大島的山 棚田を背景に捕鯨と遊郭で栄えた漁村集落

長崎県
平戸市
大島村
的山





交通
平戸港からフェリー





大島的山




2012.03.18
大島は平戸市の北屋久10kmの玄界灘に浮かぶ。的山(あづち)大島と呼ばれ、農業漁業の島である。「肥前風土記」には「大家島」と記され、古くから海上交通の要衝として知られ、遣唐使船も寄港している。的山湾は倭寇の中継地としての役割を果たし、海賊ヶ浦という地名も残る。大島の領主大島氏は、貞応3年(1224年)から寛永6年(1629年)までの405年間もこの島を統治していた。
現在、島では米を生産し、斜面を利用した棚田が多くみられる。
島には大きく2つの集落がある。南西にあるのが、的山(あづち)集落で、細い通りに木造3階建てや陶器を嵌め込んだ土塀などが見られ、普通の漁村集落とは一風変わっている。かつては、捕鯨で潤ったこともあるが、遊郭もあったようで島外からの訪問者でもにぎわっていたようだ。背後は棚田で、集落は丘の上にも若干駆け上がっている。
港近くから細い通りを入っていくと一風変わった建物が現れる。料亭だったのだろうか、唐破風の玄関や陶器をはめ込んだ土塀があった。

料亭らしき建物の向かいに石段があり、その上にも旧料亭らしき建物があった。(上)

通りの先にのアイストップとなっている木造3階建て。このほかにも3階建ては見られる。遊郭であった面影なのだろうか。
 

的山集落の町並み。格子戸もみられた。
集落の背後は棚田で、家屋もある。
的山と神浦との間の海岸線は断崖絶壁であるため、両集落を結ぶ道は山の上の行く。そこには美しい棚田が広がっていた。
参考資料 リンク
平戸市

参考文献