集落町並み印象記


思い立って北関東紀行

みなさん、ご無沙汰しております。2013年8月4日以来の印象記です。この一年、本格的な集落町並み探訪を封印し、ずっと本業関係の著書「生まれ変わる歴史的建造物」の執筆に自由時間を費やしておりました。その作業もようやく終わり静かにしておりましたが、徐々に集落町並み探訪家魂が再燃し始めております。まぁ、それでも小さな旅には出かけていましたので、更新すべきData Baseは50ヵ所以上たまっております。今年はその更新をすることにして、本格的な旅は来年からになるでしょう。
2014年夏休み、リハビリと言ってはなんですが、東京都内や北関東の町並みを日帰りを重ねて歩いてきました。
サイト再開は、<思い立って北関東紀行>から、、、
 
一之江(東京都江戸川区)

都営新宿線の篠崎駅で降ります。昭和の終わり、都営新宿線の一之江、瑞江、篠崎の3駅ができるまで、ここいらは田園の広がる農村で、バス以外の交通機関も無く
「東京のチベット」と呼ばれていました。3駅が開業したのが昭和61年、駅ビルが完成したのが平成3年7月末。設計は若干27歳の私自身であります。懐かしい、、、
当時駅ビル以外何もなかった駅前周辺はすっかり様変わりしていました。
今では組織の上長として、「デザインは要素を減らせ」と日頃若手に言っている私ですが、
当時の自分は若気の至りでしつこいデザインしちゃってましたね。バブル期だったしね。しかし、無茶苦茶忙しかったし、半べそかきながら仕事してた。今となっては懐かしい思い出です。

篠崎駅からタクシーで一之江新田名主屋敷へ向かいます。
江戸時代に新田開発された現在の西瑞江界隈には、かつての名主の住宅が保存されています。堀が巡り、長屋門と主屋と畑地が屋敷内にあります。
前面に穀物庫を備えた南部の曲り家のような角屋造り。間取りを見てください。角屋部分の屋根は外周以外を一本の大黒柱で支えています。周囲にも旧農家の屋敷が散見されました。

 

都営新宿線篠崎駅ビル

一之江新田名主屋敷

一之江新田名主屋敷の間取り

一之江新田の町並み
国分寺(東京都国分寺市)
 
探訪の感覚が戻ってきました。翌日は西東京の国分寺から。
調布出身で国立の高校に通っていた私ですが、
目と鼻の先の国分寺を歩いていなかった

国分寺の周辺は、江戸時代尾張徳川家の鷹場で、
崖線下の湧水群のある小道は「お鷹の道」と呼ばれていて、東京の住宅地とは思えないような風景が残されています。
崖線を背に、寺や大きな屋敷が並んでいました。


お鷹の道と野川に注ぐ湧水からの清流
 

国分寺

崖下の湧水池と古民家

保存されている旧家の長屋門
膝折(埼玉県朝霞市)
 
国分寺から府中街道を北上します。東村山の久米川という街を探索しましたがめぼしいものはなくパス。野火止用水に沿って埼玉県に入ります。

朝霞市にある旧川越街道膝折宿は、かねてより通過してはいつか歩こうと思っていた町です。旧川越街道では、旧板橋宿(中山道追分)、旧白子宿などにも見どころがあります。

旧膝折宿には古い町並みはあまり残ってはいませんが、
平入出桁造り系の古民家が何棟か見られました
交通量が多く、この辺りで渋滞するためちょっと取材しづらいですね。
 

旧膝折宿脇本陣を勤めていた村田家

出桁造りの見応えのある古民家
妻沼(埼玉県熊谷市)

乗ってきたぁ。まだ行ったことのない埼玉県を攻めるぞ!
ということでどんどん北上し、群馬県境近くまで来てしまった。今は町村合併で熊谷市に編入された旧妻沼町の中心集落。

妻沼は歓喜院の門前町。歓喜院の周りに市街地が形成されていて、南の熊谷から北の太田へ抜ける旧街道沿い並びに歓喜院・聖天山の間の東西の通り(聖天様南通り)に町並みが見られます。両通りに面して、短冊状の敷地に切妻平入りの町並みが見られました。

甘味処がどこも繁盛してお客さんが並んでる。暑いからかき氷に魅かれるんだな。食べたいけど我慢我慢、ダイエット!


 

歓喜院

聖天様南通りの町並み

聖天様南通りの町並み
境平塚(群馬県伊勢崎市)

さらに北上!利根川渡るぅ。


上武大橋

橋を渡ると境平塚集落があります。幕府が江戸時代初期に公認整備した利根川水運の河岸場の一つで、足尾銅山の御用銅を江戸に運ぶために開かれたのだそうです。最盛期には、年間40万貫という大量の御用銅を馬で運び、平塚で船に積み替えられたそうな。
でも、今見ることのできる建物は、明治期以降養蚕を営んでいた古民家。県内でも最も養蚕が盛んだった地域だけあって、境平塚のみならず、この辺りでは屋根の高い大型の農家がたくさん見られます。
 

陣屋町新谷の旧武家屋敷町

陣屋町新谷の旧町人町
赤城(群馬県前橋市)

東京都国分寺から延々北上を続け、ついに赤城山の麓まで来てしまいました。三夜沢集落は赤城神社の門前にあります。どうってことないのですが、何かに紹介されていたし、
赤城型の養蚕農家が見られましたので掲載しておきましょう。

赤城山麓の農村集落は他にも見るべきものがたくさんあろうかと思いますが、日が暮れてきたし、疲れました。帰ろ。
 

三夜沢集落の古民家

三夜沢集落の古民家 赤城型と呼ばれる養蚕農家
高浜(茨城県石岡市)

群馬県から帰った夜、翌日は家でゆっくりしようと思っていましたが、朝早く目が覚めてしまいました。集落町並みをもっと歩きたい!うーむ、
完全に火がついてしまったようです。

娘に「パパ、今日も出かけるぞ!」と言って家を飛び出した。不良親父です。今日は東へ行ってみよう。常磐道を北東へ。

千代田石岡インターで高速を下り、石岡市街をかすめて霞ヶ浦を臨むまち高浜へ向かいます。一昨年、仕事で通った時に「いいぞ!」と目を付けていた町並みです。

高浜は、霞ヶ浦北部の高浜入りに臨む沖積低地の集落で、古くから国府の置かれていた
府中(現在の石岡)の外港として栄え、常磐線開通前は出入船が多く賑わいました。霞ヶ浦利根川水運の河岸場である高浜の街には、多くの廻船問屋が軒を連ねていたといいます。

町並みは、JR常磐線高浜駅から旧道沿いに東へ延びていて、かつての繁栄を偲ばせる大きな屋敷がみられます。通りに面して
石蔵を構えるのは、白菊酒蔵を営んでいる広瀬家、その東に煉瓦蔵の名残を残している屋敷が醤油味噌醸造業を営んでいた今泉家(現在工場はない)で、さらに東へ漆喰や洋風の町家が並んでいる。高浜は、水運や物資の集散地として繁栄した霞ヶ浦の街の姿を良く残していました。
 

霞ヶ浦

白菊酒蔵の広瀬家

高浜の町並み

高浜の町並み
小川(茨城県小美玉市)

高浜の近くにある小川も、かつて通過した時目を付けていた町並みです。ようやく訪れたという感じ。

近世の水戸藩領の時代は、霞ヶ浦利根川水運を利用した藩の外港となり、運漕奉行所が置かれて賑わった小川ですが、明治に入り衰退しました。
水戸藩の外港であった時代の名残でしょうか、水戸からの旧街道に沿って伝統的な町並みが見られます。水戸方向から町に入るとまず、大型の酒造・醤油醸造所が出迎え、丘を下る坂道に重厚な商家が並ぶ。坂下で直交する街道に沿って昭和期以降と思われる商店街があり、さらに先にいくと旧関東鉄道鹿島鉄道線の常陸小川駅が2007年まで営業をしていました。

町並みを構成する建物は関東平野で見られる土蔵造り、出桁造りが特徴で、建ち並ぶ坂道の部分で高低差と緩やかなカーブが自然に良い景観を創っています。洋館や酒蔵なども重要な歴史的景観要素として残されており、文化財保護の手が加われば良き歴史空間が継承されるでしょうね。
高得点獲得です!
 

小川 北エリアに醸造系の大型の屋敷が並ぶ

小川 坂道のシークエンスが良い町並み

小川 坂道のシークエンスが良い町並み
日立川尻(茨城県日立市)

おとなしく石岡土浦近辺にある未踏の街を巡ればいいものを、いけません。昨日のように、体がどんどん遠くへ行きたがっています。
再び常磐道に上り、クルマは東へ東へ、日立まで来ました。日立は昨年取材しており、市内北部の川尻という港町が残っています。

川尻は、太平洋にそそぐ梁津川の河口に形成された港町です。近世は水戸藩領に属していて、漁業や水産加工、市場も開かれ栄えたそうです。常磐線が開通してからは後背地の貨物の積み下ろしが中心となりました。日立港が整備されるまでは。
町は陸前浜街道を主軸に海岸へ向かって形成されています。旧街道に商家が並び、一歩入ると酒や味噌の醸造蔵も残っている。
建物の特徴としては、凝灰岩系の石が使われている点で、商家や蔵、さらには陸屋根の新しい建物にも見られました。


日立川尻 旧陸前浜街道の町並み

日立川尻 旧陸前浜街道の町並み

日立川尻 石造りの酒蔵
町屋(茨城県常陸太田市)

山を越えて内陸部へ入ります。
この辺りは南北に流れる川か刻んだ谷を通う街道に沿って町が続きます。常陸太田はこのエリアでの中心都市ですが、その北部にある町屋町を訪れました。

町屋は、久慈川支流の里川流域に位置し、かつては水戸と奥州を結ぶ旧棚倉街道の宿駅でした。わが国を代表する大理石の一つである寒水石(かんすいせき)や橄欖石(かんらんせき)を産する地域の中にあり、中でも町屋の斑石は水戸家累代の墓石使用のために掘り出されていたといいます。
国道349号線が旧市街を避けてバイパス化されたおかげで、古い町並みが良く残されていました。寄棟、入母屋系の伝統的な住宅が間隔を保って並ぶ集落景観は、久慈地方の特徴です。単なる宿場町ではない、
石材採掘加工の産業で栄えたグレードの高さを感じます


石塀や石壁の古民家が見られた
 

町屋 入母屋妻入りの規則正しい町並み

町屋 出桁造りの古民家にはグレードの高さを感じる

町屋 かつては旅館だったのかな

町屋 里川のほとりに建つ旧町屋変電所
小里(茨城県常陸太田市)

里川谷を北へ進みます。最近まで里美村だったこの辺りは、町村合併で現在常陸太田市に編入されています。その旧里美村は1956年までの小里村、賀美村の二村が合併した村でした。その旧小里村のエリアにあった、旧棚倉街道の宿駅だったのが、南から折橋宿、大中宿、小中宿の三駅です。

この小里の三宿。それぞれに大きな民家があって、セットでとらえるとなかなか立派な町並みです。
中でも折橋宿と小中宿は南北に通う棚倉街道に東西方向の街道が交わる結節点にあり、材木、煙草、醸造などを扱っていた商家があり、今でも重厚なたたずまいを残していました。
今では茨城県北部の目立たぬ山中の一農村ですが、往時の繁栄ぶりが偲ばれます

折橋の町並み

大中の町並み

小中の町並み
大子(茨城県大子町)

里川谷から久慈川谷へ山を越えます。茨城県もついに北端近くまでやってきました。すぐそこは福島県です。

大子町は袋田の滝で有名な奥久慈の中心町。大子町は、八溝山地と久慈川の渓谷美をもつ奥久慈の中心地で、古くから保内郷と呼ばれ江戸時代は水戸藩の陣屋が置かれていました。木材、コンニャク、コウゾ、ミツマタを産し、数々の温泉や名瀑袋田の滝など、奥久慈観光の拠点でもあります。
久慈川に沿って通う旧南郷街道の宿場町であり久慈川水運の河岸場として発展した町には、数は少ないけれども往時の繁栄ぶりを示す歴史的建造物が残っています。
中でも黒漆喰の重厚な商家は見ごたえがあり公開されていました。中では八溝の漆器が売られていて、ぐい飲みを一つ買いました。そして、抹茶をいただきいっぷく。。。
外は久慈川の花火で、多くの人が集まりつつありました。



岐路の常磐道は千代田石岡から柏まで大渋滞。結局、石岡で高速を下り、ずっと下を走って帰りました。
心地よい疲れっていいもんですね。
 

大子の町並み

大子の町並み

大子の町並み

大子の町並み
竹ノ塚(東京都足立区)

一日会社へ行って土曜日。夏休み最後を満喫したい、、、といことで東武東上線の竹ノ塚へ行きました。なんで、竹ノ塚だって?もう東京都内は郊外探訪しか残っていません。

竹ノ塚は、戦後昭和30年代後半から40年代初頭にかけて行われた都市計画による街です。団地という集合住宅の街。
竹ノ塚駅を下りると
駅前広場を取り囲むように団地が建っています。ちょっと異様ですね。その造りを見てみると、1階の部分が通り際までせり出し、上部がセットバックしています。人工的ではありますが、低層の商店街が形成されています。そして、それは既成市街地の商店街へと連続しています。現在ならさらに工夫するところでしょうが、当時の設計思想が良くわかります
一方、駅の西側はいわゆる既成市街地の商店街で、戦後系の看板建築が建ち並んでいました。



駅に戻ると空が暗くなり雨が降ってきました。今日はこれでおしまい。
2014年の夏休み。
集落町並み探訪復活の兆し!
 

竹ノ塚の町並み

竹ノ塚の町並み

竹ノ塚のマップ

竹ノ塚 駅西の町並み