ばんえつ物語
 

2005年の夏、お盆休みの家族旅行を何処にしようか。先月の肥後・肥前炎天紀行では猛暑でひどい目にあった。もうこの夏に南西へは向かいたくない。家族旅行なので、優先順位は娘の要望、次に女房の要望、最後に自分である。
計画の与条件は、@暑くないところ、Aみやげ物屋があるところ、Bプール、テニス、パターゴルフで遊べるところ、そしてC集落町並みは極力少なくすること。ということで、基本的には北へ向わなければならない。そして宿泊場所は高原リゾートにセットするしかない。しかし、それに反して自分としては何とか新潟県の集落を巡りたい。そこで考えた計画が、東京を中心にした半径約300km内角90度の扇形の外周を半時計方向に回る旅、名付けて「ばんえつ物語」である。
越路古道(福島県田村市)
常磐自動車道いわき中央ICで降り、大好きな国道399号線で北上する。なぜ好きかって?、それはお盆だろうがゴールデンウイークだろうが常にガラ空きだから。阿武隈山系の道路は緩やかで見通しがよく走りやすいのもいい。
旧越路町で国道288と交差する。そのとき旧道にチラッと目を引くトンガリ屋根が見えた。引き返して国道288号線の旧道(旧越路街道)を走ってみると曲り家の民家がたくさんあるではないか。今までなぜ気付かなかったのであろうか。車を置いてさっそく歩くことにした。家族からは何で〜とさっそくのブーイングである。

三春(福島県三春町)
今晩は宮城蔵王のホテルを予約している。古道からそこへ行くには阿武隈山系を越えなければならない。国道288号線を西へ向う。と、三春という町がある。桜で有名な町だが、今は夏、桜が無いので何を見ようか。そう、町歩きをするしかない。
車から出るのが面倒くさいという家族を車の中に置いて町を歩く。三春は城下町だが街道伝いに町が発達しているのでかなりの距離がある。表通りはさほどではないが、裏に回ると土壁や漆喰壁の蔵造りの町並みが現れた。東北南部の蔵造りの町並みが始まった。
角田(宮城県角田市)
夏休み二日目は一日ホテルで娘の勉強を見たりプールに入ったりしていたが、やることがなくなってくる。午後遅く、「夜は町で夕飯を食べよう」と町に出かけた。となれば「途中にいい町があるから歩きたい」と何気なく町並みを盛り込む。
宮城県南部の田園の美しい平野部に阿武隈川水運で栄えた2つの町がある。まず角田を歩く。宮城県らしく海鼠壁の蔵造りの住宅が間隔をおいて残っている。だがそんなに派手ではない。表通りから横丁に入ったらモルタル吹き付けの洋風の長屋建築があった。レトロな雰囲気抜群の建物だった。
丸森(宮城県丸森町)
日が暮れてきたので急いで丸森に行きたいのだが、前を走る車がオバヤンの運転で超トロトロ。抜くに抜けない、地方で時々出くわす現象。結局、丸森まで付き合ってしまった。
滔々と流れる阿武隈川を渡ると丸森の町である。なるほどかつての河港だけある。中流域だというのに水量が豊富だ。町は家族3人で歩いてみた。土産物でも売ってそうな資料館があったがすでに時遅く閉館。表通り、裏通り問わず多くの蔵造りが並んでいた。
津川(新潟県阿賀町)
三日目は宮城県の宮城蔵王高原から新潟県の妙高高原まで移動する。山形県を経由すると時間がかかるので、東北道→磐越道と高速を使う。会津を抜けて新潟県に入り津川インターで下りた。津川は以前に通り過ぎただけで歩いたことが無かった町だ。
今日は夏日だが気持ちのよい朝、家族で津川の町を歩き始めた。津川は昔、会津藩・福島県だったそうで、会津とは結びつきが強い町である。ここでは新潟県で雁木と呼ばれるアーケードがトンボと呼ばれている。トンボの町並みは明らかに新潟県らしい。津川も阿賀野川の河港として栄えた町。北前船で運ばれた物資は川を上り、ここ津川から陸路で会津へもたらされたという。
村上(新潟県村上市)
津川からまた磐越道にのる。山間を抜けると新潟平野が広がった。その青田の美しいさといったら無い。これぞ新潟という風景である。細長い新潟県の北部の都市、村上に向う。
以前、12月に村上から粟島へ渡ろうと夜行列車で降り立ったことがあった。だが、天候が悪く島には渡れず、駅の周りを歩いたことがある。そのとき、「何も目立った町並みは無いな」と思ったのだがそれもそのはず、村上の町並みは駅から遠く離れた場所にある。
村上は城下町で、当時の町割りが残っている。武家屋敷は移築保存がされているものの町としての面影は無い。だが、町人町と寺町には面影が感じられた。
岩船(新潟県村上市)
粟島へ渡れなかった冬から2年後の秋、村上の近くの岩船港から粟島に渡ることが出来た。そのとき、岩船には古い町並みなしと判断していたが、その後出版された「日本の町並みV」に紹介された。ならば、ちゃんと歩かなきゃならない。
岩笛は、帆船時代に北前船の寄港地として栄えたようだが、町並みにはそのような繁栄時代のストックが感じられない。村上へ続く旧街道も裏町もこれといった目ぼしい町並みが見当たらない。2,3軒がちょっと並んだような場所があるだけである。見落としがあると後悔するので再三クルマでも周ったがあまり残っていなかった。
瀬波(新潟県村上市)
瀬波といえば瀬波温泉が有名である。最初、瀬波温泉そのものが古い町並みだと勘違いし車窓からチェックするがそのような代物ではない。おやおやと海岸線を北へ進んでいったら、温泉街とは随分離れたところに町並みが現れた。瀬波上町は、三面川の河口に形成された、城下町村上の外港だった。
町は海に近いところが高く、そこから緩く下りながら村上方面に向って直線的に延びている。坂の上から見た町並みはなかなか壮観である。
移動の途中とはいえ、家族からはいい加減にしろというクレームが出た。急いで妙高高原のペンションへ向うことにした。
筒石(新潟県糸魚川市)
夏休み四日目は妙高高原でお決まりレジャーである。テニスをやってパターゴルフを18ホールラウンドし終えたころ、猛烈な雨となった。こうなると高原リゾートでは何も遊べない。娘も女房も結構楽しんだという顔をしている。それじゃせっかくの夏休み、時間が勿体無いから集落へいこうということになった。
北陸自動車道を西へ進む。豪雨とにわか雨が交互にやってくる変な天気だ。

筒石は10年前に訪れたことがあったが車が置けず諦めたことがある。今回は何が何でも歩きたい。集落の上の道にうまいこと駐車スペースがあったのでそこに停めて歩く。当然、家族は車の中で待機だ。
急な階段を下り、木造三階建ての家と家の間の路地を抜けると集落内の通りに出た。そこで町並みを見た私は痺れてしまった。車の入れない細い通りに木造3階建てが並んで延々と続いているではないか。町並みを歩きたい流行る気持ちを抑えながらまず東のハズレまで歩く。するとそこには荒海に臨んだ舟屋群が。ここでまた痺れた。感動しながら町並みを歩く。西へ抜けると港である。そこには大きな共同の舟屋が並んでいた。ここで、3度目に痺れてしまった。筒石は日本海岸屈指の漁村といっていい。
能生小泊(新潟県糸魚川市)
能生港は新潟県内随一の漁獲量を誇る港。ここも以前訪れたものの車の置き場に苦心して歩けなかった。新しい港の埋立地が出来ていたので、今回はそこに置き港の周りの集落を歩くことができた。
小泊集落は、筒石とはまた違った構成で、斜面上にある。港から上っていく縦道と等高線に沿った横道が梯子状に絡み合った集落が800Mほど続いている。木造3階建ては筒石ほどではないが多く見かけた。
能生(新潟県糸魚川市)
能生小泊の西には旧北陸街道の宿場町がある。旧道は国道8号線と分岐して能生の商店街となっているが、商店が途切れる辺りから古い町家が残っていた。町並みとしては面影を残すギリギリの状態だが、旧街道の宿場町であるがゆえ取り上げることにした。しかし、直江津や糸魚川で見られる雁木が見られない。ただ、商店街の建物は連続してはいないが雁木状に下屋を出している商店も見受けられ、もとは雁木があったものと思われる。
糸魚川(新潟県糸魚川市)
糸魚川は松本始点のJR大糸線の終着駅としての印象が深い町である。何度か通り過ぎてはいたものの町並みは歩いていなかった。車を銀行の駐車場に停めて歩いてみる。旧街道沿いの本町の町並みは、横町交差点から大町交差点までの数百メートルであるが、しっかりした雁木の町並みを見ることが出来た。これは明らかに市が町の景観形成を考えて整備しているようで、雁木は新しいものなれど既存との関係が不自然ではなく好感が持てる。
別所(新潟県糸魚川市)
糸魚川は松本へ至る塩の道「千国街道」の起点である。その千国街道を辿り、越後と信濃の県境に近い雨飾山の麓の大久保集落に向かう。上流が大雨で濁流となっている姫川と別れ支流沿いに峠に向かっていくと雨足が激しくなってきた。峠下の大久保集落はもう廃村同然で家も数軒しか残っていない。残念であるがリストから削除するしかなかろう。だが、大久保の下の別所集落にはトタンカバーであるが、いい民家が集まっている。何処にも紹介されたことの無い集落だが、大久保に代わる千国街道沿いの集落として取り上げることにしよう。
市振(新潟県糸魚川市)
日本海岸の親不知子不知は北陸街道の難所中の難所として有名だ。北アルプス最北端の黒姫山(1222m)がストンと日本海に落ち込んだ断崖絶壁の海岸は、街道の関所を設けるには最高の場所であった。市振は京から越後国へ向かう北陸街道の関所のある宿場町である。新潟県であるが先の親不知子不知で取り残されたような場所である。町並みは期待に反して残ってはいなかったのは残念だ。
この地は、元禄2年(1689年)7月12日に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅すがら、宿に泊まっている。
「一家に遊女もねたり 萩の月」(松尾芭蕉)

福島県から宮城県を経由して新潟県の端っこまでの旅も、ここ市振でThe Endである。14箇所の集落町並みを歩いたが、その8割で女房子供は車の中で待機していた。
「興味なく妻子も寝たり 集落町並み」(nomnom)