にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第14日 西神(兵庫県)~徳島(徳島県)
     淡路岩屋 淡路由良
  淡路福良 藍住
 

岩屋(兵庫県淡路市)
 
 第14日は、予定ではまず徳島まで走って藍住を歩き、戻るように淡路島の3つの町を歩いてから明石でクルマを返却、新大阪駅で終える予定であったが何か物足りない。次回は紀伊半島からだけど、面白いつなぎ方はできないものだろうかと考えた。旅先での気まぐれはとっても危険だけれど、新大阪で終わる計画が気に食わない。私は、本日の行程を北から順番に行くことにし、最後を徳島で終えることにした。そうすれば、第15日は徳島から和歌山に渡るフェリーでつなぐことができる。次回の旅をちゃんと計画してるわけじゃないけど、何とかなるであろう。

明石海峡大橋(Wiki)

 四日目なので当然疲れている。ホテルをゆっくりチェックアウトしてクルマを動かした。近くに高速のインターがあったのは楽で、あっという間に明石海峡大橋を渡り、橋の下にある岩屋の町に着いた。
 岩屋は長い歴史の中で、常に淡路やその先の四国への本州からの玄関口だった。しかし、明石海峡大橋が完成した現在、その役目は明石との間のたこフェリーの運休とともに終えてしまった。長い歴史に終止符が打たれたみたいにさびしくなっている。メインの商店街は、ちょっと前までにぎわっていたであろうことが想像できるし、背後に広がった街も阪神淡路大震災の震源地に近かった割に古い建物がよく残っていると思う。町の後ろの丘に登って町を俯瞰した。明石海峡大橋のダイナミックなスケールには圧倒された。
 
岩屋の集落内の空き地
 
 淡路島も全体的にゆっくり回りたいが、今回は時間がないので高速道路を使ってサクッと移動する。紀伊水道のもっとも狭まっているところにある港町由良。実はこの集落、25年前に東京から四国を経由して九州まで行く旅行の途中で通ったことがある。この白黒写真はその時のもの。なんと狭い道なんだろうと思ったが、当時運転技術が未熟だったのと海岸沿いにバイパスができていなかったからだろう。今回、再訪という形で歩いた。ところが、またもや昨日の福知山のような雷雨攻撃。何とか全域を歩いたもののひと苦労した。

25年前の由良

 福良は鳴門海峡を四国へ渡る船の発着港である。さっきの由良とは打って変わってお天気となり、歩くとやや暑いくらい。町並みはこれといって特徴がなく、港町っぽいというだけのものだが、淡路のいぶし銀本瓦がきれいである。このやややる気のない文面からお分かりだと思うが、体力はすでに限界に達している。近くに阿那賀という漁村もあるが、クルマで流し良さそうだと感じたものの降りて歩く気がしなかった。またくりゃいいさ。


福良の町並み
 

岩屋商店街の町並み

岩屋の銭湯

由良の町並み
由良の町並み

福良の町並み

福良の町並み
 

 大鳴門橋を渡って徳島県に入る。そういえば、第11日のランチで高松にいるというのに徳島ラーメンを選択したが、第14日の最終地も徳島を選択してしまった。このことが、次回の自分を苦しませなければ良いのだが。
 徳島平野吉野川の支流に囲まれた中島地域にある藍住町をクルマでグルグル回りながら藍屋敷を探す。しかし、古い状態が維持されている屋敷が見つからない。以前この町に来た時も時間切れで探し出せなかったが、今回は何が何でも取材を終えなければならない。とりあえず「藍の館」なるガイダンス施設に行ってみた。藍屋敷の一つ奥村家住宅は公開されているのでそれを見学。そして、周りの集落を歩いてみたら、長屋門や蔵を敷地の外周部に配置する藍屋敷の形態をとどめたお屋敷が数軒あった。なんだ。ここだったのか。そこを取材してひと安心。無事、第5弾すべての訪問地をクリアした。後は、徳島で終わったことを証明する画像を記録すればおしまいである。

藍屋敷 旧奥村家住宅

 徳島空港にクルマを向けた。徳島空港は、現在「徳島阿波おどり空港」と言ってターミナルが新しくなったばかり。空港へ向かう道路も新しかった。空港に近づきながら動画用のカメラを回し、空港ビルを記録して長い4日間にわたる旅は終わった。

徳島阿波おどり空港
 


藍住徳名の町並み

【回想】 藍畑(徳島県)
藍住と同様の藍屋敷の集落


【回想】 脇町(徳島県)
藍商の町並み
 
 
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