岡愛香高徳 紀行

全国各県50%探訪を目指していた頃に中国四国地方は何度も訪れていましたが、代表的な遊里の多くを通り過ごしてきました。今回は二日間+αで岡山県、愛媛県、香川県、高知県、徳島県のとりこぼした遊里を中心に合わせて企業城下町を歩く旅であります。この5県に散らばったたくさんの町をいかに平らげるか。一方、岡山県では地元在住のYasukoさん旅情浪漫館さんとのコラボ、同時に四国を旅している郷愁小路の孫右衛門さんと愛媛県今治での夜会を組み入れなければならない。何通りもの計画を練りましたが、岡山空港から入るこのスケジュールに落ち着きました。久しぶりに電波時計とにらめっこの旅です。

岡山空港到着ロビーにYasukoさん旅情浪漫館さんがわざわざ出迎えに来てくれました。アリガトウ!。2006年11月、北木島を訪れた帰りに笠岡市伏越遊郭を歩こうとしました。場所が分からず、お二人に電話で誘導してもらったのですが日が暮れてしまって撮影できなかった。そのあとお二人に会って食事を共にさせていただいた。浪漫館さんはそれ以来の再会です。今回は、浪漫館さんの運転で導かれるままに町を巡ります。初っ端は、伏越遊郭再訪からリベンジからです。

前回の夕暮れ探訪と同じ、踏切を渡ってアプローチ。あったあった近代建築の病院。手前の町並みも両側に古い建物が残っていて素晴らしいです。病院の前を左に折れ、線路脇の道に出たら遊里はここにも延びていました。伏越遊郭は伏越港の前に形成されたものですが、比較的大きかったようです。しかも残存率が高い。再訪できてよかった!
Yasukoさんが「ここに理髪店があったはずだけど無い!」と騒いでおられる。取り壊されたかな?。港から一歩引いて眺めてみたらちゃんと残っていてホッ。右手には組事務所があってコワッ。


 

伏越遊郭のランドマークとなっているモダンな病院
 

線路沿いにも遊郭は延びていた
 
国道2号線はところどころ渋滞しているけど、地元浪漫館さんは抜け道をスイスイ。ネズミ捕りの場所も御存じなので気にせずスピーディ。次なる寄島に到着。神社では餅投げをやっていて町の人がたくさん集まっていました。一本の通りに比較的大きな屋敷が並んでいました。回船業より、その後の地場産業の麦稈帽は日本一の生産量を誇ったといいますから、それで財をなした家なのでしょうか。

町並みを抜けると浪漫館さんが車を回して待っていた。いやいや至れり尽くせりでこざいます。


寄島の民家 大きな屋敷は地場産業で財をなしたものでしょうか
 
鴨方(岡山県)

予定では寄島から玉島へ向かうはずが、欲張って途中の町並みも行っちゃえ!
鴨方は駅から離れた所に文化財の立派な民家が並んでいました。この町はそうめんが名物というので、ちょっと早いけど「かもがた町家会館」のレストランにて昼食。そうめんセットは量が多く、
そうめんとおにぎりまで付いて何と400円!お得です。


鴨方名物そうめん
 
金光教は江戸時代末期に起こった信仰宗教。祭礼の際には全国の信者が金光に集まってくるそうです。お寺の前の町は門前町といいますが、教団関係の施設が集まっている点では企業城下町的な姿ともいえるでしょう。門前の商店街は信者という商売相手が決まっているためか、競争意識がなく昔ながらで時間が止まっているようです。木造三階建てが多く、昭和レトロ満点の町並みには目を見張るものがありました。この町は面白いです。


左は金光教のシンボルマーク。右は旅館の子窓ですが、金光教のシンボルに合わせていてユニーク。
 
金光は予想だにしなかった面白い町でした。しかし、寄り道で時間は押している。

玉島はかなり昔に訪れたことがありますが、今日は旧遊里の天満町が目的です。できれば街全体を歩きなおしたい。
旧遊郭天満町の情報は「全国遊郭案内」(昭和5年)には掲載されているもののサイトや現代の文献には掲載されていません。
岡山在住の遊里探訪家?Yasukoさんが以前聞き込みで場所を突き止めていました。玉島はそのレトロな町並みが買われて、いろんな場所が映画のロケ地として使われています。ロケ地マップなるものが発行されていて、今では天満町の遊郭跡も紹介されています。
旧遊郭の町並みは面影を残しており、特に
鋭角に切り取られた木造三階建の妓楼はキョウレツーッ!


天満町からの通りを北へ歩いて行くと
仲買町です。ここは港につながった里見川の河口に蔵を並べた町だったところ。今でも軒高の揃った町並みが見事でした。そして何より、町の入り口の交差点に面して立つモダンな銀行建築が町家に比べてひと際大きく、これまたキョウレツー!

里見川を渡って
玉島新町へ。ここからは以前歩いたことがある。通町商店街の裏側の川沿いの町並みも残っていて良かった。羽黒神社の参道下には
ピンクに塗られたモダンな銭湯が・・・キョウレツー!ワカチコワカチコ!

いや〜玉島って強烈にいい町並みなんですねぇ。
 

玉島天満町の木造三階建の妓楼 キョウレツ1
 

玉島仲買町の近代建築の銀行 キョウレツ2
 

玉島新町のピンクな銭湯建築 キョウレツ3
 
水島といえば埋立地に形成された一大工業地帯。企業城下町としても興味深いですが、今日は埋め立てる前から存在し続けている2つの古い集落を訪ねます。

連島(つらじま)は、高梁川河口の港町だったそうですが、今や港は埋め立てられ工業地帯になっているので、言われなければわかりません。結構大きな屋敷が見られる集落で、造酒屋もあって古い町並みとしては見ごたえがあります。町並みを構成する建物や塀の漆喰は剥げ落ち、
土壁が郷愁をそそる集落。でもこのままでは朽ちてしまいますね。

呼松も海に面した漁村でしたが、船溜こそあるものの前面の海原は工場群に変わっています。町の中心には下見板張りの特徴ある郵便局が建っています。ユニークなのははす向かいの町家で、郵便局に面する側面だけ洋風下見板張りとしていました。
 

連島の土壁万点集落
 

呼松の下見板張りの郵便局
 
玉野(岡山県)

さあ急ぎましょう。最後の訪問地玉野市まではやや走らなければなりません。

ウトウト眠ってしまった。気づいたら丘の上にそびえた煙突が見えてきました。日比精練所です。丘の下には船溜りがあって車を停めて歩き出します。
日比遊郭は笠松伏越のように明らかに遊郭だったというのではなく、言われればそうかなぁという感じ。でも、ある程度広範囲にわたっていたことがわかりました。

今日一番訪れたかったのが
玉野市玉です。玉野市は玉と宇野(宇高連絡船の港町)が一緒になってできた市だから玉野となったそうです。玉は三井造船の企業城下町。工場正門の前には道を挟んで厚生施設関係の洋風近代建築が並んでいました。また、病院は「玉野三井病院」、コープは「三井生協」と企業名がつくあたりは企業城下町の典型です。
昭和レトロの商店街の裏には、おやっ?遊里建築っぽいのが点在している。かつての映画館かボーリング場だったような大型の建築がパチンコ屋になっていました。ここは遊里に違いないでしょう。
 


日比遊郭は日比精練所の門前町の遊里
 

三井造船の企業城下町 玉野三井病院
 
浪漫館さんの運転で児島17:55の列車にはばっちり間に合いました。Yasukoさんもありがとう。お二人のおかげで岡山編は大成功でした。

瀬戸大橋を渡り、ディーゼル特急は予讃線を西へひた走ります。観音寺あたりで日は暮れて、今治に9時に到着しました。

孫右衛門さんと合流し、
駅近くの居酒屋で盛り上がりました。気がついたら午前0時を回っていた。楽しい話で時を忘れてしまいました。
 

瀬戸大橋上の車窓から塩飽諸島を眺める
 

今治は市内全域が戦災を受けていて戦前の建物はほとんどありません。今治城も昭和55年に再建されたものです。しかしそういう町には逆に純度の高い戦後の町並みが残っているのです。泊まったホテルの目の前は、偶然にも目的の旧カフェー街北宝来町でした。現在はスナック街として、細々と営業を続けているようで、まわりは再開発を待った空地に囲まれています。ところが、これがまさに純度の高い戦後の町並。豆タイルやモルタルの色壁、古めかしい看板など映画のセットのようなレトロな歓楽街でした。朝の散歩はものの15分で終わってしまいました。
 


今治駅前に残る昭和の歓楽街北宝来町
 
気持のよい朝です。今治から西条へ、高綱半島からは海に迫る四国山地石鎚山が美しく眺められます。西条は石鎚山の伏流水が湧き出る町ということで期待して訪れましたが、町並みは残っていません。戦災にあってるわけでもないのに不思議です。探すのをやめて近郊の氷見地区の町並みを取材することにしました。一直線のなだらかな坂道に大きな民家が並んでいた。なんでここに?とこれもまた不思議。
 

伊予氷見の町並み なぜここに大きな民家が?
 
さーて、住友の町新居浜の攻略です。企業城下町はどこに何があるか、すぐにはわからない。そこを紐解きながら歩いて行くのが面白いのです。最初に住友化学の工場周辺を探るが?。新居浜図書館で調べたら別子鉱山つまり現住友金属鉱業の工場が町の起こりと関係していることが判明。そこで住友金属鉱業の工場へ行ったら正門から二本の通りが延びている。その通りに沿って探っていったら・・・あったあった
最後に住友倶楽部を訪れて取材完了。

 


住友金属工業の工場正門前の町並み
 
善通寺は赤レンガ建築群がみられる自衛隊の駐屯地がある町で、数年前に訪れました。善通寺の周りにはかつての遊里があるというので再訪です。
旧遊郭をめぐっていると「カタパン」と暖簾を出した古そうなお店が。店内に入ってびっくり、お菓子を入れたケースが昔ながらのもので、アイスクリームの冷蔵庫も
なにもかもレトロ品で統一されています。「カタパン」を買ってかじりながら町を歩きました。
 

善通寺の裏にある古い駄菓子屋さん
 
金毘羅参りは古くから続いている行楽。門前には旅館や飲み屋、遊び場がありました。JRと琴電の琴平駅が営業を開始すると、旅人の足は鉄道へ変わり、門前町と駅との間に琴平栄新地が開発されます。そこに新しい遊郭が形成されました。どこかのサイトでみた白黒市松模様のタイル貼りカフェー建築は何処にあるのか。琴電琴平駅前から川沿いに町に入ります。だんだん様子が変わり現役営業している泡国を越すと様子が一変。路地を入っていったらあったー、市松模様。門前町からのアーケード商店街のすぐ裏だったんですね。
 

旧カフェー街に残る市松模様のタイル壁
 
岡愛香高徳の旅も高(高知)に入ります。高速をぶっ飛ばして遅れを取り戻しつつ高知市へ。レンタカーのビッツのアクセルは踏みっぱ、何台追い抜いたかなぁ。

まず、はりまや橋近くの料亭「得月楼」を撮影。ここら辺は戦災に遭っているので戦後の建物でした。
路面電車土佐電鉄の走る国道33号線を西へ。玉水町は中心市街地から外れた旧遊郭で戦災にもあっていません。二年前に取りこぼした町で、これだけのためにわざわざ高知へ来たのです。玉水町はその苦労を裏切らない町並みでした。
水路と小路と妓楼の景観は素晴らしく、背後の土手道の交通量が少なかったら言うことないのに。高知はこの町だけ。とんぼ返りで高知道→徳島道を通って徳島市に夜到着。

徳島はラーメンが有名だそうで、中でも代表格の「ラーメン東大」へ行ってみました。タクシーの運転手いわく「昨晩は大行列だったよ」とか。今晩は空いていた。とんこつ醤油のドロドロのつゆが特徴のようだが、まぁラーメン激戦区東京に比べれば中の上程度でしょうか。




翌朝、早起きして駅前から秋田町の最南端まで歩いて往復しました。旧秋田町遊郭は
現役だから怖いと聞かされていましたが、早朝だったので何ともなかった。町並みとしても戦後だし大したことなかった。

高速バスで高松へ移動。時間があったので坂出を歩いて飛行機で帰りました。




水路に面した旧玉水遊郭の町並み
 


徳島市秋田町旧遊郭の町並み
 
昨年、同じ時期、高松からこの旅に出ようとしたところ緊急の電話があり、急遽東京に戻りました【苦中紀行】。あれからいろんなことがありましたが、今回の旅の最後に高松駅前に立ってこの一年のことを回想しました。そして思いました。もう後へは戻れない。未来へ進むしかないと。