にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第6日 的山大島(長崎県)~日田(佐賀県)
    大島神浦 大島的山
  大村
 


大島神浦 天降神社境内から見た神浦(こうのうら)集落
 
 昨晩、ディナーのおかずが美味しかったので酒とご飯がとても進んだ。夜は小さな島らしくクルマの音もなくシーンと静まりかえっていた。ところが、真夜中にお腹を激痛が度々襲い、トイレと寝床を何度も往復した。食べ過ぎ飲み過ぎだろう。参った、参った。
 今日はゆっくりしている。神浦集落と的山集落を取材して、的山港13:50の船に乗ればよい。ところが、マイクロバスは船の時刻に合わせて運行しているので、バスを利用して的山に移動したのでは的山が歩けず、一本前のバスでは神浦の時間が少ない。というわけで、神浦~的山間6kmは徒歩で移動する計画にした。昨夕バスで走った感じでは、山を上って下るので少々大変だが、綺麗な棚田もあるし雨さえ降らなきゃ良いハイキングである。その移動に1時間半見込んでおいて、まずは神浦集落の探訪から取り掛かる。


神浦 関東家旅館の部屋から

 大島は平戸市の北屋久10kmの玄界灘に浮かぶ。的山(あづち)大島と呼ばれ、農業漁業の島である。「肥前風土記」には「大家島」と記され、古くから海上交通の要衝として知られ、壱岐対馬と同様に遣唐使船も寄港している。的山湾は倭寇の中継地としての役割を果たし、海賊ヶ浦という地名も残る。大島の領主大島氏は、貞応3年(1224年)から寛永6年(1629年)までの405年間もこの島を統治していた。島には大きく2つの集落がある。南東にあるのが、神浦(こうのうら)といい、江戸時代から昭和初期にかけての町家が多く残っているため近年国重伝に指定された。重伝建になるまで私も仲間もまったくノーマークだった集落で、彗星のごとく突然現れびっくりさせられた。以来、訪ねる機会をずっとねらっていた。今回の縦走紀行の中でも特に重要な集落だ。

 さて、たっぷり時間があるから片っ端からじっくり攻めたい。今居る旅館は大きく2つに分かれた集落の一方の端っこにある。まず、入り江対岸の集落の背後にある丘の上の墓地に上り、全景を俯瞰してからメイン部を歩き、最後に旅館のある側の町並みでしめる算段を立てた。
 墓地の丘に上る。漁村は平地が足りない場合が多く、墓地は背後の山の斜面につくられていることが多い。集落の人々は常にご先祖様に見守られながら生活しているわけだ。集落は大きく入り江によって二分されている。そして大きいほうの集落にはこの墓地のある丘が食い込んでいるので、集落は回り込むように形成されている。
 墓地の丘から下って足元の集落を歩く。町並みは面白いことに丘の外周に沿うように緩やかな円弧を描いている。先が見えず奥行き感があり、軒線が見事にそろった連続感のある家並み。絵になる箇所が多く、何枚も写真を撮ってしまった。その家並みの裏に小さな川があって、それを渡ると神浦地区の一番目抜きな町となる。こっちは一直線で、比較的大きな家が散見された。

 目抜きの町を抜けると、昨夕バスを降りた集落の入り口にあたる場所で、天降神社への石階段がこれまた一直線に上っていた。神社の境内からも集落が俯瞰できる。入り江の反対側の町は、的山方面からの道に続く町で、狭い漁村ながら前庭を持つ住宅も見られた。じっくり2時間歩き、旅館に戻って一服。弁当のおにぎりをもらって、さぁ的山まで山越えだ。


神浦 丘に沿う円弧の町並み

神浦 円弧の町並み

神浦 目抜きの直線の町並み

神浦 的山方面への道に続く集落

神浦 天降神社
 天降神社の前から車道を歩いていく。所々ショートカットできる細い道もあるようだが、迷いそうなので車道を歩いていく。ヘアピンカーブを何回も曲がり標高を上げる。上りきると、昨夕通りかかったお葬式の家のある集落で、小学校、中学校もあった。そうか、島の子供たちは毎朝この坂道を上って学校に通っているんだ。
 そして、美しい棚田の風景が広がっている。うねうねとした畦のライン、谷の先には海に続く。


的山集落全景

 的山(あづち)まで1時間強で歩くことができた。渡船の待合所で靴を脱いで足を休める。この旅は四日間もあるので、できるだけ体力を温存しておかなければ後半が大変だ。
 的山集落は、背後の山の斜面にも家々が駆け上がっている。港近くの細い通りを入っていくと、いきなりヘンテコな建物が出現。玄関に唐破風をつけ、庭を持ち、塀には色彩豊かな食器が嵌め込まれている。また、その建物の向かい側の石段の上にも料亭らしきサインのある建物がある。そして、先を歩くと木造3階建てが数軒。これは匂うなぁ。的山は、捕鯨で繁栄した町でもあるが、遊郭としても賑わったそうだ。


的山 唐破風のある家の庭 


大島 神浦と的山の間の山の上にある棚田

大島 的山の町並み 遊郭時代の建物か?

的山 木造3階建てのある町並み
 14:40、平戸港へ戻り、再びクルマにのって大村湾に面する大村の町を目指す。途中、九十九島湾や佐世保などもあるが、すべてスルーして移動、17:00大村に着いた。

 大村は、戦国時代キリシタン大名大村純忠によるポルトガルとの交易で栄えた地。町は城下町であり、長崎街道の宿場町でもあった。近代は軍都として発展したが、旧武家屋敷町が残っているという。しかし、すぐに見つからない。それは駅から若干離れた丘陵地の上にあった。古い町並みを探す場合、最も難しいのが情報の限られている旧遊郭であるが、次に難しいと思われるのが武家屋敷町ではないだろうか。大村の武家屋敷町は、丘の上下に形成された本小路、草場小路、上小路、岩船、小姓小路、日平、外浦小路などの各地区で、歴史的な建物は少ないものの街路や地割、石垣石塀、生垣が見事に連続して残っている。中でも、草場小路の石塀はカラフルで綺麗だった。


大村 上小路の石塀生垣

 第6日の探訪地はこれでおしまい。ここから一気に大分県日田まで140kmを移動する。高速道路があるので楽といえば楽だが。
 高速で移動しながら途中通過する福岡県の町並みの特徴を紹介しよう。それは一言でいうと「居蔵造り」の町並み。入母屋妻入りで、漆喰で塗り籠めた蔵造りである。県内全域に実に多く質の高い歴史的町並みが残されているが、いくつか代表的なものを挙げると、長崎街道の木屋瀬、筑後平野の八女福島吉井など、他にもあるので福岡県のDATA BASEを参照されたい。

 20:00、大分県日田市、日田駅前のビジネスホテルに到着した。
 

大村 小姓小路

大村 草場小路

【回想】 福岡県吉井の町並み
 
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