渡名喜 防風のため掘られた敷地とフクギ屋敷林の海郷

沖縄県
渡名喜村
渡名喜




交通
久米商船渡名喜島下船徒歩




渡名喜




2010.01.09
渡名喜島は、那覇の北西58kmにある。北に粟国島、南に慶良間諸島、西に久米島を望み、古くは「戸無島」と称されていた。もともと南北2つの島だったが、両島の間に砂が堆積し、南北に山地を持つ1つの島になったといわれている。中国と沖縄本島とを結ぶ航路上にあったことから、行き交う船の監視、通報のための施設である烽火台が配置されていた。20世紀にはいるとカツオ漁業を主産業とし、南方諸島へ移住する人も多かったが、近年は一本釣りなどの沿岸漁業が盛んになっている。

集落はこの堆積した砂の上に形成されている。東の浜と西の浜との距離が僅か600m、南北に山を控えており集落上が風道になる。台風時には集落上を猛烈な潮雨が吹き抜けていく厳しい自然条件の中で、特異な敷地形状が生まれた。敷地は集落道路よりも低く掘り下げられていて、防風防火のためびっしりとフクギで囲っている。道路は各敷地の南北面で接するのが基本で、砂地のため雨の浸透性が良い。屋敷配置は掘り下げた狭い敷地を有効に利用するため、主屋と炊事部分を一棟にしており、そのほか納屋、井戸など沖縄の伝統的な民家配置が合理的に構成されている。主屋の平面は、表座を居住空間とし、裏座に食糧や種子の穀物類を収納する空間とした沖縄民家の古い形を残している。小規模な家屋平面をできるだけ広く空間利用するために、南と東に縁側、雨端が設けられ、内部空間と外部空間の緩衝的な役割を果たしている。
集落内には、古くから生活用水として使用してきた村共同井戸(むらがー)や祭祀の場である殿屋敷(とぅやしき)の拝所が複数あり、集落の歴史的景観の形成過程を今に伝えている。また、琉球王朝時代の「地割制」の影響で、今なお短冊形の農地区分が残っている。
集落北側の山腹にある里御嶽へ向かう山道から見下ろした西の浜と集落(上)

東の浜と西の浜とを結ぶ集落中央の村道1号線(フットライト道路)には、比較的大きな屋敷が多い。石垣もみられる。(左)

道路より一番掘り下げられた敷地の家。1.55m。(左下)
 

村道1号線(フットライト道路)の夜景(上)
道路は石垣・塀+フクギが基本(左)

 道路は砂地のまま。雨水は浸透するので低い敷地に流れ込むことはない(上)
敷地の入り口に建てられ道路からの視線をさえぎるヒンプン(左上)
前庭。掘り下げられている分周りには石垣が積まれている。(左)

島の初代村長を勤めた上門家。島内でも一際立派な屋敷構である(下)


山に入るときはハブに注意(上)

里御嶽は島内随一の信仰地。14〜15世紀ごろのグスク時代の遺跡。(上)

共同井戸。昔は貴重な水源として利用されていた。現在はシマノーシなどの祭祀の際の祈願場所となる。

特産の島ニンジン。12月に収穫されていた。
参考資料 リンク
渡名喜村

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州編』 太田博太郎他 第一法規
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社