東奔西走 2006
 

2006年の私は厄年(後厄)だった。前半は、父親が亡くなり、自分は手術のために入院。集落町並み探訪としては年始に小田原市国府津の町並みを歩いたあと、しばらくはおとなしくせざるを得ない状態だった。しかし、その反動で後半は狂ったように探訪を再開。中国四国地方を中心に、大型の探訪紀行は岡山県、兵庫県、鳥取県、島根県、山口県、広島県、香川県、徳島県、高知県、愛媛県、そして沖縄県。その間にもこまごまと全国津々浦々歩いている。ここでは、2006年の春から冬にかけて歩いた小紀行を東奔西走記として順番に紹介する。

八幡園(愛知県名古屋市)
2006年4月

名古屋は旧遊廓の多い町だ。現役の中村大門は以前紹介しているが、今回は2ヵ所を歩いた。
八幡園は、むかしドラゴンズのホームグラウンドだった名古屋球場の東海道線に対して反対側にある町。新幹線からも見える。中心に公園を置いた戦災復興計画の町で、たくさんの和風の妓楼が残っていて見ごたえあり!
港陽園(愛知県名古屋市)
地下鉄で名港線に乗って築地口駅で降りる。例によって「続赤線跡を歩く」のわざと場所を分かりにくくしている地図をたよりに探す。画像のアパートを探すのに大変苦労をしたが、あった!。苦労するも止むを得ない、本で紹介されている妓楼がどんどんなくなっている。
吉田(埼玉県秩父市)
2006年5月

初夏、新緑を見に娘と二人で埼玉県秩父地方の集落探訪に出かけた。大滝村を「天界の村」として再取材するのが目的である。
その前に、いい町並みがあると聞いていた吉田を訪ねた。洋館と酒蔵を両サイドに並べる造り酒屋、斜め向いに煉瓦造の旧銀行建築。小さいが質の高い町並みだった。
秩父(埼玉県秩父市)
秩父は何十回と訪れているが、目的は蕎麦を食べるためで町並みを歩いていなかった。今日は蕎麦を食べる前に町並みを歩く。
秩父地方の中心地、後背に大養蚕地帯を持ち絹織物の産地で栄えただけあり、表通りには高グレードの商家建築が残っている。そこから荒川の方に町は緩やかに下っているが、そのあたりもいい。逆に、山側には秩父駅から秩父神社への参道があって、昭和レトロの町並みがあった。
大日向(埼玉県秩父市)
旧大滝村は秩父市に合併された。町の名前がなくなると奥秩父の山村というアイデンティティが薄れるような気がする。
大日向は荒川の本流から雲取山(東京埼玉県境で東京都の最高峰)の方に別れる支流大血川の谷にある天界の村である。ところが、大日向へ向かう道路が閉鎖されている。ということは廃村になったのか?。娘を連れて徒歩で上って廃村探訪とはいかない。隣の集落を訪れた。
三峰(埼玉県秩父市)
いよいよここからが「天界の村」の真骨頂である。荒川を堰き止めて秩父湖を造っている二瀬ダムのさらに奥へ進む。ダムのトンネルは一方通行のため長時間青信号になるまで待たされた。トンネル内では道が二又に分かれていて、真っ直ぐが麻生栃本方面、左が三峰方面だ。まずは左折し三峰神社の門前集落を目指して三峰観光道路を上る。三峰神社の入り口まで来たけれど民家がポツポツと離れてあるだけ。「本当にここかなぁ」半信半疑だが一応歩いた。麻生集落が遠望できたくらいが収穫か。改めて調べ直さないといけない。
麻生(埼玉県秩父市)
三峰集落から麻生集落へはトンネル内の二又を左折しないといけないが、鋭角なので左折禁止になっている。一度トンネルを出てUターンし、再度信号が青になるのを待ってトンネルに入りなおさないといけない。麻生集落は荒川最上流部の深い谷の北側、つまり南斜面の高いところに形成されている。まさに「天界の村」。かつて養蚕が盛んであったため二階建ての民家がある。
栃本(神奈川県小田原市)
そして旧大滝村最奥の集落、栃本に久しぶりにやってきた。秩父街道は雁坂峠を越えて甲斐の国と繋がっており、栃本には関所があった。急斜面で落っこちないよう、等高線に沿って民家が並ぶ。改めてその天界度に感動した。集落をバックに娘の記念写真をたくさん撮影した。

雁坂峠は今ではトンネルが整備された。トンネルで山梨県に抜け、ほうとうを食べ中央高速で帰った。奥秩父は中央高速を使って山梨県からアプローチしたほうが便利のようだ。
広尾(東京都渋谷区)
2006年6月

東京の外苑西通り沿いのビル設計の仕事が入った。休日に自宅から近いので歩いて敷地周辺の調査に出かけた。今回も娘と二人デートである。
広尾周辺は大使館が多く、外国人も見かける高級住宅街である。広尾の町は寺の門前町から発達した住宅地の商店街。戦前の店舗も残る歴史と今の両方を感じる町並みだ。
壬生(京都府京都市)
2006年6月

京都の仕事で四条大宮に行った。ビルの窓から壬生神社周辺の町が見下ろせた。たしか、壬生にはかつて遊廓があったはず。昼休みに飯も食わずに一人調査に入った。
神社の北側に伝統的な造りの長屋が綺麗にならんでいるところを見つけた。あとで「いらかぐみ掲示板」に旧遊廓の名残ではと掲載したところ、早速Kさんが調べに行ってくれた。旧遊廓は壬生神社の南側にあったようで北側は関係ないようだ。南側には旧遊廓の面影は残っていなかった。
清井町(京都府京都市)
2006年6月

京都には時代とともにたくさんの遊廓があった。清井町は祇園の東側、八坂神社の南側にあった遊廓で、祇園と連続していた。石塀小路が最近観光スポットとして脚光を浴びているが、そこからも近い。八坂神社の周りは東山のふもとの優れた自然に恵まれている。その中に「長楽館」という優れた明治期の洋館も残っている。
新町通綾小路(京都府京都市)
京都の業務地区である四条烏丸界隈でも、新町通や綾小路通で京町家を見ることができる。
地下鉄五条駅で降りて新町通りを四条通りまで歩いた。特に新町綾小路界隈は路地も含めていい町並みが残っている。四条通りの裏側とは思えない空間だ。
引田(香川県東かがわ市)
2006年7月

港と醤油の醸造で栄えた引田は東西に長く、立派な商家がたくさん残っている。香川県の民家は屋根が本瓦なので一際ゴージャスに見え、それだけで町並度がワンランク上ってしまう。
町の西端に赤い建物が見えてきた。噂には聞いていたが、この赤はとっても強烈である。むかしからこのような彩度だったのか?ちょっとやりすぎじゃないか?。
白鳥(香川県東かがわ市)
引田に続いて隣町の白鳥を歩く。ここでは、一軒一軒の町家の隣に洋館を併設している町家が多い。和風の町家と洋館の建設時期は同じなのか?そうでないとセットでは建てられない。あるいは、町家の脇には庭があって、そこに建てたのか。一軒だけではないので、そういう疑問が湧いてくる。
三軒茶屋(東京都世田谷区)
2006年7月

東京世田谷区の三軒茶屋で大学の研究室の同窓会があった。昼間から、かなりお酒を飲んでしまった。酔っぱらいながら三軒茶屋の町を取材した。町は周辺の住宅地開発とともに形成された商業地で、飲み屋街なんかもある。レトロな商店街や映画館があり、町並み散策が楽しい町である。
吉田神楽岡町(京都府京都市)
Movie
2006年7月

京都大学の東側の吉田山は有名であるが、その吉田山の東斜面に大正時代に開発された住宅街があるのはあまり知られていない。斜面を雛壇状に整備し、階段で上るように計画されている。そのため後年の車社会に対応できなかったのであろうか、車道整備などされずに大正期の住宅がそのまま何棟も残っていた。
斜面の階段を上って振り返ると、東山の大文字がよく眺められた。
錦小路通(京都府京都市)
錦小路通は四条通の物販店街の裏側筋にあたる、通りそのものが市場化したアーケード街だ。いろんな店が並んでいて活気があり歩いていて楽しい。中には一角にお酒を飲めるコーナーが付いている店があった。仕事が終わってからここで飲むのもいい。営業時間を聞いてみたら6時に閉店するとのこと。残念!
府中(東京都府中市)
2006年7月

旧甲州街道の宿場町。私の故郷である東京調布市(ここも旧甲州街道の宿場町)の隣で、百回は通っている旧道沿いの町並みを生まれて初めて歩く。以前はもう少し古い民家が残っていたのに、駅前が再開発されてしまった。今では府中街道交差点の西側に少しあるだけ。早く歩いておけばよかったのに!
小野路(東京都町田市)
東京の西の郊外に多摩ニュータウンという巨大な住宅地がある。高度成長期以降に多摩丘陵の山林を開発してつくられた。その多摩ニュータウンのある丘陵地の南側には、未だに開発されていないかつての農村風景が残っている場所がある。小野路はその中の最後の一角といっていい場所である。道は細く両側に古い民家がある。しかし、この細い道は抜け道として交通量が多く、道路拡幅工事は直ぐそこまで進んでいた。
渋谷通(京都府京都市)
2006年7月

一昨年、八坂神社東側にある長楽館という明治期の建物を見学した後、乗ったタクシーが抜け道として渋谷道を走った。そのとき、煉瓦造の建物があるのを覚えていた。夏の日の朝、その建物を見に行った。この建物は煙草製造で財を成し長楽館を建てた煙草王村井吉兵衛が、わが国で初めて造った煙草工場である。
庵治(香川県高松市)
2006年8月

庵治石という花崗岩がある。彫刻家イサムノグチが好んで使った石でもある。現在では高価すぎて建材ではとても使えないが、その丁場(採掘場)集落と積出港として栄えた庵治の町を歩いた。
丁場である丸山集落は、荒々しく石を削り取った山肌をバックに石材業を営む家々が山裾に沿って並んでいた。丸山集落も庵治の町もあちこちに庵治石が使われている。面白いのは、ちょっと大きな家には必ず庵治石灯篭があることである。
白河(福島県白河市)
2006年8月

石の旅はつづく。今度は福島県である。須賀川で採れる「江持石」を設計した建物で使用するため、丁場の検査にやってきた。その前に隣の白河の町を歩く。白河は奥羽街道の宿場町で、白河の関で有名だ。ここでも白河石と呼ばれ石が採掘されるので、町の建物にも使われているはずである。旧街道を歩いていると総石張りの店蔵が残っていた。
その後、江持石の丁場でその石材業者の歴史を訪ねたら、白河の先代の店の写真を出してきた。なんとその店というのが白河で見た石蔵だった。「知ってますよ」と話したら「なんで先代の店を知っているですか」とビックリされた。
須賀川(福島県須賀川市)
東北本線須賀川駅の前に4階建ての大きな蔵が建っている。聞いてみたら養蚕施設だそうだ。このような建物は以前、長野県茅野市で見かけことがある。現在、再利用できないか思案中とのこと。須賀川は奥州街道の宿場町であるが、残念ながらあまり古い町並みは見出せなかった。そういう意味でも、この養蚕蔵が保存され活用されると町の歴史を伝える意味でも有益ではないだろうか。
会津若松(福島県会津若松市)
会津若松は何度も訪れているが、一番の見所である七日町を未だに歩いておらず、それが気になってしょうがなかったので訪れた。鉄道で会津若松へ行くのははじめてである。
七日町駅まで行って、そこから中心部に向かって歩いていく。通りには、いままで歩いていなかったことを恥じる程の町並みが残っている。そして最後にインパクトのある洋風建築が並んでいた。この町は戊辰戦争で焼けた後、商人の力で復興したものという。
香西(香川県高松市)
2006年9月

高松市街はそのほとんどが戦災にあっているため古い町並みは残されていない。唯一あるのが市の西部郊外にある香西である。瀬戸内海の港町として栄えた町は、本瓦葺きの重厚な民家が町並みを形成していた。港越に町を眺めると、小さな富士山のような形をした勝賀山が背景となって美しかった。
竹鼻(岐阜県羽島市)
Movie
2006年9月

岐阜羽島駅から赤い単線の電車(名鉄竹鼻線)に乗り換えて3つめの竹鼻で降りる。竹鼻は羽島市の中心市街。竹ヶ鼻城の城下町で、水運により近世には市場町・機業町として栄えた。このあたりは木曾三川の氾濫原で、水害に備えて低い土地では石垣などによって建物を持ち上げて建てている。蔵はさらに高く持ち上げた水屋と呼ばれている。古い町並みは東西、南北の通りの随所に見られる。平入りの町家の1階庇レベルが揃った町並み景観がとてもきれいであった
生野(大阪府大阪市)
2006年9月

大阪の生野は天王寺の東側、大阪環状線の外側である。戦後のGHQ撮影の空中写真を見ると戦災に遭っていないことがわかる。例によって戦後と昭和50年代の2つの空中写真を持って古い町並みの探索である。歩いていくと、「ここからが非戦災地区です」と言わんばかりに古い町並みが始まる。福島区で見かけたような大阪名物ド派手ウダツ系は見られなかったが、スクラッチタイルや銅板貼り外壁の長屋は多く見かけた。
三本木(宮城県大崎市)
2006年10月

これから2時間半で宮城県古川周辺の農村部の3ヵ所の町並みを歩ことに挑戦する。無理なら2ヵ所で諦めるつもりだが、なんとかやり遂げたい。
東北新幹線古川駅から国道4号線を南へ、旧陸羽街道三本木宿の町並みからはじめる。古くは鳴瀬川の河港として大崎米の積出し、旧陸羽街道の宿場町として繁栄した。旧陸羽街道は鳴瀬川を渡っていて三本木の町は川の北側(北町)と南側(南町)に形成されている。街道に沿った路村状で背後は水田である。
中新田(宮城県加美町)
三本木から中新田へは鳴瀬川に沿って急いで走る。中新田は古川から真っ直ぐ西にある、米作地帯にある町。十数年前になろうか、「中新田バッハホール」というのが建てられ町おこしの好事例として紹介されていたのを覚えている。町の目抜き通りは電柱が地中化され整備が進められていた。町の中には米どころらしく、造り酒屋が何軒もみられた。
古川(宮城県大崎市)
中新田から古川へ戻るがまだ時間がある。何とか歩けそうだ。
古川は名前からすると情緒のある町並みが見られそうだが、実はそうではなく七日町界隈にちょこっとあるに過ぎない。緒絶橋のあたりは分かりやすいけれど、ほかは見つけづらい場所にあった。
佐賀(佐賀県佐賀市)
2006年10月

佐賀市内の柳町界隈には旧長崎街道に沿って古い町並みがある。通りには明治期に建てられた銀行建築があって見ごたえはあったが、一部に移築された町家があるなどどこまでオリジナルのものなのかわからないのが気になる町並みだった。しかし、古いものが失われていく中、こういう方法もありかもしれない。
八戸(佐賀県佐賀市)
ちょっと前に佐賀県が観光PRをしていたとき、テレビコマーシャルで「旧長崎街道のノコギリ歯形の町並み」が紹介されていた。佐賀市街の西にある八戸には、ノコギリ歯形状に家々がずれて建っている町並みであるので、おそらくここがコマーシャルの町であろうか。こういうノコギリ歯形の町は他にも見たことがあるが、たいてい「隠れて敵を討つため」と解説されている。でも、両側で隠れる方向は変わるわけで、敵だって反対側の影に隠れられるじゃないか?。この説、私は違うと常々思っている。
早津江(佐賀県川副町)
佐賀平野のクリーク地帯を走り、筑後川河口へ向かう。佐賀県川副町早津江は早津江津と呼ばれる港町でだったことろである。集落は港町というよりは農村という雰囲気だった。棟がL字、コ字、ロ字などの民家が見られた。くど造り、かぐら建てがこの地域の特徴である。
若津(福岡県大川市)
筑後川を渡ると大川市である。ここに「全国遊廓案内」にも載っている遊廓があった。
1980年代まで国鉄佐賀線が走っていて、開閉式の鉄橋が残っており、線路の跡地は緑道と駐車場になっていた。そこに車を止めて歩く。
かつて港があったあたりにはルネッサンス様式の銀行建築が残っており、そこから南が若津遊廓だったと思われる。割と多くの妓楼建築が残っていた。
小保榎津(福岡県大川市)
「日本の町並み2」では大川市の小保と榎津という2つの町を一緒に紹介している。しかし、町はひとつである。不思議の思われたが歩いてみてわかった。道路の脇に石の杭が並んでいるところがあって、ここが久留米藩小保と柳川藩榎津の境界だったという。
御井(福岡県久留米市)
福岡県筑後平野には、文献で紹介されている古い町並みが多い。過去2回探訪しているがまだ未訪の町はある。前回、車の置き場に困ってミスった久留米市近郊の御井をリベンジ探訪する。
旧街道は狭い割りに交通量が非常に多く、落ち着いて歩ける町並みではない。残っている古民家は数少なくなっているが、一棟の整った白壁の居蔵造りが残っていた。切妻破風のトップに魔除けの鬼?がこっちを見て笑っていた。
福岡新柳町(福岡県福岡市)
福岡市内は戦災に遭っているので古い町並みは残っていない。一方で2ヵ所の戦後カフェー街の町並みを見ることができる。
中洲は歓楽街として有名だが、中洲の中は川に面して数軒のそれらしい建物がある程度。中洲から南に1キロほどの那珂川の西側に、長崎丸山、熊本二本木と並び称された新柳町遊廓がある。その遺構は戦後のカフェー時代のものだが、マンション開発の間で僅かな面影を残していた。
福岡大浜(福岡県福岡市)
大浜も博多にあった旧遊廓の一つ。「続赤線跡を歩く」のラフな地図をたよりにかなり探した。表通りにはカフェー系の建物をいくつかみつけたが、今ひとつ訴える力に欠ける。路地に入ってみたらあったあった。装飾タイルバリバリのやつが。画像の出窓はおしゃれであろう。思わず入口に導かれてしまいそう。
取手(茨城県取手市)
2006年11月

茨城県は一通り済んでいる。だが、新たに「いらかぐみ」に加わった大泉旅団さんのリストから歩いていない町並みを我がリストに加えたら、歩いている割合が50%を下回ってしまった。50%計画が全部終わっているならいざ知らず、やってる途中なので気持ちが悪い。休日出勤するついでに東京に一番近い旧水戸街道の取手宿を歩きに行った。11月の大雨の日。着いた時間は夕方ではかなり暗い。何とか歩けたが取りこぼしもあり。
名駅(愛知県名古屋市)
柳橋中央市場Movie
2006年12月

NHKの「小さな旅」で名古屋駅の至近に戦後につくられた魚市場があると紹介されていた。この日は仕事で桑名に行くので、予定より家を早く出て、柳橋中央市場と名駅5丁目の非戦災地区を歩いた。朝早かったので、市場は大変賑わっていた。ムービーからその雰囲気が味わってもらえるだろうか。
若松(福岡県北九州市)
2006年12月

中国の上海への出張が、高松出張の翌日から入った。東京に戻って成田経由で行くより、博多まで新幹線で移動して福岡空港から飛ぶほうが効率的である。おまけに、高松から岡山に出て寝台特急なは号で一泊すれば、明朝北九州市の若松を歩くオプションつきだ。
この計画を実行したのだが、九州は日の出が遅い。天気も悪く日の出時刻だというのに明るくなってこない。若松では暗闇での探訪開始とあいなった。
川崎大師(神奈川県川崎市)
とんとこ飴Movie
2006年12月

休日にこうも続けて単独行動をしていれば、当然家族からのブーイングは避けられない。娘を連れて近在の町並み探訪に出かけた。川崎大師は初詣で訪れる人の数では全国第三位だとか。歴史ある建物でも門前町でもないが、お土産物屋がいろいろあって面白い。飴屋の飴を包丁で切る音、ダルマの並ぶ店。子供の学力アップを祈願しダルマを買って帰った。
東京大(東京都文京区)
2006年12月

沖縄の集落探訪から帰った翌週、仕事納めの最終週である。12月27日は今年仕事でお世話になった東大建築学科の先生のところへ、年末の挨拶かねて伺った。キャンパスの銀杏はほとんどが落葉し、地面は黄色のじゅうたんとなっていた。東大キャンパスでは建替え工事が盛んであるが、近代建築の保存も行いながら、歴史を大切にしたキャンパスの再整備が進行している。
10月11月は仕事とプライベートの旅の両方が重なってとんでもないペースで地方に出かけた。たとえば、宮城県を歩いた週末に愛媛県の四国西巡礼前篇をやり、次週に北部九州を一日歩いて、その2日後に四国西巡礼後編をやるという具合だ。2006年は、前半おとなしくしていたにもかかわらず、197ヵ所の集落町並みを歩いた。