西濃(2003.02.08) 輪中、中山道、美濃路、岐阜
西濃地方には、輪中集落や宿場町などがまとまってリストアップされている。今回はそれらを一気に巡ってしまおうという無謀な計画である。
金曜の夜、岐阜に入った。早朝からスタートするためレンタカーは前夜に借りておく。土曜の朝6時、まだ真っ暗の中、ホテルを出た。明るくなる前に今日訪れる最も遠い地点まで辿りつかなければならない。木曽川の土手道は信号も少なく狭いが走りやすい。仕事車がほとんどだったがまるで高速道路のようだ。木曽川、長良川、揖斐川が集まる地点、治水神社に7時に到着した。
高須輪中
輪中とは、木曽川、長良川、揖斐川が集まる濃尾平野に広がる、大小いくつもの河川に囲まれた低地帯にある集落のことである。これら大小河川は幾度も洪水を繰り返してきており、この地域に住まう人々は河川の改修、堤防の築造、排水設備の構築などの治水工事を行いながら、自然堤防の微高地に集落を形成してきた。治水神社から北上しながら海津町の集落を巡る。各屋敷は少しでも高くしようと石垣を積んでいる。水屋と呼ばれる倉は、洪水時の最後の砦としてより高い石垣の上に築かれる。高須の町は海津町の中心で微高地の尾根道に沿って町並みが形成されている。
海津町高須
海津町高須
幡長
海津町から輪中地帯を北上し平田町へ。長良川の南濃大橋の袂に幡長の町並みがある。屋敷は石垣で高いが、水屋と呼ばれる倉をさらに高くした典型的な輪中住宅が見られた。
幡長から大垣へ向かう途中の輪之内町は、治水のためのくねくねした堤防が至るところに見られる。
幡長の町並み
辻に建つ町家
水屋が一段上がっているのがわかる
大垣船町
大垣城址周辺には古い町並みは残っていない。芭蕉の「奥の細道」結びの地である船町港周辺に残っている。現在の中心地と離れているためしばらく見落としていた。
大垣船町は城下と伊勢とを結ぶ河港で栄えた町で、名古屋と中山道垂井宿とを結ぶ脇街道美濃路に沿って古い町並みが残っている。
運河の港跡。住吉灯台がある。
旧美濃路沿いの町並み
道路が広い割りに残っている
港近くの商家。看板洋風建築も。
垂井
垂井は中山道と名古屋からの脇街道が合流する宿場町。国道が迂回したため旧道に町並みが残っている。
旧中山道沿いの商家
旧中山道沿いの商家
旧中山道に直行する通り
一本南側の通り、醸造場のレンガ倉
関ヶ原
関ヶ原は国道が迂回しなかったため、国道沿いに若干町並みが残るが歩くには騒々しい。ただし、不破の関手前で国道と旧道が分かれており、関の前後に静かな町並みがみられる。
国道沿いの町家
不破の関跡。道路は旧道。
旧道沿いの町並み
今須
中山道で岐阜県最西の集落、今須。県境の向こうは滋賀県柏原宿へ通じる。柏原でも見られた赤瓦が目立った。
今須の町並み
今須の商家
揖斐 城下町から発達した揖斐川の谷口集落。町並みは街道に面するが、町並みに並行して、裏手を清らかな水路が流れているのが印象的だ。
揖斐の町並み
造り酒屋
町並みに並行して裏を流れる水路
下座倉
揖斐から美江寺へ揖斐川に沿って走る。樽見から流れる尾川と揖斐川とが合流する三角地帯に典型的な輪中の形態が見られる集落を発見した。
高い石垣の上に屋敷を構え、隅に水屋を据える。石垣の上は垣根を巡らせ、入り口は緩やかな階段とし門を備える。
川の合流地点のため石垣はより高い
石垣と垣根。平野は風も強い。
入り口の緩やかな階段と門
美江寺
旧中山道の宿場町。町並みの中ほど熊野神社前で街道は90度折れ、揖斐川を渡る。
右が加納宿、左が赤坂宿へ
神社の赤坂よりの町並み
神社の加納宿よりの町並み
河渡
京都方面から進んできた中山道は、この河渡宿で長良川を渡る(小紅の渡し)。小規模な宿場であるが多少の町並みが残っている。
河渡の町並み。正面が長良川土手。
あまり残っていないが面影はある。
屋敷の背後は石垣で高く。
墨俣 河渡宿から長良川を南下し墨俣の町に至る。有名な一夜城が復原されそびえている。名古屋と中山道垂井宿を結ぶ旧街道美濃路の宿場として栄えた。旧道に沿って町並みが起こっている。一本北側の通りにも残っているが、建物のスタイルからかつての遊郭と思われる。
一夜城跡
旧街道の町並み
遊郭らしき一帯にある住宅
笠松
近世、重要な木曽川の河港として発達した町。東海道本線の通過を拒否したため一時衰退したという。その後、機業地として繁栄し、「美濃じま」織物の原産地となり繁栄した。
目抜き通りの町並み
連国寺周辺に町並みが残る
連国寺参道
岐阜川原町
県庁前に車を置いて、長良橋まで旧市街を往復して歩いた。中之島にある川原町は歴史的町並みとしては非常に質が高いが、外堤より南側一帯も見所だった。また、町並みのあちこちから、山の天辺にある岐阜城が見え隠れするのも印象的だ。
川原町の町並み
川原町の町並み
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