旧中山道 京発四日目(2004.02.21)
旧中山道京都発は三日目を終え江戸から61番目の醒井宿まで来た。ここから河渡宿までは過去に訪れているので跳ばすこととする。醒井の次が滋賀県内最後の60柏原、岐阜県に入って59今須、58関ヶ原、57垂井、56赤坂、55美江寺、54河渡、長良川を渡って53加納宿へとつながる。
昨晩岐阜入りし、駅前のビジネスホテルに泊まった。ちょうど一年前も同じホテルに泊まって西濃地方の輪中集落と中山道などの宿場町を精力的に廻ったが、今日は東濃地方の中山道の宿場町を歩く。
名鉄新岐阜駅から名鉄本線の鈍行に乗り、2駅目の茶所(ちゃじょ)で降りる。駅前の踏み切りは旧中山道で、古い民家が並んでいる。踏み切りを渡って中山道を西へ進む。加納宿延長の町並みが始まるが、このあたりは川を何本も横切っているため旧街道の線形が追いにくい。こういうときには意外にも古い道標が役に立つ。途中、名鉄の踏み切り近くに岐阜道との分岐点があり、岐阜道側に木造三階建ての町並みを発見。本町に入ってからは本陣跡、脇本陣跡の表示だけでモノは無い。加納宿の西の端辺りで若干だが古い民家が現れる。岐阜駅への戻る際に全国に名をはせる風俗街「金津園」を歩く。東京の吉原とは違って早朝は営業していないらしく呼び込みの兄さんたちはいない。メインストリートは近代的な建物だが、裏道や街の外れにかつてのカフェー建築が確認された。
岐阜駅前でレンタカーを借り、ここから旧中山道を行けるところまで東へ進む。旧中山道沿いは宿場でなくても割りと古い町並みが残っている場所が多い。こういう無名の町並みも残っていれば時が経つと貴重になってくる。だから集落町並み探訪は終わりがない。
国道21号線バイパスから鵜沼宿手前で旧道に入る。例によってまず宿場を通り過ぎ町並みの規模と所在を確認してから歩くことにする。しかし、あまり目に留まるものも無くさっと通り過ぎてしまった。鵜沼宿は明治24年の濃尾地震で壊滅的な被害を受けたらしく、その後の復興が思わしくなかったためか、あまり古い町並みが残っていない。
鵜沼宿を歩いた後国道21号線をさらに東へ、美濃加茂市の太田宿へ向かう。途中の木曽川は日本ラインと呼ばれる急流下りのある場所で独特の景観を見せる。このあたりは私の祖父の出身地で、子供の頃よく訪れた場所である。川の風景は変わることは無いが、祖父の実家のあたりはまったく変わってしまっており「あの頃集落調査を始めていたらなぁ」と思うがそれは無理というものだ。
太田宿は中山道屈指の難所である木曾川の渡しの手前の宿場。川止めなどによって多くの旅人がこの宿場に泊まったことであろう。なかなか立派な本卯建をあげた町家が見られる。
再度、国道21号線を進む。次は伏見宿だがいっこうに旧道の分岐が無い。道幅が狭まって渋滞が始まったらそこが伏見宿であった。国道がバイパス化されずに宿場の中を突っ切っているのである。その割には道幅が広げられずに町並みも残っている。しかし、交通量はすさまじくトラックやダンプがバンバン通り過ぎるし、信号のタイミングで定期的に渋滞が発生する。ゆっくり町並みを眺めて写真を撮ることができない。黒煙にまみれ痛々しい町並みは、それでも近くに木曽川の川湊があり栄えただけのことはある。
いよいよ平野は狭まり中山道は山の中に入ってくる。その谷口に第49番目の御嵩宿がある。御嵩宿は、本陣跡周辺に僅かながらだがまとまって古い町並みが残っていた。商家竹屋は尾張に名だたる豪商で、資料館として内覧できる。御嵩は中央線開通までは東濃の中心で郡役所もあった。中央線が通ることに反対しなければ今のように寂れてはいなかったであろう。栄えた街ほど鉄道を迂回させその後廃れるというのも皮肉な現象である。町並みファンにとっては残っているのでうれしいのだが・・・。
旧中山道は御嵩から平野とは分れ、集落の少ない丘陵地帯を行くため急に風景が変わる。人家の無くなった県道を走るとやがて細久手宿の集落に着いた。細久手宿には今でも営業を続けている旅籠がある。外観的にはほとんど手を加えておらず、徒歩時代の宿場にタイムスリップしたような建物だ。その旅籠の前をやたら改造された車が通る。近くに瑞浪モーターランドなるミニサーキットがあるためだ。だが、彼らはみんなゆっくりと走っており地元の方々に配慮している。
瑞浪モーターランドの入り口を過ぎ、琵琶峠を越えると 田園がぱっと開ける。
大湫宿である。 大湫は前に来たことがあったがこれまた記憶が崩れている。結構奥行きのある町だったように記憶していたが、街道一本に張り付く小さな宿場町であった。デジカメ時代になって記憶代わりにバシバシ撮影できるようになって本当に助かる。観音堂に上って町並みを見下ろしたり、町家を撮影したりしたが、後で昔の写真と比較したら同じアングル。比較研究には重宝するが自分の記憶力の研究にも役に立った。
大湫宿から旧中山道は直線的に大井を目指すが、車は中央線の釜戸から国道19号線経由となる。恵那市の旧市街は旧中山道の大井宿と中野村で、駅前こそ高度成長期時代の商店街に更新されているものの、立派な旧家か割と残っている。大井宿は東西のメインストリートを歩くと、なぜか旧家が脇道に面して建っているので不思議に思う。実は、脇道と思った通りこそ旧中山道で、6つの枡によってたくさん折れ曲げられている。大井宿は、知っていないと宿場町の線形を辿り損ねる複雑な宿場町であった。
ここまで来て、もう一歩中津川宿!とも思ったが、どうしても関市辻屋のうなぎが私に食べてほしいと呼んでいる。中央自動車道に乗って春日井インター近くにある先祖の墓にお参りしたあと、高速道路を使って美濃関へ急いだ。関の商店街にある名代辻屋はうなぎの名門。外がパリッとしてて中がふっくらしているうな重は絶品である。美濃に来て辻屋に寄らないで帰ることは私にはできない。
これで、旧中山道の旅も江戸発、京発ともに木曽路を残すだけとなった。「いらかぐみ」木曾オフ会が開催される5月の奈良井宿での江戸発京都発ルートが合体する。次回はいよいよ終盤「木曽路」攻めとなる。
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