鶴橋 戦災のない大阪 戦後の闇市から発展した商店街

大阪府
大阪市
生野区
鶴橋2



交通
JR大阪環状線鶴橋駅下車徒歩






鶴橋



2008.03.06
2009.03.21
大阪市内はかなりの範囲で戦災を受けているが、JR環状線の東側は被災を免れた地域が多い。鶴橋商店街「つるしん」(鶴橋商店街振興組合)は、終戦後、鶴橋駅周辺に約3000人の露天商が集まり、自然発生した「闇市」を起源としている。ここに焼け出された人々が集まったのも戦災を受けていない地域に囲まれていたからであろうか。彼らはやがて組織化し、東アジアの5カ国(日本、大韓民国、朝鮮人民民主主義人民共和国、中華民国、中華人民共和国)に人々が集まって、昭和22年に300店舗1200人の加盟による「鶴橋国際商店街連盟」がつくられた。その後、「鶴橋商店街振興組合」となり、現在のような横引幕式アーケード屋根で覆われ、現在では二代目三代目の店主が店を継承している歴史と賑わいに満ちた商店街へと発展した。また、商店街の周りは戦災を免れた戦前の建物を多く見ることができる。一方、駅西は焼肉店街として平日休日とも多くの人でにぎわっている。
近鉄電車の改札がアーケード街と連続して存在する。 
つるしん11班通り
用品店もキムチ店もごっちゃ混ぜ

建物はすべて二階建て。2階をよく見ると窓上に庇が付いたりバルコニーが付いている。ある時期まで屋外だったことがわかる。(左上)

鶴橋卸売市場の入口には大きな看板がある。食材は毎朝三重県鳥羽港から直送される。(上)

韓国衣料品店はカラフル(左)
 
鶴橋卸売市場
道が二股に分かれる大空間にかけられたアーケード屋根は大変だったろう。
鶴橋卸売市場
左手は最近ブームの韓流スターのグッズ店
鶴橋卸売市場
一番端の入口(左)

駅西の焼肉店街(左下、下)
千日前通りにかかるJR環状線鶴橋駅の架構
ガード下も店舗がびっしり。玉造駅方面へも商店街が伸びている。
参考資料 リンク
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参考文献