にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第2日 石垣川平(沖縄県)~那覇(沖縄県)
      
 
石垣川平  与那国
 


1994年5月に訪れた時の川平湾。あの時は、ここにみるべき集落があるとは知りもしなかった。
 
 2012年1月22日(日)7:00。日の出の遅い沖縄なので外はまだ暗い。しかも土砂降りで、これから本当に集落を取材するんだろうかという気分である。だが、宿の女将さんに7:00に朝食を用意するよう頼んでしまっていたので、仕方なく食堂へ向かう。昨晩は、寝慣れないベッドである上に、聴いたことのない動物の鳴き声が一晩中していたのが気になって、よく眠れなかった。女将さんに、あの鳴き声の動物は何か尋ねた。ガマガエルだという。本州では聴いたことのない鳴き声だった。奴のせいで全然眠れなかった挙句に、奴が雨乞いしてこの天気である。まことに怪しからんガマガエルだ。

 9:30に宿の前にタクシーをつけるようお願いしておいて、足取り重く川平取材を始めた。この風雨ではライカは無理なので、コンデジのリコーGRとブログ・動画用のシネレンズを装着したオリンパスペンを濡らさないように抱えながら傘をさす。まことにやりにくい。そんな奇妙な恰好で歩いているのを見て、村のおっさんが怪しそうに私をじーっと見ている。こんな天候の時に写真撮っているのを見られたら危険人物だと思われる。周囲の人目を気にしながら民家を撮っていると、家の玄関がガラッと開いてびっくりした。
 川平は、湾に向かって緩やかに傾斜する集落で、昨晩真っ暗の中上った坂道を主軸に、整然と町割りがなされている。サンゴ礁の石垣や石塀と赤瓦の町並みであるが、古い民家は分棟とせず規模の大きな長方形の寄棟形式で、後ろに角を出すL字平面形状となっている。そんな、参考文献の解説文を思い出しながら集落をジグザグに歩き、湾のところまで下った。

川平湾。土砂降りでもこの蒼さは大したもんである

 川平湾は八重山地方を代表する絶景スポット。ここに立つのは二度目で、前回は1994年だから18年前になろうか、娘が生まれる前にカミさんと来た。石垣島をクルマで一周しながら、宮良殿内などがある石垣の中心市街と岬やビーチなどの観光名所を廻った。石垣島の東岸に明石というコンクリート製の民家集落を発見して興奮したりした。その旅では、竹富島を丸一日歩き、その後本島へ渡って首里城や城下の金城町、各地のグスク(城址)を巡った。ところが、本島南東にある百名ビーチというところで、駐車してたレンタカーの中に置いていた財布を泥棒に盗まれ、後半一文無しで旅をするという苦い経験をした。沖縄に来るとどうしてもその思い出がトラウマのように思い出される。そんなことをまた思い出しながら、公園から土砂降りの川平湾を見下ろす。こんなに天気が悪いのに海が蒼い。宿に戻る頃には雨は上がり、空が明るくなってきた。旅の天候とは、えてしてそんなものである。

集落の一番上に御嶽(うたき)がある。
拝殿は昭和初期のもので、戦前の伝統的な建築様式を知るうえで貴重なものだとか。


 タクシーで石垣空港へ向かう。10:50発の飛行機だから余裕だけれど、早めに川平を出たのには理由がある。今日は、石垣島マラソンの日で交通規制があるからだ。石垣島マラソンは年々参加者が増えているようで、今年は4000人に及ぶそうだ。昨日、空港から港へ移動する際に、タクシーの運転手に川平から空港への所要時間を聞いた時、交通規制があるので余裕を見ておいた方が良いとアドバイスをもらっていた。案の定、石垣市街のところで渋滞し、道を横切ることができなくなってしまった。タクシーは細い農道を駆使して、通常より時間を要し空港に着いた。想定しておいてよかった。石垣空港10:50発与那国空港行きは定刻通り発ち、与那国空港にも強風ではあったものの着陸することができた。

石垣島から国境の島与那国へ移動


緩やかに東側の川平湾へ向かって傾斜する川平集落

サンゴ礁の石塀と赤瓦寄棟屋根の町並み
古い民家は分棟型ではなくL字形の角家が多い。

川平の民家

川平の民家

川平の民家

川平で見かけた三菱ジープ
旅先で好きなクルマを見かけ、ひきつけられる時がある。この三菱ジープもその一台。かつて所有していたジープで、日本の山岳集落を駆け巡っていた。

 

ティンダハナタという隆起サンゴ礁の高台から祖納集落を俯瞰する
 
 
 石垣島で回復の兆しが見えたお天気も、国境の島では荒れている。与那国空港は、飛行機のデッキを下りてから空港ビルを出るまで1分もかかないくらいの小さかった。与那国島には3つの集落がある。役場のある一番大きな町が祖納で島の北側中ほど、最西端の西崎の付け根に久保良、南側中ほどに比川だ。一番期待の祖納では、できるだけ雨の中を歩きたくないが、これから天候が回復していくのか崩れていくのか全く読めない。まず一通り祖納を歩き、その後他の二カ所の集落を訪れながら島を一周し、再度祖納に戻った時に天候が良くなっていれば要所を歩き直すこととした。集落町並みには、そこにふさわしい天候というものがある。たとえば、長崎であれば、クールファイブの唄にもあるように雨でも絵になるわけで、山岳集落だったら絶対に晴れてもらわないと困る。島の集落もできれば晴れてほしい。与那国島は国の果てという演出上、風雨もありかもしれないけれど、取材に苦労するので雨は降らないに越したことはない。

小さな与那国空港

 祖納で、営業しているのかしていないのかわからないような食堂に入った。村の家族がお昼を食べに来ており、テレビからスポーツの実況が流れていたりして、意外とにぎやかでほっとした。地元の家族が店のおばちゃんと会話をしているが、方言が強くて数字以外は何を言っているのかわからない。ここから100kmしか離れていない台湾に居るぞと思い込むことも容易である。腹ごしらえをして祖納探索を開始する。地図で見ると町は割と広く攻め方に悩む。こういう場合は、「メインと思われる通りを端から端まで歩いて、まず街の構造を把握してから細部に潜れ」という、自ら開発した面的広がりのある町並みの攻略法に従うべし。ついつい良い感じの路地に引き込まれがちになるが、我慢してメイン通りを歩く。
 なるほどなるほど、街の構造がわかってきた。街は海岸段丘上を主体に形成されている。沖縄の平地の集落は、竹富島渡名喜島伊平屋島伊是名島の集落のようにきれいな碁盤目状の整形な町割りが特徴だが、ここは複雑な起伏があるのでそうはならない。メイン通りは丘の上の尾根筋を通っていて、おおむねその通りを座標軸にエリア毎に整形な町割りがなされている。そして、メイン通りには切石の石塀によった構えのしっかりとした屋敷が多く、家も大きい。祖納はかつて、台湾とのバーター貿易で繁栄したというもうなずける。メイン通りの一番端まで歩くと川に下り、家が無くなり、川岸の段差部分に亀甲墓が現れた。ここが街のエッジ(縁)ということになる。ここから引き返し行ったり来たりジグザグに歩きながら細部を探索していく。一本道の宿場町などと違って、碁盤目状の集落はこれが大変なのである。そして歩いているうちに、メイン通りに直交している方向の通り達の主従関係が見えてくる。主となる通りにはやはり大きな屋敷や商店があったりする。

 駄菓子屋のような商店の前で子供たち4人がきゃっきゃいいながら遊んでいる。私の横を走り去って行ったが、違う通りでまたこの子供たちとすれ違った。こういう時は、「こんにちは」と声をかけて怪しいおじさんではないことをアピールしなければならない。いつもは元気よく返事してくれる田舎の子供たちだが、本当に怪しんでいるからだろうか返事をしてくれなかった。経験上、沖縄ではしばしば返事が返ってこないことが多い。沖縄の人は警戒心が強いのだろうか。今朝石垣島で乗ったタクシーの運転手がこんなことを話してくれた。沖縄の離島の子供たちは、中学校を出ると島を出て本島や石垣島の高校へ通うことになる。だから、沖縄の人間は親子の絆が強いのだと。この子たちもあと数年で親元を離れ島を出ることになるのだろう。

祖納の町で見かけた子供たち 元気よく遊び回っていた。

 祖総集落のすべてを歩き終わった。休憩なしで2時間かかったから広い集落だったといえよう。こうして歩き終えると、頭の中に集落地図が出来上がる。最後にもう一度全体を思い出すことで記憶として書き込まれる。集落のはずれの海岸段丘上に墓地があるというので行ってみた。たくさんの亀甲墓が並んでいた。亀甲墓は財力のある家でないと造ることができないそうなので、この島のかつての繁栄ぶりがうかがえる。


日本国最西端の碑

 西崎にある日本国最西端の碑を確認した後、その岬の付け根にある久部良集落をチェックする。取り上げるほどでもないので最西端の家と商店だけを撮影した。そして、久部良港の東側にある丘に上ると久部良割(クブラバリ)という場所があった。そこは長さ15m、幅3.5mの深い割れ目で、かつての人頭税時代の悲劇を今に伝える人減らしを行った場所。妊婦を集めてここを跳び越えさせたという。手を合わせるだけでとても撮影はできなかった。

 島の南側にある比川も小さな集落だった。ただ、やたらとDr.コトーの案内標識が道端に出ているので導かれていってみたら、
人気テレビドラマ「Dr.コトー」のロケで使われた志木那島診療所の建物だった。入場料が必要だというので入らなかった。東崎付近はヨナグニウマの牧場、景色が素晴らしくかつてテレビ番組か何かで見た記憶がある。こうして、反時計回りに島を一周して再び空港に戻ってきた。風が止まないので便の欠航を心配し、空港で大丈夫なことを確認した上で、ティンダハナタという隆起サンゴ礁でできた70mの自然展望台に上り祖納集落を俯瞰した。ここは、女酋長サンアイ・イソバが住んでいたという伝説の地でもある。与那国空港19:00、琉球エアコミューター880便那覇行きのプロペラ機は時刻通り飛び立った。

 那覇空港では乗り換え時間を利用してレストランで打ち上げようと思ったが、店はほとんどしまっていて人気もまばら。搭乗口近くの売店でシケた弁当を買ってベンチで食べた。「にっぽん集落町並み縦走紀行」としては、ここから鹿児島空港へ飛びたいところだが適当な便が無い。沖縄・鹿児島間を飛ぶためだけにまたここへ来るのはあまりに時間とお金がもったいないので、那覇→鹿児島だけは東京経由をお許し願いたい。
 23:25羽田空港へ到着。第2日が終了した。


那覇空港で寂しく弁当で打ち上げ

 0:00丁度に帰宅、娘はもう寝ていた。毎度お土産を買ってこない親父の帰りなど待っているはずはない。私は自分の部屋に入り、荷物を下しパソコンの電源を入れた。疲れて帰っても必ずやることがある。まず、写真画像をパソコンに取り込み場所ごとに分ける。そして、集落町並みデータベースに「波照間」「石垣川平」「与那国祖納」の3カ所を打ち込み、県別リストの沖縄県の欄の探訪数を23→26にする。全国の探訪数は、片道2000kmを往復する旅を終えて、全国探訪数1954ヵ所となり、最重要未探訪地は54→51ヵ所と減った。
 

祖納 郵便局が面するメイン通りを歩く

メイン通りは尾根筋の道

サンゴ礁の石塀と赤瓦の町並み

比較的大きな屋敷が多い

平地エリアの祖納の民家

海を臨む高台に広がる浦野墓地群

日本最西端の集落久部良にある最西端の商店

比川集落のはずれにあるDr.コトーのロケで使われた診療所の建物

東崎のヨナグニウマの牧場
 
 
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