玉島
仲買町
かつては里見川沿いに蔵を並べていた仲買人の町

岡山県
倉敷市
玉島阿賀崎





交通







玉島仲買町




2009.05.05
かつて乙島(現玉島乙島)あたりに良港があった。1642年(寛永19年)水谷氏が乙島・相島地先の干拓を進め、船穂町又串から12km余の運河「高瀬通し」を開削し、高梁川と連絡するなど港が整備された。港は江戸時代、備中の玄関口として千石船が出入りし、瀬戸内海各地と高瀬川流域を結ぶ商業の中心として栄えた。18世紀末頃から河川の流出土の堆積によって港機能が低下、1882年(明治15年)玉島紡績所創業以来、紡績業の一中心地となる。第二次世界大戦中から河口の埋め立てが開始され、戦後は重化学工業が進出、水島工業地域西部の一角をなしている。
玉島にはかつての隆盛を伝える古い町並みが多く残っており、ノスタルジックな風景は映画のロケ地としても盛んに使われている。おもなエリアとしては三か所に分けて紹介できる。

玉島仲買町は、里見川の西岸に沿って仲買人が蔵を構えた通りである。今でも造酒屋、味噌醤油、畳屋、紙屋など、伝統的な商家が軒を連ねている。特に新町に通じる昭和橋に近い交差点には周辺の町家のスケールから飛びぬけた大きさの銀行建築が建っており、町並み景観のアイストップとして効いている。

交差点に建つ銀行建築。おそらく有名建築家か設計事務所のものであろう、デザインが秀逸である。そのような意味からも玉島のかつての地位がうかがえる。
仲買町の町並み
いろんな時代の町家が軒を連ねている。
仲買町の町並み
洋風看板建築の商家
仲買町の町並み
造酒屋

仲買町の町並み
アイストップに高さの高い銀行が見える。(左上)

海鼠壁の蔵は倉敷に近い土地であることを伝えてくれる。
 
参考資料 リンク
倉敷市

参考文献