高知
玉水町
水辺に並ぶ旧妓楼が残る高知の貴重な町並み

高知県
高知市
玉水町





交通

JR土讃線高知駅下車
土佐電鉄上町五丁目電停下車徒歩






高知玉水




2009.05.06
高知市内には戦前2つの遊郭があった。はりまや橋から土佐電鉄が路面を走る電車道(国道33号線)を西へ進んだ玉水町が上の新地、はりまや橋から東へ進んだ稲荷町が下の新地と呼ばれた。高知市内はかなりの範囲を戦災で焼失しており稲荷新地はそのエリアに含まれるが、玉水新地は戦災を免れており古い町並みが残っている。
玉水新地遊郭は、明治5年に初めて許可を受け、昭和5年当時で貸座敷27軒、娼妓は224人が居た(「全国遊郭案内」)。鏡川の旧土手道とその脇の用水路沿い、さらに電車道との間に旧遊里の町並みが見られる。戦後は赤線に移行したため今でも賑わった頃の名残を留めているし、旅館営業している旧妓楼もある。ほぼ全域を戦災で焼失してしまっている高知市内において、玉水町は貴重な歴史的町並みといえる。
はりまや橋方向から街に入るとまずあらわれる旧遊里の建物。ここから用水路沿いの町並みが始まる。

用水路には小刻みかついろんな形状で橋が架かる。水路に沿って妓楼が並ぶが、今では旅館やスナックが営業している。(上、左上)

水路沿いから奥に入った町並み(左)

 
土手道から見下ろすと圧巻の町並み。旅館として営業されているため妓楼時代の風情が保たれている。

足元はタイル貼りのモダンな意匠。

土手道に面する建物(スナックみち)(左上)

土手道と鏡川との間のエリアにも残っている(上、左下)
土手道西方には画像のような屋敷が並ぶ。かつては妓楼だったのか住宅だったのかはわからない。
電車道に近いエリアの町並み
土佐電鉄ではりまや橋方面からやってきて電停で降りて新地に入るルートにこのような店が並んだのであろう。
電車道に近いエリアの町並みにあった長屋
はりまや橋近くにある「得月楼」は小説の舞台にもなった料亭。ここは戦災を受けているので建物は戦後のもの。
参考資料 リンク
高知市

参考文献
「赤線跡を歩く2」(木村聡)
「消えた赤線放浪記」(木村聡)