にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第32日 盛岡(岩手県)~函館(北海道)
     五所川原  蓮川  大性  板柳  弘前禅林街


蓮川(青森県)

 盛岡発6:54はやて93号新青森行は、はやぶさ号で使われている緑の新型車両だ。新青森7:56着。「ここは青森のどこ?」というような辺鄙な場所に新青森駅はある。今日はここから青森県の未探訪地の内、津軽平野の4ヵ所を巡る予定だ。

盛岡駅にて

 東北地方もここまで来ると、どちらかというと北海道の風景に近いと感じる。広々とした地形や金属屋根のせいなのか。そんな津軽平野の中にある五所川原には特に町並み情報はないけれど、地名の響きが面白いので訪れた。ざっとクルマで流してみるが手ごたえ無し。やり過ごそうかとも思ったが、昭和の匂いがプンプンするので歩くことにする。JR五能線五所川原駅と本町の間では区画整理事業が進んでいるようで、古い町が無くなりつつある。駅前地区にはまだ手つかずの町が残っていて、ちょうど立ち退き進行中という状況だった。本町は銀行などの建物が建ち並んでいるのでおそらくは五所川原の目抜き通り。その裏に夜の飲み屋街があった。まぁ、型通りの街といったところであるが、とりあえず☆一つでデータベースに残すことにしよう。

 町並み本に紹介されている旧木造町蓮川へ行く。五所川原の市街を抜けると津軽平野の田園が広がり彼方に岩木山がそびえている。吉幾三の「津軽平野」が頭の中を流れる。蓮川は、岩木川西側の出精川沿いに新田開発がなされ1685年(貞享2年)にできた街村状集落である。冬に北西の強い地吹雪を受けることから、家の西側に屋敷林やカッチョとよぶ幅一尺長さ二間半余りの板を立て並べた雪囲いを構築しており、独特な集落景観を呈している。この板垣は、津軽平野のみならず県内の日本海岸の漁村でも見られる防風対策の手法だ。防風対策は全国で様々な方法が用いられていて、集落景観を特徴づける重要な要素となっている場合が多い。以前纏めたものがあったので、下に紹介しておこう。
 


五所川原(青森県)

蓮川(青森県)

蓮川(青森県)
海に面する集落の防風対策あれこれ

北海道泊村(日本海)
煉瓦蔵と風雪に耐える木柵

千葉県銚子市長崎
(太平洋)
犬吠崎に近い突端の集落。石垣に囲まれた家

山口県上関町祝島
(周防灘)
家を囲む軒先までの石積練塀 瓦をのせる

沖縄県竹富町竹富島
(太平洋)
さんご礁の石垣に囲まれた住宅

秋田県本庄市折林
(日本海)
青森から秋田にかけての太い木柵

静岡県南伊豆町入間
(太平洋)
海岸に面して石垣やコンクリートの高塀

愛媛県三崎町井野浦
(豊後水道)
家を囲む軒先までの石積塀(写真(日本の集落3」)

沖縄県石垣市明石
(太平洋)
家屋そのものをコンクリート造にした伝統様式集落

新潟県小木町宿根木
(日本海)
海に面して細やかな竹柵

和歌山県串本町田並
(太平洋)
海岸に面して石垣+板壁

愛媛県西海町外泊
(豊後水道)
石垣と家屋のロの字配置

鹿児島県笠沙町大当
(東シナ海)
武家屋敷の影響か石垣囲い集落

石川県輪島市大沢
(日本海)
能登半島西海岸の間垣

香川県高松市女木島
(瀬戸内海)
海に面して卓越風対策の石垣塀(オーテ)

高知県宿毛市沖ノ島弘瀬
(豊後水道)
i石垣の斜面に妻面ノッペラボウ家屋

長崎県峰町木坂(対馬)
(東シナ海)
風対策と武家屋敷の影響か石垣塀の集落
 
 国道339号線(小泊道)を板柳へ向かう途中、茅葺屋根がまとまって残っている集落を発見。鶴田町大性という小泊道の街村で江戸時代津軽藩の新田開発によって誕生した集落の一つのようだ。寄棟の直家が妻入り配置で一定の間隔を置いて並んでおり、トタンカバーされていない草屋根がこれだけまとまっているのは今や珍しい。

大性(青森県)

 板柳は、1644年(正保1年)津軽藩が町を建設、周辺の新田開発を進め、岩木川に河港を造営した。しばらくはこの地域の中心的な役割を果たしていたが、明治以降五所川原が地域の中心となると板柳は衰退した。町は小泊道に沿って形成されており、古い蔵造りや洋風の建物が見られる。擬洋風天国の弘前に近い土地であることを意識させられる。今日はパンチのないあまりテンションの上がらない集落町並み探訪が続く。

 津軽地方の中心弘前は過去2度訪れている。ここでは城下町時代の武家屋敷町、町人町、明治以降の擬洋風建築などを取材しており、今回は見落としていた寺町の訪問となる。北から弘前の市街地に入り、混雑している弘前城周辺を通り過ぎ、カーナビを頼りに寺が沢山集まっている茂森という場所にやってきた。桝形の後に門があり、そこをくぐると直線道路の両側に並木と寺がズラーッと続いている。通りの両側には駐車車両もズラーッと停まっていて、街全体が大きな寺の境内のようになっている。そしてこの直線の突き当りに見えるのが寺院群の親分である長勝寺だ。この茂森禅林街は、江戸時代初期に同一宗派によって造られた全国的にも珍しい寺院街として国の史跡になっている。まぁ、珍しい町並みではあろうが、テンションは依然として上がらない。

弘前禅林街(青森県)

 新青森駅に戻った。計画ではこれから青森市内の歓楽街を取材するつもりだったが、テンションが上がらないので取りやめて予定より一本早い函館行の列車に乗った。これで25日間を要した本州に別れを告げ青函トンネルで北海道へ渡る。函館のホテルは駅南の寂しい場所だった。いわゆる観光ホテルで、ここで食事をするのは性に合わない。タクシーで五稜郭近くの本町まで行った。本町は、明日日中に歩く予定にもなっている函館一の歓楽街。だから夜見ておく必要もある。ところが運悪く今日は日曜日の晩、ガイドブックに紹介されているようなめぼしい店は休日になっている。夜の街の賑わいもテンションが上がっていない。しょうがないので電車道に面した焼き鳥屋に入った。店内にはカウンターがあるので一人客が飲みやすいけれど、えてしてこういうカウンターには先客がいて店員との間でうるさく盛り上がっている場合が多い。この店も案の定そうだった。その会話に気を遣いながら割り込むのも面倒だから一人でひたすら日本酒をあおった。そうしたら短時間でかなり酔っぱらった。帰りは市電に乗ったもののフラフラとホテルまで辿りついたのをあまり覚えていない。

函館 本町界隈(北海道)

大性(青森県)

大性(青森県)

板柳(青森県)

板柳(青森県)

弘前禅林街(青森県)
第31日   第33日