市振 | 親不知子不知の難所を控えた北陸街道の宿場町 | |
新潟県 糸魚川市 (旧青海町) 市振 交通 JR北陸本線糸魚川駅下車 市振 2005.08.15 |
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江戸時代初期、徳川幕府は全国に53ヵ所の関所を設けたが、「市振の関」はその中でも重要23関の一つである。飛騨山脈(北アルプス)が日本海に落ち込む険しい親不知子知を控えた、北陸街道の越中越後国境の要衝として、寛永年間に設けられた。北陸街道を西から進んできた旅人の多くは、親不知子知の難所を控えてこの宿場に宿泊したと思われる。松尾芭蕉も元禄2年(1689年)「奥の細道」の旅の途中、一夜の宿をとっている。「一家に 遊女もねたり 萩と月」と詠われた桔梗屋跡の碑が立っている。 町並みは板壁の民家が建ち並んでいるが統一感は無く、古い家も少ないようだ。宿場の東の入り口に「弘法の井戸」と呼ばれる伝説の井戸が残っていた。 |
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市振の町並み 東方向を見る |
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市振の町並み 冬季の風雪はさぞ厳しいのであろう。古い家はみな板壁である。 |
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明治天皇市振御休所址 | ||
市振の町並み 西方向を見る。 |
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土蔵を持つ家があった。全体的に大きな屋敷はない。 | ||
市振の町並み 西方向を見る。 |
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市振の町並み 妻入、平入は混在している。 |
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村社 白鬚社 土地が狭集落の直ぐ後ろを国道8号線が走っているので、神社への参道が国道下の狭いトンネルになっている。 |
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保存されている古民家 (場所は市振集落から離れています) |
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参考資料 | リンク 糸魚川市 参考文献 |