大阪ディープ紀行

追っかけテーマ「戦災のない大阪」「遊里を歩く」のコラボ企画! 
大阪の東部南部を中心に、ディープな町ばかりを歩きます。
題して 
大阪ディープ紀行!!
今回は旅の途中でリアルタイムに掲示板にアップしたレポートを印象記として集めてみました。
※ディープとはあまり知られていない知る人ぞ知る町並みという意味です。


 
この風景、懐かしい!(羽田空港第二ターミナル)
久方ぶりの一人旅です。これから一便で関空へ飛び、大阪南部の遊里と戦災のない町を歩きます。明日は大阪東部の同様のエリア。いずれも最もディープなエリアになります。リアルタイムでレポートをしていきたいと思います。

 
貝塚遊郭 お見事! 星五つです。
京都の橋本に勝とも劣らないほどよく残っています。エリアも広いし起伏もあるし建物もお茶屋風からカフェー調まで様々。遊郭とはこういうものだという博物館ですね。

貝塚の紀州街道沿いの町並みも再訪して駅に戻りました)
 
信太山新地 ちょうこわ!私も現役系を数々歩きましたが、ここは一番緊張しました。毎月20日が定休日なのでよかったですが、営業日だったら撮影不能です。
 
関空に予定通りついて時間が出来たので、泉大津からタクシー飛ばしていきました。運転手さんに新地に行ってくれとは言えず、駅前で降り通りの東側を探したりして見つけるのにてこずりました。でも行ってよかった、すごかった。昭和33年以前にタイムスリップしたようです。袋小路になっていて、完全に用のない人は通過しないような町。辻辻にカメラがあった。
 
 
信太山駅前でタクシー呼んで泉大津へ。七ちょめさんのサイトで町並みのありかをチェックしながら歩きました。毛織物で栄えた町らしく、工場を併設した大きな民家が目白押し。ここも見応え満点です。和泉地方は町並みのレベル高ーっ!
 
堺遊郭 堺にあった栄遊郭、竜神町遊郭跡を歩きました。戦災にあっているので戦後のその時代の建物が2棟あるだけでした。これから南旅籠町の旧遊郭を取材します。
 
うーん、堺南旅籠町、住吉新地ともにスカ。あらしまへんわ。
 
南海電車で天下茶屋へ。ここは戦災を免れた大阪の一つです。旧紀州街道の商店街を北へ歩いて行く大きな建物が見えてきました。。「スーパーサンコー」と書かれていますが、戦前の建物。かつてはいったいなんだったのでしょうか?
 
釜ヶ崎 大阪ディープ紀行も最もディープな街に突入です。以前もさらっと通り過ぎたことがありますが、今回は歩き回りました。しかし、とてもカメラを向けられません。建物だけを数枚撮りましたが、実際はすごい!
 
新世界 通天閣周辺もまた楽しい街ですね。そして通天閣が込み合った街の中で突然現れた。道の上に建っているのは迫力があります。
 
通天閣をくぐって北を目指しました。大阪の電気街日本橋ではフェスティバルが開催されていてたくさんのコスプレギャル(おばさんも含む)で溢れていました。千日前を通って道頓堀川を渡り宗右衛門町へ。ところが足が棒のようになって街を巡る気がしない。さっさとタクシーで上町台地の崖線に形成されの寺町夕陽丘の坂巡りに移動しました。大阪都心部は東京のように起伏に乏しく、上町台地の周りだけです。ですから東京ではたいしたことのない高さの坂道でも大阪では貴重。夕陽ヶ丘で夕陽を眺めたらもう歩きたくなくなりました。今日はよく歩いた!
 
  
大阪ディープ紀行二日目に出発。まずは現役遊郭の大御所二カ所を朝のうちに片付けます。そのあとゆっくりと非戦災地区を歩きます。

松島新地はすごいですね。広範囲に料理店が軒を連ねています。こんなに需要があるものかと。そういえば大阪にはソープ街というものがないですね。すべて古風な料理店形態なのでしょうか。九条駅の北側は戦災を免れていますが南側の松島は確か焼けているはず。戦前の建物に見えてもほとんどが戦後かな。調べてみます。
(大阪ではソープランドは条例で禁止されているそうです。だから古風な風俗街が残っているのですね)
 
都市計画で出来た今里新地は戦災を免れた料理店が並んでいます。一年前カメラの設定を誤ってピンボケ写真になってしまったので再訪。料理店の町並みもさることながら、今回は3角に面取りした建物が向かい合うこの交差点に惹かれました。
 
非戦災地区の大今里。国道308号線の北側に平行した古い道(暗越奈良街道)にうねったいい町並みが残っていました。そこから東へ一直線の今里新道アーケード。
 
隣町、布施にある足代新町はかつての遊郭。現在は飲み屋が軒を連ねる繁華街でしたが、戦災にあっていないため古い建物もちらほらありました。
 
もうすぐ放出のりかえ。これでハナテンと読むとは・・・

 
近鉄→JR東おおさか線→JR学研都市線を乗り継いで鴫野に着きました。駅を出たら地下鉄今里筋線というのがありました。一本で来られたのに!
鴫野東を歩いてスカ。寝屋川を渡って今福南、西、蒲生の旧土手集落にごっつええ町並みが見られました。
画像はそのなかにあった銭湯。ええでっしゃろ!

 
鴫野は寝屋川の南側の町。鴫野西には予測通り戦前の町並みが残っていました。JR環状線の向こうにはOAPの高層ビル群が見え、時代を対比させる町並みでした。
 
戦災のない大阪、次は野江です。野江三丁目を歩きましたがほぼスカなので諦めてホテルに戻ろうとしたのですが、一応七ちょめさんのサイトをチェック。関目成育にまだあるぞと書いてあります。棒になった足に鞭打ってがんばっていったら、そこそこの軒段々長屋が通りいっぱいに繋がていまいした。カットしなくってよかった。
北新地が予定にありますが、もうダメです。夕方の鶴橋に体力を温存しておきたいと思います。

 
大阪環状線の東側の多くは戦災を免れていますが、内側は少ないです。その内のひとつに四天王寺の北側から鶴橋にかけてがあります。北山町は戦前の大きな住宅が残っていました。細工谷にも戦前の町並みがわずかに残っています。起伏のある戦前の町並みは大阪では貴重。東京の四ツ谷に似ているなぁと思いました。
 
 
鶴橋の商店街を取材し、いらかぐみと関西メンバーと合流。ミニオフ会を開催しました。鶴橋駅下の焼肉店。Nolibee(のりべーさん、何と女性)が参加されいつも以上に盛り上がりました。五月に東京で開催されるオフ会にも参加されるとのこと。こりゃ東京でも盛り上がるぞ!

 
今、東京行きの新幹線の車内。昨晩のお酒が残っているのと足首が痛いのとで、ここちよい旅の疲れに浸っています。しかし大阪のディープなところばっかりを歩いた二日間でした。大阪って本当に面白いですねぇ(水野春雄風に)。一番印象に残っているのは、昭和33年以前の新地そのままのような信太山と消費税など明らかに含まれていないと思われる価格でものが売られている日本一のドヤ街釜ケ崎。

今回は、大阪という街から町歩きのためのゲンキをもらった気がします。大阪ありがとう! 
集落町並みWalkerの完全復活です!