国府津 震災復興で築かれた看板建築の町並み

神奈川県
小田原市
国府津3



交通

JR東海道線国府津駅下車徒歩




国府津



2006.01.14
国府津駅といえば東海道線と御殿場線が分岐するローカルな駅であるが、その昔は大した駅であった。1887年(明治20年)に東海道本線が開通した当時は、現在の御殿場線が本線で、国府津駅は機関庫を備える重要な駅であった。その頃の東京発神戸行の特急燕号が、東京を出た後横浜に停車し、その次に国府津に停車していた(沼津は通過していた)のだから、その重要度は解かるであろう。1934年(昭和9年)丹那トンネルが完成後御殿場線はローカル線に格下げになり、国府津駅の交通上の地位は低下した。
相模湾に面した海岸段丘上の国道1号線(旧東海道)に沿って国府津の町は形成されている。上記のような歴史からすると、明治から昭和初期にかけて造られた出桁造りの町並みが残っているものと思える。しかし、旧道がそのまま拡幅された国道1号線には沿道の出桁造りの町家が多少残っている程度である。変わって特徴的なのは看板建築が多いことである。国府津は戦災に遭ってはいないが、大正12年の関東大震災の震源地に近く被災していた。現在見られる道幅の広い看板建築を特徴とする町並みは震災復興後に形成されたものである。
国道1号線はバイパス化せず旧東海道を拡幅するかたちで走っている。その割りに古い町家や看板建築が残っている。その理由は震災復興後の町並みであるからだ。(上)

国府津駅から旧東海道に出てきたところ。(左)
3階舘の看板建築。
出桁造りの町家と震災後生まれた看板建築とが並列した町並み。
正面から見たら鉄筋コンクリートか煉瓦造であるが、サイドから見ると明らかに木造簡便建築である。(左)

相模から駿河地方の東海道で見られる2段出桁造り(こう呼ばれているか解からないが)が多少見られる。看板建築と同時期に建てられたものであろうか。(左下)

国府津の看板建築の中で最も見ごたえのあるのが、この石田サイクル店。(左)

町並みから引っ込んだ位置にも洋風住宅があった。(昭和4年)(上)

この建物は前面だけがモルタル塗りの建物ではないのでRC造か煉瓦造ではないかと思われるのだが・・・不明。元1階が郵便局で2階が銀行だったという。(大正13年)
(左上)(左)

国府津の町から海を見る。海より高い海岸段丘上に町があることがわかる。(上)
参考資料 リンク
小田原市

参考文献