次郎書店が目を引く。
新町の町並み
市営の路面電車。
新町の町並み
「肥後の諸毒消丸」の吉田松花堂。
新町の町並み
新町3丁目、4丁目の東西の通りに古い町並みが見られる。長方形街区の短手方向。
新町の町並み
長方形街区の長手方向の町並み。
新町の町並み
窓ごとに鉄板の扉が付いている商家。

古町の町並み
新町方向から坪井川を渡ると古町である。
古町の町並み
でっかい煉瓦造防火壁でサンドイッチされている町家。両側が空地で隣にあった建物のシルエットが煉瓦壁に残っているのが確認できる。
古町の町並み

古町の町並み
坪井川に架かる明十橋の袂には立派な近代洋風の銀行建築が残っていた。内部は別の用途で活用されている。
参考資料 リンク
熊本市

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス