湯浅 細街路で埋め尽くされた醤油発祥の町

和歌山県
湯浅町
湯浅




交通

JR紀勢本線湯浅駅下車徒歩






湯浅





1996.09.17
2012.06.16
 湯浅町は和歌山県の西側、紀伊水道に面し山田川と広川に挟まれた町である。15世紀半ばに熊野街道筋にあたる現在の道町界隈が発達し、16世紀以降道町から海に向かって順次市街地化し、現在の旧市街地の骨格が形成された。また、湯浅はわが国の醤油発祥の地としても知られる。現在の日本の醤油は、鎌倉時代、湯浅の南方由良町の興国寺において僧覚心が宋の径山寺味噌の製法を人々に伝え、湯浅の金山寺味噌の元となり、その創造過程で醤油が発見されたのが起源とされている。その後、地下水などの資源や流通経路に恵まれ発達した。
醤油と金山寺味噌の醸造所の建物群は、重厚な本瓦葺きの町家と醸造蔵は、旧市街北部から中央部にかけて見られる(国指定重要伝統的建造物群保存地区)。また、この地域の拠点としての繁栄の姿は、熊野古道沿いの大正期の町家、その隣にある遊里跡等にみられる、さらに、湯浅の旧市街の魅力は、モータリゼーションに対応して道路拡幅整備が余りなされておらず、全体に路地網が張り巡らされている点である。

山田川沿いの大仙堀に面する醸造所の町並み(上)

北町通りの町並み
加納家:大正10年建築(左上)
竹林家:古くは醤油と漁網の販売を営んでいた(左下)
北町通りの町並み
太田久助吟醸:江戸後期建築、元は醤油醸造家であったが現在は金山寺味噌の製造を行っている(上)

角長:天保12年(1841年)創業の醤油醸造家の町並み(左)

浜町通りの町並み
旧赤桐家:明治40年建築のかつては醤油醸造家の主屋であった。間口の大きさ、虫籠窓、むくりのある屋根が特徴。
鍛治町通りの町並み
熊野古道の道標。天保9年(1838年)の建立で、紀三井寺、熊野、伊勢、高野への参詣道を表示している。
鍛治町通りの町並み
銀行の建物であったものか。近くに町役場もある。
鍛治町通りから中町にかけての路地
この辺りが遊里だったのか。
湯浅では路地をショージという。
大きな長屋が残っていた
広川近くの町並み
参考資料 リンク
湯浅町

参考文献
『日本の町並みT 近畿・東海・北陸』 西村幸夫監修 平凡社