笠岡 昭和初期の遊郭の名残を残す瀬戸内の旧遊郭

岡山県
笠岡市
笠岡





交通

JR山陽本線笠岡駅下車徒歩







伏越




2009.05.05
笠岡は、「和名抄」に小田郡魚渚(いおすな)郷とあり、中世には陶山荘が置かれ、その後伊予海賊村上衆の根拠地となり、高松城(現古城山)が築かれた。近世には毛利氏、幕府、池田氏、水野氏の支配を経て1698年(元禄11年)以降明治維新まで幕府領で代官所が置かれた。廃藩置県では小田県となり、一時県庁所在地となった。笠岡港は瀬戸内海の風待潮待港として栄えた。
笠岡湾は今では干拓により水道のように狭められているが、城跡の古城山を挟んで笠岡諸島への客船が発着する笠岡港と同フェリーターミナルである伏越港がある。笠岡港の前には笠岡駅と中心市街地があり、伏越港の前には遊郭があった。昭和5年「全国遊郭案内」によれば遊郭の起源はわからないが、昭和5年当時で貸座敷が16軒あり、娼妓が63人居たという。遊郭として戦後まで機能していたかどうかは確認されていないが、町並みの残り方から推測するに続いていたものと思われる。中心にゼセッション風の病院建築があり、道が二股に分かれている。一方は港に延び、もう一方は線路脇に妓楼を並べる。
笠岡の中心市街地から古城山の北側を抜け、山陽本線の踏切を渡ると旧遊郭。
旧病院をアイストップにした町並み
昭和モダンの建物が伝統的な遊郭建築の町並みに彩りを与えている


 
中心の三階建ての病院建築。幾何学模様の装飾から特徴的な大正末期から昭和初期のものであろう。(左上、上上、上)

旧病院の向かいの建物。格子の下部にタイルが貼られている。(左中)

旧病院から線路沿いに延びる通りにある建物。窓の周りのモザイクタイルやモルタル壁など、街の性格と時代を表わしている。(左下)


線路沿いの町並み(上)

港へ向かう通りの町並み(左)
港に面する旧理髪店(左)
伏越港の町並み
参考資料 リンク
笠岡市

参考文献
「消えた赤線放浪記」木村聡