新居浜 近代化遺産や社宅街が残る住友創生の城下町

愛媛県
新居浜市
星越町
西原町1,3
泉池町





交通
JR予讃線新居浜駅下車徒歩






星越町



西原町



泉池町



東平



2009.05.06
2012.04.15
新居浜は、1666年(寛文6年)以降別子鉱山の鉱石積出し港として発達し、住友系の化学・金属・機械工場の港として発展した町である。住民の約半数は住友関係の従業員とその家族で占められているという文字通りの企業城下町である。
新居浜にある住友系企業の中でも、住友金属鉱山株式会社は我が国で最も歴史のある企業の一つで、住友財閥の源流企業である。住友家の業祖、蘇我理右江門が南蛮吹きといわれる銅精錬の技術を開発し、天正18年(1590年)京都に銅吹所を設けたのが始まりで、住友家は秋田の阿仁銅山、備中の吉岡銅山などの経営に乗り出し、日本一の鉱業業者となった。そして、元禄4年(1691年)に別子銅山の開発に着手し、世界最大の製銅量を誇る鉱山となり、住友財閥の礎を築いた。
鉱山町は、大正5年(1916年)から昭和5年(1930年)まで、山腹の東平(とうなる)地区に鉱山採鉱本部が置かれていた。その後、現在の市街地の中の星越町に移る。東平地区には工場と鉱山住宅が急斜面に創られていたfが、現在では遺構だけが残っている。一方、星越町には2010年まで星越鉱選場の建物があったが現在は遺構だけになってしまったものの、前に広がる社宅街は完璧に残っている。また星越鉱選場の裏側に別子住友倶楽部や住友別子病院があって、戦前からの企業城下町の姿を見ることができる。
現役の住友金属鉱山の工場正門からは、東へ延び、西原交差点で鋭角に二股に分かれる敷島通りと昭和通りを軸に町が形成されている。工場に突き当たる通りが町の主軸になっているのも企業城下町の典型的なパターンといえる。物販系商業地は工場から東へ離れた場所にあり、その周辺に飲食店街やスナック街が見られる。一方、お決まりの遊郭は工場近くの西原町にあったようだ。文献等には記載はないが、料亭のような建物が数軒残っている。また、迎賓施設は住友倶楽部といって工場から離れた場所にある。
住友財閥の源流企業である住友金属鉱山新居浜工場の正門。ここから街の主軸をなす通りが始まる。(左)

正門前にもかつての飲食店が並んでいる。(左下、頁頭写真)



「住化関係者」とは?
住友化学のこと。こういう地元の人しかわからない用語が使われているのも企業城下町の特徴。
西原町交差点から敷島通りに入ってすぐのあたりが旧遊里っぽいで町並み。

西原町交差点から敷島通りに入ってすぐのあたりが旧遊里っぽいで町並み。
泉池町にあるスナック街

王子町の別子住友倶楽部
星越鉱選場跡
大正14年に別子銅山の東平から移転した。2年前に建物は取り壊された。
星越町 山田社宅
昭和4年から建設された社宅街。ほぼ完ぺきに残っているのがすごい。
星越町 山田社宅の町並み

星越町社宅街の中の幹部社宅(左)

王子町の住友別子病院
 
東平(とうなる)
大正5年から昭和5年まで別子銅山採鉱本部が置かれていた山腹の街。
東平(とうなる)
現在は遺構だけが残っている。
参考資料 リンク
新居浜市

参考文献