玉野 大正昭和レトロ満載の三井造船の企業城下町

岡山県
玉野市
玉2,3





交通






三井造船工場施設








2009.05.05
現玉野市は、明治初期までは日比が港町として栄えたほかは漁村と塩田地帯だった。玉野市は「玉」と「宇野」(宇高連絡船の町)という二つの地域が一つの市になって「玉野」となった。玉は1819年(大正8年)三井造船の創業により多くの関連企業が集まって発展し、住民のほとんどが造船所と関係を持っている典型的な企業城下町である。
三井造船工場正門前に通りを挟んで歴史ある厚生施設が並んでいる。工場の中にも古そうな建物が垣間見られ歴史ある造船所であることがうかがわれる。工場の北側、玉交番という交差点の近くに百十四銀行があり、アーケードの商店街が始まっている。屋根の掛った商店街の建物は昭和レトロ満載である。また、工場と商店街の間には、「玉野三井病院」「三井生協」など企業名がついた公共施設があるのは企業城下町ならではである。商店街の陸側は歓楽街(の名残)があり、かつて遊郭であったようなデザインの料亭や建物が残っている。大きなパチンコ屋は映画館かボーリング場の再利用であろう。
三井造船工場正門?
三井造船工場正門?前の通りは、かつては幹線道路であったと思われるが、現在はトンネルでバイパスができ(国道430号)交通量はまばら。その通りを挟んで三井造船の厚生施設などが立ち並んでいる。創業の大正期の建物であろう。 
三井造船造船(株)玉野事業所別館。

玉野事業所別館の左手の建物。迎賓施設と思われる。(左上)
その建物の壁についていた装飾(上)

工場の中を覗くと古い建物が残っている。(左)
玉野三井病院
企業名のついた病院があるかどうかが企業城下町と呼べるかどうかの試金石。
生協もただのco-opではなく、三井生協。
玉交差点からのアーケード商店街の入り口。昭和レトロ満載。
アーケード商店街の工場とは反対側の町にはこのような遊郭っぽい建物が見られる。ここに遊郭があったことは「全国遊郭案内」(昭和5年)他の文献・サイトでも掲載がないので定かではないが、工場の門前でないわけはないと思います。 
この建物は料亭でしょうか。大正から昭和初期の工場創業時期のものでしょう。
商業地区には昭和初期から戦後にかけてのレトロな建物がたくさんあります。
参考資料 リンク
玉野市

参考文献