貝塚遊郭 大正3年に街から蜜柑畑の中へ移転した遊郭

大阪府
貝塚市
近木



交通
南海本線貝塚駅下車徒歩






貝塚遊郭



2009.03.20
貝塚は大阪湾に面し、中心市街地は紀州街道に沿い、1583年(天正11年)一向宗願泉寺(貝塚御坊)を中心に形成された環濠寺内町である。近世は「和泉もめん」「和泉ぐし」の生産取引が盛ん、廻船問屋による海運業が発達した。明治以降は紡績業が起こり、1934年(明治9年)阪和線沿線に大日本紡績(現ユニチカ)貝塚工場が建設された。
栄えた町には遊郭ができる。明治期の遊郭は、街道に沿って普通の商家と混じって建ち並んでいたが、風俗取締上好ましくないということで、市街地と駅との間に広がっていた蜜柑畑の中に移転することとなった。大正3年にそれまでの場所を廃止し、新地の貸座敷免許者は32名、登録娼妓は六十名であった。
南海本線貝塚駅で下車すると、紀州街道沿いの旧市街に向かってレトロな商店街が伸びている。その商店街の向って左側(南側)に遊郭跡が広がっている。一帯は丘の上にあって旧市街から見ると一段高いところだったようだ。中央にやや広い通りがあってそこに比較的大きな建物が並んでいる。街の成り立ちが大正初期なので建物はその時のものであろうが、後年大阪で開発された飛田新地などのそれと比較するとやや異なり、貝塚の方がゆったり造られている気がする。建物の中にはモダンなものも見られ、遊里探訪の教科書みたいな場所だった。
中央大通りに面する建物。横に庭を配するゆったりした敷地。
玄関周りや2階窓周りに人目を引く装飾が施されている遊里建築の王道。
縦格子を引き延ばしたようなデザインのモダンな妓楼。
中央大通りの町並み
割烹深川は今でも料亭を営んでいる。(上)

一階周りだけモダン化した妓楼。(左)
中央大通りのから一本旧市街側の通りの町並み

中央大通り以外にも遊里系の建物が見られるので、徐々に拡大していったのであろうか。(左上、左下)

遊郭がつくられた場所は丘の上になっている。その段差にかかる路地。(上)

 

段差下の町並み(上、左)
参考資料 リンク
貝塚市

参考文献
『花街 異空間の都市史』(加藤政洋 朝日新聞社)