西里(奈良県斑鳩町) |
今日の午後は近畿大学で開催されている建築学会の大会に参加する。その前に大和路の町並みを2ヵ所歩こう。JR大和路線王寺駅からバスにのって法隆寺前バス停で下車する。法隆寺の参道の拡幅工事は一軒の土産物屋が立ち退かず長期化していたが、今やすっかり工事も終わって噂の土産物屋は無くなっていた。法隆寺の参道を歩く普通の旅人なら、99%世界遺産法隆寺を見るだろうが、私は残りの1%である。今見なくても無くなるわけではない法隆寺を素通りし、西門前の西里の町並みに向かう。
西里は法隆寺の作事に携わった人々が住んでいたとされる集落である。西門から続く土壁の築地塀に誘われて歩いていくと、しっかりした大和路ならではの民家が集まっていた。集落の周りは青々とした水田が広がり、まさに「斑鳩の里」といった風景である。
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龍田(奈良県斑鳩町) |
西里の集落は小さかった。田圃の中を歩いて斑鳩町役場の前を西に折れると国道25号線から旧道が分かれている。一直線に西へ伸びている旧道は僅かにアップダウンがあって町並みが見渡せる。沿道の民家は江戸後期から大正期にかけて建てられたものが残っており、本瓦+つし2階漆喰塗籠+1階太格子、という大和路ならではのものだ。大和棟を期待したが、瓦葺きに変わっていたものが1軒だけだった。
一見、宿場町っぽい龍田の町並みだが、龍田神社の門前町だったようだ。門前町というと、通りの突き当たりに神社仏閣があるイメージが強いが、ここでは町の中央に神社が直接付いているタイプ。町の西端には造酒屋があって道が下りながら曲がっているのでいい風景になっている。ここから国道に合流しているが、町並みは国道沿いにも少し続いていた。 |
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学会の発表を終え、会社の同僚と天王寺の飲み屋で打ち上げをして七ちょめさん宅へ。その晩は楽しい酒をあおりながら町並み談義に花が咲く。
翌朝はみんなで近くの旧西国街道(旧山陽道)郡山宿の椿本陣を訪問する。古い町並みとしては残っていないが、本陣だけはしっかり保存されていた。常時一般公開はされていないけれど、この日は七ちょめさんが事前に予約を入れてくれていて、建物を所有管理されているご主人から丁寧な説明を伺うことができた。当時の宿の予約はどうやってしてたのか、参勤交代の裏話、宿賃を踏み倒された記録の話など。当世に重ねた話しっぷりにすっかり引きずり込まれて時のたつのも忘れてしまった。あわてて建物を拝見し、ここで解散となった。私はここからまた一人旅、阪急茨木市駅でレンタカーを借り、再び大和路に向かった。 |
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番条(奈良県大和郡山市) |
奈良盆地には15世紀頃に起源を持つといわれる環濠集落が多く見られる。大和郡山には農村の中にその面影を残した集落がある。
西名阪自動車道郡山インターを降りると旧環濠集落群の中。順番に番条集落から歩く。
番条はロの字型に道が回っていて、多くが立派な門を構えており、それぞれが比較的似通った大きさの屋敷である。つまり、裕福な家が多い集落ということ。これはすごいなぁと歩いていたら途中でパラパラ、ザーッと大雨になった。今日は天候が不安定である。 |
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稗田(奈良県大和郡山市) |
番条の直ぐ近くの稗田集落が2つ目の環濠集落。ここは前に歩いたことがあるので再訪だ。環濠集落の多くは、すでに環濠を失ったものもあるが、稗田には残っている。もちろん造った時のままではないが、ちゃんと水に囲まれている。濠が円弧を描くところに白い蔵があって、集落写真の代表的な被写体となっているが、以前に見たときからきれいにお化粧し直されていた。
集落の中に入っていくと番条のような見所は無い。それでも自分が鳥になって空から眺めたら集落のまとまりが絵になるのだろう。環濠集落は得てしてそういう印象である。 |
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若槻(奈良県大和郡山市) |
稗田集落から南東に2kmほどの位置に若槻集落がある。以前歩いているが、ろくな写真が無い。ここもちゃんと環濠が残っているが、言われなければただの農業用水だと思うだろう。
この集落は見た目がすごいのではなく、残された古文書から集落の形成過程が明らかになるところがすごいのである。鎌倉時代には散村形態であったが、室町時代に集村化し環濠集落となった。集落に入る道は2,3本で、田園風景の中にギュッと家々が集まっている印象である。なるほど、自衛を目的に閉じた集落形態であることは歩いてみるとよくわかる。入口に門でも造れば今でもセキュリティを高めることに役立つかも知れない。
大和郡山にはまだ他にも環濠集落の面影が残っている場所があるが、キリが無いので先に進もう。 |
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穴虫(奈良県香芝市) |
大和郡山が奈良盆地の中心だとすれば、今度は南西の縁にあたる二上山の麓の集落を訪ねる。奈良の道路はとにかく混む。だから極力、高速道路を利用すべきで、郡山インターから香芝インターまでちょっとでも西名阪自動車道を走る。
香芝市に穴虫という無名な町並みがある。文献にはないが「いらかぐみ」のサイトでは紹介されている。それがなかなか良さそうだったので、今回のコースに組み込んだ。
「穴虫」とは変わった響きの地名である。何気に「ちっちゃい」イメージをしながら集落に入っていったら、これまた道の狭いこと狭いこと。両脇が側溝になっているので直のこと狭い。だが、町並みは素晴らしい。大きくかつ伝統的な民家がずら〜っと連続しており、古い町並みの純度は相当に高い。こういう町並みが無名なところに大和路の懐の深さを感じる。 |
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當麻(奈良県葛城市) |
二上山の麓を走って旧竹内街道の竹内集落(たけのうち)に向かう。昨晩、いらかぐみの七ちょめさんから、「竹内に行くんやったら、近くの當麻寺の参道に行かなアカン」と教えてもらった。これも無名な町並みだが、立派な家が並んでいるという。
當麻寺の脇から表門前に出たら参道が真っ直ぐ東へ下っていた。車を置いて参道を往復する。なるほど、立派な町家がドンドンドンと並んでいる。以前は當麻寺への参詣客を相手に栄えたのであろうか。参道の反対側から振りかえって見ると二上山に抱かれた當麻寺が背景となったとなった素晴らしい町並み景観であった。 |
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竹内(奈良県葛城市) |
5,6年前に日本ナショナルトラストの方から「大阪と奈良を結んでいる竹内街道に良い町並みがある。何、行ったことないの?」と言われたことがある。それ以来、行かなきゃ行かなきゃと気にかかっていた場所だ。今回はこの竹内を軸に計画を立てた。當麻寺の直ぐそば、二上山の南側を超える竹内峠がある。アプローチをを楽しむためまず国道で峠下へ行き、下りながら旧道に入っていこう。車の駐車スペースについては昨晩のミニオフ会で、いらかぐみのKさんから聞いていた。「そこから町並みに行く途中に大きな犬がおって必ず吼えるで」とも言われていたのを忘れており、突然吼えられてビックリした。
町並みは国道沿いから始まり、分岐点から旧道伝いに下っている。旧道は連続するS字なので全てが見通せず、町並み景観が段々変化していく。そして要所要所に大和棟の民家が残っていた。大和棟の屋根の傾斜は通りから見上げた時のプロポーションを意識しているという。竹内集落は、地形と道幅と建物のスケールが計算されたかのように絶妙にバランスした町並みである。 |
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御所(奈良県御所市) |
二上山麓から平野部の御所へ。御所は「ごしょ」ではない「ごせ」と読む。この町も古い町並みとして、文献ではあまり紹介されていないが、「どうして?」と思うほど古い町並みがたくさん残っている。城下町を基盤としているので、五番目状にどこもかしこもである。
しかし、こういう五番目状の町並みは歩くのが大変だ。街道なら行って来い+脇道ちょろちょろを歩けば大方網羅できるが、五番目の場合は右上から左下へというように行って来いを繰り返しながら横町も歩かないといけない。こっちは規則正しく歩いているつもりなのだが、 住人から見ればウロウロしている不審者に見られる。通り魔的な犯罪が横行している昨今、「何しているのですか」と尋ねられることが多い。
とにかく御所は、無名ながら古い町並みの質と量において驚かされる町である。 |
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名柄(奈良県御所市) |
再び山沿いへ、葛城山の麓にある名柄を訪れる。大阪府の富田林から水越峠を越えて奈良盆地へ下る富田林街道の宿場町である。ところが町並みは交差する山麓沿いの名柄街道の方に形成されていた。
旧街道はアップダウンしたり折れ曲がったりしている。沿道の民家は切妻平入りを基本としながら、大和棟や入母屋、つし二階・二階・平屋と様々なので、揃っている町並みというよりはシークエンスの変化が印象的な町並みである。
日の長い9月初旬であるがそろそろ日が暮れようとしている。もう一箇所歩きたい町がある、急がねば。
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高取(奈良県高取町) |
名柄から東へ約8km車を飛ばす。何とか明るいうちに到着することができた。高取は城下町だが路村状に町が形成されている。南側の壷坂寺方面から北へ向かって下っている町を歩く。旧街道の宿場町のような町並みである。緩やかに曲がっているので先がわからない。視線の一番奥にある民家を目指して「あそこまで歩けば終りかな」と歩いていく。そこまで行くとまた先があって、次の視線の奥の民家を目指す。そしてまたそこまで行くと先があって・・・、という具合にず〜っと続いている。箱を開けたら箱があって、それを開けたらまた箱があって・・・、みたいである。途中で真っ暗になってしまったためエッジ(端)までたどり着くことが出来なかった。 |
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