西枇杷島 庄内川の自然堤防 市で栄えた美濃路の町並み

愛知県
清須市
西枇杷島町
問屋町
六軒町
南松原町
二ツ杁
中野



交通

名鉄本線西枇杷島、二ツ杁駅下車




西枇杷島




2005.06.14
旧西枇杷島町は慶長14年(1614年)に開かれた市を母体に発展した町で、美濃路の街道町である。
明治以降の西枇杷島町の性格と繁栄の基礎を固めたのは、江戸時代初期、徳川義直のとき、尾張の政治・経済の拠点が清州から名古屋へ移されてからである。新城下の名古屋と領内の要地、一宮、甚目寺、津島、岩倉、犬山、岐阜を結ぶために、地形上最も良い枇杷島村(現名古屋市西区)と下小田井村との間の庄内川に枇杷島橋がかけられた。これによって清州を起点として大垣・垂井にいたり、垂井で京都へ通じる中山道へ連結する美濃路が名古屋まで延長され、下小田井村は交通の要地としての存在価値を高めた。
橋の架設によって濃尾平野の農村的生産地帯と消費地名古屋との連結地点として最適な地となり、そこに青物市場が開設され、農産物集散地として重要な使命をになうに至った。
枇杷島橋を渡ったところから町並みは始まる。新幹線の下をくぐると一直線の町並みが続く。民家は平入つし2階建ての塗籠め造りで、建てられた時代が様々なのか、1階の軒ラインは連ねるものの、屋根の高さは様々であった。途中、旧街道がくの字に曲がる辺りには造り酒屋の立派な商家と裏手には大きな酒蔵が建っていた。
枇杷島という地名は庄内川を挟んである。東側が東琵琶島、西側が西枇杷島。
画像は枇杷島橋を渡って西枇杷島の街並みが始まるところ。
東海道本線と東海道新幹線をくぐるところ。新幹線を東京から新大阪方面に向って名古屋駅を過ぎると庄内川を渡る。その直後に右手に見える家並みが西枇杷島の街並みである。
問屋町にある問屋記念館
旧山田九左衛門家住居(西枇杷島町指定文化財)移築保存
南松原町の街並み
南松原町の街並み
名古屋から名鉄で10分という至近にあるためマンション化された敷地もある。
北二ツ杁町の街並み(左、下)
屋根神様
屋根神様は名古屋を中心に尾張に広まった信仰。屋根神様にはたいてい3つの神社のお札を祭っている。大部分は津島神社・秋葉神社・熱田神宮の三社で、熱田神宮が地元の氏神に替わる事もある。それぞれ厄病除け、火難除け、武運長久祈願といった意味が込められている。

旧街道がくの字に曲がる付近の街並み。造り酒屋があって写真を撮っていると「この裏によく撮影されている場所があるよ」とおばさんから声をかけられた。脇道に入ってみると川原の石垣を積んだ大きな蔵があった。旧街道は氾濫する庄内川の自然堤防上であったと分かった。
参考資料 リンク
清須市

参考文献