調布 甲州街道布田五宿から発展した撮影所のあった町

東京都
調布市




交通
京王線調布駅、布田駅下車徒歩





調布




2002.01.02
調布市は武蔵野台地と多摩川沿いの沖積地からなり、市街地は江戸時代から甲州街道の宿場町から発展した。現在の京王線国領駅から西調布駅にかけての国領・下布田・上布田・下石原・上石原が宿場となり、「布田五宿」として、宿場の勤めを交替で果たしていた。また、当時の調布には18村が存在したが、その大部分は天領(幕府の直轄地)と旗本領だった。
大正2年(1913年)、京王線の笹塚〜調布間が開通、大正4年(1915年)には新宿〜調布間、その翌年に調布〜多摩川原間が開通した。調布はこのころから行楽地・郊外住宅地として注目されるようになり、大正12年(1923年)に起きた関東大震災以降、多くの人々が移り住み、工場も進出するようになった。昭和の初めには、京王閣(多摩川沿いの行楽施設)や日活撮影所・大映撮影所などの施設、それにともなう商店や料亭などが続々と出来た。
現在、調布の旧甲州街道を歩いてみると長い旧宿場町の中に古い建物がわずかながら残っている。中でも布田駅周辺と鶴川街道との交差部周辺に面影がある。旧多摩川原駅(現京王多摩川駅)にあった一大レジャー施設の京王閣は植物園と競輪場だけになってしまった。また、大映撮影所や日活撮影所は規模が縮小され一部がスタジオのように使われているにすぎない。調布駅北口の仲通りに戦後できたカフェー街には、かつて14軒の店があったというが、今では面影なし。調布で生まれ育った当サイト管理者(野村万訪)は、ここに料亭があったことを記憶している。
旧甲州街道に面する大きな屋敷は私が子供の頃から全く変わっていない。
下石原の町並み
布田天神は調布の鎮守
かつて遊廓・赤線だった所。20年位前まで雰囲気はあったが、現在は全く面影はない。
旧甲州街道布田の町並み
旧甲州街道布田の町並み
トタンカバー民家が一軒あった。
旧甲州街道布田の町並み
旧甲州街道布田の町並み
旧甲州街道布田の町並み
旧甲州街道西調布の町並み
参考資料 リンク
調布市

参考文献