奄美大島
赤木名
大島北部の生垣集落と石壁の見られる高倉集落

鹿児島県
笠利町
赤木名
節田




交通






赤木名


節田



2011.12.26
鹿児島県南部、奄美諸島最大の島、奄美大島は、沖縄本島・佐渡につぐ大きさ。古生層からなり、湯湾岳(694m)を最高に山地の多く、海岸は沈降性で出入りに富んだ島である。1609年(慶長14年)島津氏の琉球支配以降は薩摩藩、明治以降は鹿児島県に属する。北部は名瀬、南部は古仁屋が中心、サトウキビ、パパイヤ、パイナップル栽培とカツオ漁が活発であり、伝統産業の「大島紬」は有名である。奄美大島は、台風の常襲地域であり、亜熱帯の属していて蒸し暑い。これらの気候風土に対応すべく、特徴ある屋敷構えや住居が生まれた。湿気を防ぐために床を高くし(60cm以上)、風で家屋が持ち上がらないように床下の柱間に丸太を入れて重石にする「うどこ」、塀を高くし勾配の緩い屋根、防風の屋敷林、そして高床式倉庫=高倉である。

笠利町赤木名は、大島最北部の笠利町の中心で、かつては代官所があった町。そういう背景からか、鹿児島県内で見られる麓集落のような立派な屋敷構えが並んでいて、生垣や庭木が綺麗に剪定されている。この赤木名だけが異色であるといってよい。
一方、空港に誓い笠利町節田は、石壁(一部ブロック)の建物と高倉が多くみられる集落。このブロック壁の様式は島内の他の集落には見られなかった。
大島代官所跡(赤木名) 
綺麗に刈り込んだ生垣や庭木の立派な屋敷が多い(赤木名)
高倉が残っていた(赤木名)
家屋も瓦葺きが多く、他の集落とは違う。鹿児島県本土の麓集落のようだ(上)

海岸沿いで見つけた石垣塀(左)

(赤木名)
屋根を下げていない高倉が残る。屋敷内の高倉の配置は主屋の前であり裏手ではない。(上)

改造された高倉。手前と奥の家にもみられる。(左)

(節田)

奄美大島の他の集落では見かけなかった石壁の建物(上、左)
高倉が多く残る(上)
(節田)
 
板壁がそのままの主屋(節田)
参考資料 リンク
龍郷町

参考文献