若槻 環濠集落への形成過程が明らかな貴重な集落

奈良県
大和郡山市
若槻




交通

JR関西本線郡山駅下車徒歩





若槻




2005.09.04
環濠集落とは、周囲に濠をめぐらしその内側に杜矢や土塁をもち家が密集している集落形態である。その成立は応仁の乱の前後、社会情勢が不安定となる15世紀と考えられている。それまで散在していた家々が、寺社や土豪の居館周りに集まり、自衛を目的に閉鎖的な集落が形成された。大和盆地のには200近くの環濠集落があったといわれている。しかし、近年、環濠は埋め立てられるとともに農地の一部は宅地がが進んでいるため、かつての環濠集落の面影をとどめる場所は少なくなってきている。大和郡山市の郊外にはその姿を残す集落がある。
若槻は古文書から集落の形成過程が明らかになる貴重な例である。鎌倉時代には散村形態であったが、室町時代に集村化し環濠集落となった。環濠は全体によく残っており、特に西側の天満宮、観音堂周辺には土居などの施設も残っている。
環濠の外側は田園地帯。(左)

濠を渡って集落に入っていく。(下)

残っている環濠は農業用の灌漑用水として活用されているのか。(上)

集落内は板貼りの土塀・土蔵が連続する。(左上、左))
屋根が印象的な西融寺
つし2階虫籠窓の民家
板張りの土塀・土蔵がつづく町並み
ここでも主屋は引っ込んでいて見えない。
板張りの土塀・土蔵がつづく町並み。(左)

環濠跡?集落の中を流れている。(下)
参考資料 リンク
大和郡山市

参考文献
『図説 日本の町並み7 近畿編』 太田博太郎他 第一法規