尾張三河 きざみなっとう紀行
 

愛知県で作っている納豆を訪ねる旅ではない。愛知県でリストアップしている集落町並み数は現在74ヵ所。ここ2年、こつこつと足を運んできたが、あと8箇所で半数に到達する。これは愛知県5割達成目指し、何日かに分けて粘り強く通った町並み探訪をつなげた旅である。
稲葉(愛知県稲沢市)
第1日目、常連である品川6:06発の東海道新幹線「のぞみ1号」に乗った。名古屋到着が7:39。名古屋発9:34「のぞみ7号」に乗らなければならないから、1時間54分で片道20分の旧美濃街道稲葉宿を訪ねなければならない。
稲葉の町並みは国府宮駅から離れている。タクシーで一番西の端まで行ってから戻るように歩く。旧美濃街道稲葉宿は約1kmの長い町並み。平入つし2階あるいは2階の町家が比較的途切れず軒を連ねている。愛知県は意外なほどに町並みが残っている県だと思う。中ほどにはスクラッチタイル張りの近代洋風の事務所建築もあった。旧宿場町の東端には旧遊郭っぽい一角があったので、探ってみると町家建てのレトロな銭湯が現役で営業していた。駅が離れたために開発されずに残った町並み。しかるに国府宮駅までは遠い。時計を見ながら小走りに駅に戻り、第1日目は終わった。
鳴海(愛知県名古屋市)
第2日目。昨晩遅く三河安城のビジネスホテルに入った。今日は早朝から活動するためである。
JR、名鉄と乗り継いで、旧東海道鳴海宿から始める。名古屋市内の町並みとしては旧東海道の有松(宿場ではない)が有名だが、その隣町の鳴海も同じく「絞り」で知られている。駅を出て旧街道に向う。平日なので通勤通学の人たちが駅に向ってたくさん歩いてくる。自分はそれに逆らって歩く。旧街道は車の通勤者が抜け道として利用しているらしく、一方通行を飛ばして走ってくるので落ち着いて歩いていられない。旧街道は商店街になっているが、東へ歩いていって商店街を抜けると古い町並みが残っていた。通学中の学生たちがこっちを見ている。「あのおじさん、こんな朝早く何写真撮っているんだろう」とでも思っているのだろう。

中小田井(愛知県名古屋市)
名鉄は実にややっこしい。多くの路線網を持っていながら名古屋駅は上り下り各1本の番線しかない。したがって、名古屋駅の朝は山手線を越える間隔で多方面に向う電車が発着する。案内も地元の人には問題ないのだろうが、県外者に対しては不親切である。自分は名古屋駅での乗換えですっかり惑わされ、新岐阜方面に行きたいのに犬山方面に行ってしまった。しょうがないので中小田井駅で降りて今回予定していなかった中小田井の町並みを歩くハメになった。
中小田井は「名古屋の町中にこんな場所があったんだ」と驚くほど時間が止まったような田舎町のような場所である。愛知県らしく黒板壁の家々と、庄内川の洪水に備えた丸石垣の水屋が印象的であった。
西枇杷島(愛知県清須市)
名鉄犬山線を名古屋方面に戻り、東枇杷島で乗り換えて本線の二ツ杁駅で降りる。
子どもの頃、名古屋市内になる母親の実家から七宝町の叔母の家へ車でよく連れてってもらった。その途中、古い町並みがあったことを記憶している。これが新幹線の車窓からいつも見えるため、ずっと「歩かなきゃ歩かなきゃ」と気になっていた。
その記憶のある道路に出て、気にしていた新幹線の直下から歩き始める。一直線の道路は記憶通りで古い町家が残っている。そして道端に「美濃路」と表記されていた。そうか、名古屋と第1日目で歩いた稲葉宿の間の美濃街道沿いの町だったのだ。それにしても長々と続いている。大きな町家の前で写真を撮っているとおばさんが「この家の横の脇道でよく写真家が撮影しているよ」と教えてくれた。行ってみると黒板壁にはさまれた路地空間。抜けると丸石の石垣が築かれた上に錆びたスレートの酒蔵がのっかっていた。
西枇杷島の6日後、最終の新幹線で深夜の豊橋に入った。翌日乗る路面電車の時間をチェックしてから駅前のビジネスホテルに泊まる。翌朝、がんばって5:00起床、シャワーを浴びて6:08発の路面電車に乗る。
第3日目は豊橋の旧遊郭(赤線跡)を2ヵ所歩く。路面電車で15分、東田坂上という電停で降りる。電停といってもホームは無く、車道に黄色斜線が描かれているだけ。地元の車はよく知っていて私が降りるのを待って手前で停まっている。
戦災地図、航空写真、地形図で碁盤目状の町を確認していたので間違いなくそこが旧遊郭街と確信して歩き回った。しかし、それらしい建物はあまり残っていない。腑に落ちない気持ちを抱えたまま街を離れた。後で調べてみたら旧東田遊郭は歩いた町の直ぐ隣にあったのだ。アチャ〜またやってもうた。

東田遊郭と間違えて歩いた町並み
豊橋有楽町(愛知県豊橋市)
豊橋は旧東海道の吉田宿から発展した街。しかし戦災に遭っていてほぼ全域が焼かれている。何か残ってやしないかと旧東海道を歩けど殆ど戦前の建物は無かった。旧街道を西へどんどん歩いていくと「豊橋」という町の名前になっている橋がある。橋の袂は船町という町で、リストアップしていたので歩いてみた。がこれも何にも無し。残念ながら吉田、船町はリストから削除することにする。
町を歩きながら携帯電話で豊橋の袂にタクシーを呼ぶ。次に目指す第二の遊郭は場所がよく分かっていない。タクシーの運転手に、「駅の南のほうに旧遊郭町があったそうだが分かるか」と尋ねたところ、「有楽町のことですか」と知っているようだ。有楽町という交差点でタクシーを降りると、通りの先にそれらしき建物が見える。
近づいていくと、なんと旅館建築が見事に建ち並んでいるではないか。戦時中ににわかに形成された町のようで、明らかに一時期に建てられた建物たちである。ここらは田園地帯が開発された住宅街。そんな中に突然古い旅館街が現れる、なんとも不思議な町並みであった。
犬山(愛知県犬山市)
豊橋の二日後、また新幹線で22:10名古屋駅にやってきた。先週間違えて乗った名鉄犬山線に今度は計画通りに乗る。犬山駅に到着したのは23:00ちょうど。駅を出て暗闇の町を歩いて予約しているビジネスホテルを探す。が、見つからない。やっと見つかったホテルは、町外れの寂しい場所であった。
第4日目、早朝6:00にホテルの主を叩き起こしてチェックアウトする。ホテルの前は「金坂本通り」という旧街道らしく、そこから町並みが始まっていた。結果的に町並み歩きには最良の場所に泊まったというわけだ。犬山は城が有名だが、城下町の町割もしっかり残っている。そして、立派な商家が多いのに驚いた。あいにくの雨だったが、それが逆に町並みにしっとり感を与えていて、良い町並みであった。

小牧(愛知県小牧市)
犬山のそばの小牧にもおなじような山城がある。町並みとしては無名だが何かありそうである。地下化された駅を出ると小牧城はかなり遠くに見えるではないか。城下町ではないのか?。駅前の地図を見ると岸田家住宅と書かれた保存民家があるようなので、先ずはそこを目指す。保存民家は町家で、解説版に上街道(木曾街道)の宿場町と書かれていた。小牧は城下町ではなく、上街道の宿駅として整備された町だった。岸田家は旧宿場の端っこで、そこから旧街道を辿る。本町あたりが商店街で、それを抜けた上之町あたりから連続する古い町並みが現れ始めた。宿場町は端っこに古い町並みが残っているケースが圧倒的に多い。だから、両端まできちっと歩かないと片手落ちになる。
豊橋東田町(愛知県豊橋市)
小牧を終えたところで、目標の五割は達成されたもののどうしても見落とした豊橋東田町が気になってしょうがない。そこを歩いて「きざみなっとう紀行」の完としたい。
第5日目は小牧から2ヶ月が過ぎていた。2ヶ月ぶりに豊橋駅に降りる。2度目だというのに懐かしさを感じる。路面電車もなれたもので、東田坂上電停で降りる。2ヶ月前と同じく雨が降っている。地図をよく見ると、目的の東田仲町の街区は完全に閉じていて、間違えた吾妻町の碁盤目街区とは分かれている。そのことが前回、仲町の存在に気付かず間違えた原因であった。
間違えて歩いた吾妻町を抜け、閉じた街区の東田仲町の入り口から町に足を踏み入れる。すると、豊橋有楽町で見たのと同じような旅館建築が現れた。仲町はロノ字街区で、一周する通りの外側と内側に今でもずらっと姑楼が並んでいる。中には現役の旅館もある。その姿は壮観である。しぶとく再訪してよかった。

2003年春の知多半島以来、精力的に足を運んだ尾張三河地方がようやく一区切り付けられる。帰りの路面電車の中で一人その感慨に浸っていた。ニヤニヤしながら乗っていたので、向かいに座っていた女の人から怪しいオヤジと思われたかもしれない。