東奔西走 2007 冬

昨年末の沖縄でひとつの目標を達成し、充実感に満たされながら年を越すことができた。新年を向かえ今年から何をはじめようか。集落町並み探訪はもちろん続けるわけだが、しばらくはテーマを絞って追っかけてみたいと考えている。今まで地域ごとに日本全国を一通り歩いた上で、自分の興味のあるところとして以下のようなテーマが考えられる。

@天界の村を歩く・・・・・自分が集落町並み探訪をはじめたきっかけの山岳集落。まずはこれを成就せねばならない。
A海界の村を歩く・・・・・特徴ある漁村を巡る。天界シリーズの次にやりたい。
A街道を歩く・・・・・2年前に中山道をやってしんどかった。しばらくはやりたくない。
B島里を歩く・・・・・離島は日本最後の集落。でもこれだけを追っかけ始めると際限がないので、息抜きのようにポツポツとやっていきたい。
C遊里を歩く・・・・・これも都市部に残る最後の古い町並み。島里とともに息抜き形で臨みたい。
D戦災の無い町を歩く・・・・・戦災に遭った都市の中の戦災を免れた町。早くしないとドンドン消滅しているので急がれるテーマである。
E炭鉱町を歩く・・・・・隆盛と衰退の急激な変化がつくりだした郷愁の町並みを探る。九州や北海道といった遠方にあるので、集中してやりづらい。福島県いわき市あたりから始めようか。
F企業城下町を歩く・・・・・一つの企業とともに発展した町。昭和の町を見ていく新しいテーマである。

と、このようなテーマが掲げられた。さて、どれから手をつけることにしようか。そうこう悩んでいる傍ら本業の仕事が忙しく、まとまった旅をする時間も旅の計画をする時間もつくれない。気づいたら2007年も四半期が過ぎてしまった。やっぱり目標を定めないとコトは進まないようだ。ここで、2007年1月から3月末までの間に無目的ながら歩いた集落町並みを紹介することで、ひとまずお茶を濁すこととしよう。

江別(北海道江別市)
2007年1月

東京丸の内に明治の赤煉瓦の建物を復元する仕事をやっている都合で、煉瓦建築を調査するために北海道へ飛んだ。高松空港から最終便で羽田へ、そのまま乗り換えて新千歳空港に9時半に着いた。新年早々、誠に忙しい。翌日、仕事の関係者とともに江別に行き、煉瓦建物の見学や煉瓦に詳しい大学教授に面会してヒアリング。しかし、それだけでは私としては困る。開拓時代からの歴史のある江別、必ずや町並みがあるはずである。「ここにも煉瓦の建物があるらしいですよ」と関係者を誘い、江別の町並み探訪に付き合わせた。みんなそれなりに楽しんでいただいたようでヨカッタヨカッタ。
札幌(北海道札幌市)
2007年1月

江別を調査した翌日、札幌市内の煉瓦建築巡りである。こういうことがれっきとした本業の出張目的なのだから、単に趣味で町並み歩きをされている方々からすれば羨ましいと思われるだろう。しかし、仕事で歩くのと趣味で歩くのとでは見る対象が違うのである。旧道庁、旧札幌控訴院、豊平館、旧サッポロビール工場などの歴史的建物を見学した。ここでも万訪としての私にとって歩きたい町がある。またもや作戦に出る。
「近くに二条市場という札幌創成期から続く市場ある。昼飯をここで食べましょう。」
もちろん昼飯を食べるのが目的ではなく、単に二条市場を歩きたいのである。二条市場の前の創成川は下に道路を造る工事中だし、市場は町並みとしては大したことはなかった。海鮮丼も店の親父がうるさく講釈するほどのものではなかった。
小田(茨城県つくば市)
2007年2月

ずっと遠隔地ばっかり歩いていると近くの町並みが恋しくなる。天気がいい休日、家族がドライブしたいというので、茨城県の筑波山に出かけた。山腹の筑波集落の再訪と山麓の未訪集落を訪ねるのが私も目的である。
常磐自動車道は空いていて、1時間半で筑波山麓に到着した。こういう気軽さが地元東京近郊を探訪するよさである。小田集落は古い城下町であるが、そのときの遺構があるわけでもない。その後に形成された農村集落を見て歩く。
北太田(茨城県つくば市)
2007年2月

北太田は小田の直ぐ近くの農村集落で、生きられた集落空間を研究されている神戸芸工大の斎木教授の論文で紹介されていたので訪れた。筑波は関東地方でも米どころとして名高いが、農家も裕福そうな立派なものが多い。ここ北太田でも屋敷に塀をめぐらしたり門を構えていたりしている農家が集まっている。
筑波東山(茨城県つくば市)
2007年2月

筑波山は江戸城の鬼門に当たるとして、徳川家が安全祈願のため、山の中腹に筑波神社を建てた。筑波集落は筑波神社に関係の深い、珍しい山腹の集落である。東山集落は神社の東側で石岡方面からの参道に形成された宿場町。今まで何度も筑波山を訪れていながらやり過ごしていた町である。
カミさんと娘はケーブルカーに乗りたいというので、一人で集落を歩く。東山集落は、「図説日本の町並み」にも紹介されていながらあまり古い建物は残っていない。早く来なかったことが悔やまれる。
筑波西山(茨城県つくば市)
2007年2月

筑波西山集落は筑波山の裾野の斜面にそのまま登る形で形成されている。家光の時代に神社が建て直されたが、そのとき職人たちを住まわせるために造った集落という。なるごど、この無理して造られた集落の発生原因にはうなずける。集落内の道は裾野の等高線に対して垂直に登っている。歩きやすいように造られた急傾斜の石段だったのだろうが、今ではそのまま車道にしているため、急勾配であるうえに上下にうねっている。この町は何度か訪れているが、車で登坂するときにはかなり緊張する。後ろにひっくり返りそうな感覚になるからだ。集落内を歩いていたら下からローギアフルスロットルで軽自動車が駆け上がってきた。そうしないと登れないのであろう。途中で止まったらどうするのだろうか?
石岡(茨城県石岡市)
2007年2月

筑波山を下りて最後の探訪地に急ぐ。石岡に着いたときにはもう日没後。あわてて夕暮れの町を歩く。
石岡は昭和初期に大火がありその後に復興した町並みが見られる。こういうケースは一時代のスタイルに統一された町並みになるため、後年価値が見出されて残るケースが多い。当時、東京で流行っていたのが看板建築だったため、そのスタイルの建物が並んでいる。面白いのがその中に土蔵造りの民家もあること。これは大火で燃え残ったのではなく、大火後の復興で旧スタイルの町家が建てられたということらしい。
観音寺(香川県観音寺市)
2007年2月

早朝、宇多津駅前のビジネスホテルを出るとまだ真っ暗であった。予讃本線で観音寺駅へ、駅から離れた旧市街の中心に着いた時には写真が撮影できるほどの明るさになっていた。日の出から30分後が撮影開始の限界時刻、計算どおりである。
観音寺は何処に古い町並みがあるかわかりづらい。したがって1時間半を予定し、空中写真をたよりに港から旅館街にかけて一通り歩いた。
満足して東京に戻り、確認したら何と一番重要な町家を見落としているではないか。他に見所がたくさんあればいいのだが、古い町並みに乏しかっただけにこの家を見落としているのは致命的である。こりゃまた行かなければならん(涙)。

米原(滋賀県米原町)
2007年2月

米原という名前は新幹線に乗ったことのある人なら誰でも聞いたことがあるであろう。東海道線あるいは東海道新幹線から北陸本線への重要な乗換駅である。また、名神高速道路も米原で北陸自動車道を分岐している。近世の旧中山道は米原の東にある鳥居本宿から番場宿を経由して醒井宿へと向かっており、北国街道は番場宿で分岐し米原を通って北陸へ至っていた。明治22年に湖東鉄道(現JR東海道本線)が開通し、米原駅は北陸線との分岐駅となった。そして町は国鉄職員が多く住む鉄道の町として発展した。そんな交通の要衝であれば、米原はさぞ大きな町であろうと想像するが、反して町は駅の至近にありながらビックリするほど小さな集落である。
米原駅の東口を出てすぐ国道8号線を渡ると米原の町の入り口である。交通要衝の駅前らしく旅館が並んでいるが、今時のビジネスホテルなどない。いかに米原が現在、通過されるだけの要衝地であるかを象徴している。やがて直交する通りに古い町並みが現れる。そこが旧北国街道に沿った旧米原宿である。旧街道に面して切妻平入の町家が軒を連ね、宿場町らしい面影を色濃く残している。町の北には分岐点があり、「左北陸道 右中山道」と刻まれた道標が残っていた。
彦根芹町(滋賀県彦根市)
2007年2月

城下町彦根には古い町並みがたくさんある。城下町範囲内の町並みは以前歩いている。今回は、城下町の外側の町並み歩く。
彦根駅からタクシーに乗って運転手に、「かつて遊廓があった袋町というところへ行ってください。」と行き先を告げる。「旧遊廓は今ではクラブやバーの町になっています。このあたり一帯がそうです。」という場所で下ろしてもらった。表通りは商店街で裏側に遊廓があるという典型的なパターンだ。まずは表通りを銀座町から芹町まで往復する。
彦根袋町(滋賀県彦根市)
2007年2月

袋町は、明治9年に始まった遊廓で、「全国遊廓案内」(昭和5年)によれば、貸座敷65軒、娼妓は約85人いたとある。商店街の裏に遊廓があるという繁華街の法則の典型例のように、河原町の商店街と芹川の間にある。現在ではバーやクラブがひしめく現代の遊廓だが、夜の看板を掲げる建物の間に古い建物がたくさん残っているのには驚きだ。昼散策しても夜遊んでも楽しめる?町並みである。
彦根大橋町(滋賀県彦根市)
2007年2月

袋町から芹川を渡ると新町である。芹川の西側にあたる新町、芹中町、大橋町、元岡町、沼並町は「七曲がり」と呼ばれるいくつもの直角コーナーを組み合わせた一続きの町である。それは、城への襲撃に備えたものと考えられるが、現在ではアイストップに重要な商家が見せては角を曲がると次の風景が現れるというシークエンスが楽しめる町並みに仕上がっている。このあたりの民家は、彦根の伝統工芸でもある仏壇職人が住む町である。
観音林(兵庫県神戸市)
2007年2月

最近話題の木村卓也主演のTBSドラマ「華麗なる一族」。そこに出てくる万俵家の豪邸は六甲山麓の高級住宅地がモデルになっている。もちろんドラマは合成であるが、毎週見ていたらモデルとなった町を歩いてみたくなった。
六甲山の南麓の傾斜地は、東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪に対する健康地として、大阪財界人の別荘地が開発された。その走りが明治末期から開かれた観音林地区(現在の神戸市東灘区住吉山手・御影)で、神戸にもっとも近いエリアである。
阪急御影駅で降り、北東の方向へ歩いていくと大きな御影石を惜し気もなく使った石垣や塀の町が現れる。そこが阪神間の高級住宅地の走りである観音林地区。石垣は平均して人の背丈ほどまで積み上げられ、その上が生垣になっていて綺麗に刈り込まれる。大きな屋敷では母屋を通りから容易に見ることが出来ないが、洋風の住宅が建っている。東京の山手ではマンションへの建て替えがかなり進んでいる地域が多いが、阪神間ではまだまだかつてのお屋敷町が残っているものだと感じる。
住宅地からは阪神工業地帯の工場群を見下ろす。その眺めはまさにドラマの万俵家からの眺めと同じであった。
岡本(兵庫県神戸市)
2007年2月

阪神間、六甲山麓別荘地の最古参である観音林地区から東側に開発された岡本に向かう。
岡本も観音林同様に六甲山の斜面を本御影石の石垣を積んで切土盛土し宅地を形成している。しかし、岡本で見られる石垣は観音林のとは違って四角い切石の方が多いようだ。宅地は整然と区画され、建っている家には和風のものが多いように感じた。
岡本駅前の小じゃれた喫茶店でモーニングを食べていたら、子供を幼稚園や小学校に届けた奥様方が次から次へと集まってきた。まさにセレブな地域?
仁尾(香川県三豊市)
2007年2月

神戸での仕事を終え新幹線で岡山へ、瀬戸大橋を渡って香川県宇多津駅で下車する。またこの寂しい駅で降りてしまった。翌朝、半月前と同じ真っ暗の中を予讃本線で西へ向かう。今回は仁尾を歩くのが目的だが、その前にやらなきゃならないことがある。半月前に見落とした観音寺の豪商の館を見ること。薄明るい中、観音寺駅から旧市街の中心部まで急ぎ足で歩く。半月前に歩いているから慣れたものだ。そして問題の交差点にたどり着いた。そこには夜明け前の薄暗い天空光を反射し鈍く光っている本瓦葺きの重厚な建物があった。前回は見事にこの一角だけを歩き残していたらしい。幸運なことに仁尾へ向かうバスの停留所が近くにある。空が明るくなるのを待って、憎きこの豪商の館を撮影した。
仁尾の町の入口でバスを降りる。空中写真をたよりに細長い町並みを歩く。先ほど観音寺で見た豪商の館は前面を平入りにしていながら奥が妻入りになったT字棟であった。大きな建物だったからかと思ったが、ここ仁尾にも同様の形式の商家を何軒も見かけた。町並みは長く鉤曲りのところが3ヵ所あってそこに決まって大きな商家が建っている。変化に富んだ面白い町並みである。
大和高田(奈良県大和高田市)
2007年3月

昨年末の沖縄以来、まとまった旅に出かけていない。仕事のストレスは溜まる一方である。3月上旬の週末、カミさんに1泊2日の旅の許可を得た。奈良県南部の町並みと十津川郷の再訪が目的だった。しかし、ある事情で1泊2日は実現できなくなった。日曜日の午後から大和路だけを歩くことはできそうだ。名古屋で新幹線から近鉄に乗り換え大和高田で下車する。東京を10:00に出て目的地に14:00に着く。こんなゆっくりした旅は珍しく新鮮な気分になる。
五條(奈良県五條市)
2007年3月

高田からJR和歌山線に乗って五條へ向かう。途中、北宇知という駅で突然列車が逆に走り出してビックリした。スイッチバックである。こんな険しくもない場所にスイッチバックがあるとは知らなかった。
五條は2度目12年ぶりである。前回、ちゃんと撮影できていなかったのでずっと再訪したかった。タクシーで二見町まで行って戻ってくるように新町通りを歩く。12年前は本町界隈しか歩いていなかったので、新町の町並みは初めてである。途中、五條名物柿の葉寿司のたなか屋本店に立ち寄り、鯛寿司をつまんで腹ごしらえをした。そしてまた新町通りに戻って歩く。「いらかぐみ掲示板」で話題になったでっかい看板の餅屋は何処だ?。それを探しつつ見覚えのある本町まできてしまった。小さな川を渡ると右側に「橋一ツ商餅」ならぬ「餅商一ツ橋」のでっかい看板が出現した。「なんだここにあったんだ」と醒めた感動。
本町の重厚な町並みを眺め、アーケードを抜けて駅前商店街を通り、さらに駅を通り過ぎて大きな蔵元のところまで歩いた。五條のバスターミナルには柿の葉寿司たなか屋の売店があって、晩飯にちらし寿司でもと思ったが売り切れていた。橿原神宮前のホテルが今晩の宿。近くのファミレスCasaでまずいワインを飲みながらハンバーグセットを食べた。
桜井(奈良県桜井市)
2007年3月

朝6:00に橿原神宮駅を出発。大和八木で乗り換えて桜井駅で降りる。桜井市には「いらかぐみ」のメンバーが見つけ出した町並みが多いが、今回は桜井を歩く。
旧伊勢街道はアーケードになっていて、通勤の人たちが駅に向かって自転車を飛ばしていく。アーケードの中にも古い町家は何軒かあって窮屈そうに顔を覗かせている。アーケードを抜けると古い町家は多くなり、規模の大きな重厚な商家もみられた。五條と同じく、桜井も黒漆喰の町並みだった。
丹波市(奈良県天理市)
2007年3月

JR桜井線で天理へ移動する。途中、三輪という駅があった。ここが三輪そうめんで有名なところで、町並みも紹介されているが今回は歩かない。あと1箇所しか歩く時間がないが、どうしても天理市丹波市を歩きたいからだ。
天理はご存知天理教の町。財政的に潤っているのか、駅前には広大な広場が整備されていた。丹波市は駅から1kmほど離れたところにある。ここでも時間を節約して、タクシーに乗って一番端っこのところまで行き、戻るように歩く。
丹波市は「いらかぐみ」のメンバーのほとんどが訪れている町。何れも不自然に広い道幅に変てこな吹きさらしの上屋のある写真を載せている。その不思議な場所の謎が心につっかえていた。町の南端から歩いていくと、やがて前方にあの変てこな上屋が見えてきた。紹介されていた写真の通り不自然に道幅も広がっている。これは確かに不思議な空間である。その上屋に入って周りを見回していたら、隣の店のショーウインドに解説があった。そう、解説でもなきゃ誰もが何だろうと思う。この上屋は明治時代からあるもので、魚市場の前にあったアーケードだったという。市場の面影を残すものとして保存されているらしい。不思議な町並みの謎が解けた。
今年の冬は観測史上まれな暖冬。東京都心部では一度も雪を見ていない。冬の間、まとまった旅に結局一度も出られず春を迎えてしまった。
今日、調布に住む母が目黒川の桜が見たいと、わが町下目黒に突然やってきた。人出が多いので花見をするつもりはなかったが、カミさんは風邪で寝込んでいるし、娘は塾へ行っているので、息子の私が一人で相手するハメになった。
昨夜は台風のような強風が吹いたが、桜の花はまだ若く何とか散らずに持ちこたえてくれていた。花見の後、おふくろと2人で住宅街の中にある小さなフレンチレストランでランチを食べ、ゆっくり1時間話をした。もう一度桜を見たいというので目黒新橋から目黒川の桜を眺め(画像)別れた。
今年の私はいったいどうしたことか。旅に出る気があまり起きないのである。もしかして、歳かな?