にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第33日 函館(北海道)
     函館西部  函館宝来町  函館北部


函館(北海道)

 縦走紀行第33日、北海道の初日は最高の天気に恵まれた。9年前に来たときは大雨で十分な町歩きができていなかったので、今日は端から端まで函館を歩き直そうと思う。さっそく腹ごしらえとホテルの朝食会場へ行ったら長蛇の列、、、これだから観光ホテルは嫌いだ。ホテルを出て旧金森倉庫まで行きスターバックスで朝食を済ませる。金森倉庫の赤煉瓦と函館山と抜けるような青空。北海道まで来たんだなぁと実感する。

旧金森倉庫と函館山

 函館攻略は、まずは西部地区からスタート。函館山の斜面から港までの間は函館でも一番古い街で、昭和9年の大火も免れているから明治期以降の建物がたくさん見られる。街路は函館山に向かう坂道と等高線に沿う通りとで構成されていて、それらすべてを歩かないならない。まず港に一番近い海岸通りを西端のドック前まで行き、二本目の電車道を今度は東端に近い末広町まで歩き、最後に丘の上の弁天末広通りを再び西の端まで歩くことになる。こういう碁盤目状の町はジグザグ攻撃になるので、歩く距離が倍々に増えていくから辛い。
 海岸通りを西へ歩くと下見板張りの洋風住宅が何棟もある。重文にもなっている太刀川家住宅はきれいに修復が終わっている。ドック前で引き替えすと、電車道沿いにも次から次へと石蔵や洋風住宅が出現。これだけ戦前の建物が残っている町並みはそうあるものではない。北海道は歴史が浅いから古い町並みがあまり残っていないと早合点する人が多いが、実は札幌も函館も小樽もすごい歴史的建造物群の町なのである。本州の江戸時代からの街であっても実際に町並みを構成している建物のほとんどは明治期以降なのだから、戦前の建物の比率で古い町並み度を図るとすれば、北海道の町は俄然評価が高くなるのだ。今日は昨日とは対照的にハイテンションのままで西部地区の往復5kmを一気に歩いた。


函館 銀座通り(北海道)

 末広町の十字街電停から宝来町へ向かう。この辺りは函館山地区の古い繁華街で、蓬莱町遊郭は東京以北最大とうたわれた。料亭、カフェー、映画館、劇場が建ち並び栄華を誇った。昭和初期の最盛期には4つの見番に200人の芸者がいたそうである。函館は、もともと地形的に風が強く度々大火に見舞われ、大正10年4月の大火の後、函館区は、蓬莱町、恵比須町の大通りに防火線を設定した。両側の建物全てを不燃質の鉄筋コンクリート造とすることにより、函館区の助成が行われ、長さ500mの道路は、車道と歩道の区別をつけモダンな街路灯も設置され、函館の銀座通りは完成した。しかしその後、昭和9年にはさらに大規模な大火が発生しており、地図を見ると宝来町もその範囲に含まれている。現在見ることのできるモダンな町並みは、このような経緯で出来上がったものであるが、昭和初期のスタイルであるから一見しただけでは昭和9年の前か後かの判別がつかない。しかし、大正の大火後に不燃建築で整備したという経緯からすると、それらの建物は昭和の大火を乗り越え現在にまで続いているものと思われる。
 宝来町を後にして、ロープウェイで函館山に上る。昼の函館山に上るのは今回初めて。俯瞰される函館の町のなんと素晴らしいことか。しばしうっとりとした後山を下り、元町の和洋折衷住宅の町並みを経由して二十間坂の五島軒まで歩き、開店を待って店に入った。ビーフとポークの二色カレーを食べた。定番だけど旨かった。

函館五島軒カレー

 歩きすぎて午前中で足はもう棒のようになっている。丘の上の弁天末広通りを再び西へ向かう。この通りも見どころが多くて有名な中華会館のほかにもカメラのシャッターを切る建物は多い。中華会館から西は、今回初めて歩くと思うが、元町とは違った和洋折衷住宅が同じような形態で並んでいた。切妻妻入の蔵と切妻平入の出桁造りの主屋が通りに並ぶところまでは、本州の町並みにも見覚えがあるが、奥に二階建ての洋館が建つところが函館オリジナルではないだろうか。前面の主屋は洋館の場合もある。函館西部地区がこんなに歩き甲斐のある町だとは思わなかった。さらに山側が未踏だから、まだまだ楽しめそうである。函館恐るべしだ。
 

函館 ホテルの窓から(北海道)

函館 海岸通り(北海道)

函館 太刀川家住宅(北海道)

函館 電車道大町(北海道)

函館 宝来町(北海道)

函館 弥生町 中華会館(北海道)

函館 弥生町の和洋折衷の町並み(北海道)
 ドック前電停から市電に乗る。一気に函館の街を縦断して北部の五稜郭公園電停まで移動。昨晩飲んだくれた街だ。まずは、五稜郭へ行こう。五稜郭公園を訪れるのは今回が初めてで、星形の城郭は意外と小さいなぁと思った。中には復原されたばかりの箱館奉行所がある。実は私の大学研究室の師匠が手掛けた建物でもあるので、内部も見学すべきであろうが、今は万訪モードなので外観だけ拝んで失礼する。
 本町にもどり歓楽街を歩く。函館一と聞いていた歓楽街だけれど、ギュッと固まっていないせいかインパクトに欠ける。そこから電車道を南へ歩いていく。電車道には昭和9年の大火後の看板建築が並んでいる。しかし、裏の住宅地にちらちらと土蔵も見えるので、丹念に見ていけば大火の延焼を免れた建物も残っているのであろう。

函館 本町の歓楽街

 中島町まで歩いてきたところで歩行者天国になっている商店街を発見。誘われて入っていくと幅広の通りに一部バラック系の建物が建ち、市場を形成している。これは明らかに戦災復興都市で見かける闇市の形態だ。函館は戦災に遭っていないから、昭和9年の大火後の市場に違いない。後日調べたら函館市民の台所と呼ばれる「中島廉売(レンバイ)」という町で、昭和9年の大火後に露天商が集まって作った市場が起源となった商店街であることがわかった。電車道をさらに南に下った新川町の自由市場もそうであろう。


函館 中島廉売(北海道)

 結局ずるずると函館駅前エリアの松風町まで歩いてしまった。松風町も中部地区の繁華街で、商店街と飲食店街がある。狭い路地に「菊水小路」と看板のある通りがあった。1階が店で2階が置屋のいわゆるブルーラインかもしれない。今日は午前午後で15kmは歩いただろう。もう足の脹脛がパンパンである。アーケードの喫茶店でケーキセットを食べて休憩。筋肉をやわらげてからもう一度金森倉庫のスターバックスに戻り時間をつぶした。函館は北海道で一番古い街だけあって、小樽や札幌とはまた一味違った奥深さを感じた。大火に何度も見舞われていることは残念であるが、戦災に遭っていないことで昭和初期以降の町並みが連続してみられるのも特徴である。これから何度も訪れたい町だ。

 函館発羽田行のJAL便は19:00ちょうどに飛び立ち縦走紀行第33日の幕を閉じた。次回は11月下旬、いよいよ縦走紀行の最終回となる。3日間かけて函館から最北の宗谷を目指す。その時、北海道はもう冬であろう。

函館 弁天町にて
 

函館 五稜郭の箱館奉行所(北海道)

函館 千代台町で見かけた古い民家(北海道)

函館 電車道の昭和初期の町並み(北海道)

函館 自由市場(北海道)

函館 松風町(北海道)
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