JR東日本の「とくだ値!」セットは新幹線往復とホテルがついて格安! ただし夜遅いはやて号に限ります。
金曜日仕事を終えて一度自宅に戻り、急いで旅支度をして東京駅へ。盛岡までは2時間23分、ウイスキーとつまみで一杯やりながら。
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盛岡八幡町遊郭
前日の深夜にレンタカーを借りておいたので、早朝4:00台から町歩き開始です。
盛岡市内八幡宮前の旧遊里には松尾町という花街(料亭街)があります。旧遊郭らしい田の字の町割、でも角切街区なので戦災にあっているのかな。色っぽい窓が沢山のありました。古い歓楽街の雰囲気が残ってます。
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一戸(北館遊郭)
一戸の町並みを歩きます。さわやかな朝、旧街道の町並みがひときわ美しく思えます。旧街道のゆるやかな坂を下ると馬淵川。川沿いを脇道に入っていくと古い旅館建築が出現しました。これは遊郭の前触れだ。
橋の上を女子高生が歩いている、いい風景だなぁ。本町はあまり残ってはいないが大きな商家がありました。そして橋のたもとの北館という場所に来たら映画館らしき建物が現れました。んっ、この辺が怪しいぞ!と周辺を探索したらありました。一戸北館遊郭跡。
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二戸(福岡)
一戸の後は二戸(福岡)です。旧南部藩領の○戸の町は一から九までありますが、四が無りません。しかも岩手県から青森県へまたがっている。一二が岩手県、三以降が青森県と思いきや九がまた岩手県。基本的には北へ上がるほど数が増えていきます。
二戸福岡の町並みはとても長く、一部だけを歩きました。建ちの高い立派な商家が多かった。かつての繁栄ぶりがうかがえます。
旧遊郭の場所は特定できませんでした。
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三戸
○戸の町はここから青森県。一戸、二戸とよかったので三戸にも期待しましたが、あまりいい町並みは残っていなかった。それでも洋風の近代建築が数棟見られ特徴はありました。
ここでも旧遊郭は特定できず。
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西越
○戸から一旦はずれます。起伏のやさしい尾根を越えると田園が美しく広がっています。そこが目的の西越集落。いままであまり残っていなかった茅葺屋根がここにきていきなり集まっています。「日本の町並み」に取り上げられた理由がわかる。
もうちょっと早ければ、茅葺屋根の比率が高かったでしょう。都市ばかりを歩いていると忙しいので、たまにはこういう農村もいいものです。
湧水を利用した水飲み場の前を通りかかったら、地元のおばちゃんが「美味しいから飲んでみな」。水をいただいておばちゃんとしばし歓談。でも方言が強くってほとんどわからなかった。
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八戸
八戸の町はどこに旧市街があるのかわかりづらいほど大きい。現在の八戸駅は市街地からみるととんでもなく外れており、かつては八戸線の本八戸が旧八戸駅でした。そのまた東の川の河口に古い湊があり、遊郭もありました。画像はその港町に残っている古い銀行建築です。この脇を入っていくと旧遊郭でした。旧遊郭はセンター大通りがある典型的な構成ですが、この大通りが鍵型にしかも二回も折れ曲がっています。何でわざわざこんなことをしてるのか。当然折れ曲がった所の建物は通りの正面に来るのでアイストップになり目立ちます。何かどこかの遊郭に模範があったのでしょうね。おもろ〜!
井田川の河口は馬淵川の河口と一帯の八戸港を形成しています。川を渡ると本町という地名。ここにも川に沿った町があります。見どころは八戸酒類の大きな母屋と煉瓦壁。井田川の両側には港町の雰囲気が色濃く残っていました。
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七戸
八から七へ減ります。七戸は一番北の○戸にあたるかな。もう下北半島の付け根に近い場所です。サクッと車で当たりを付けてから役場に駐車して歩きました。大きな造り酒屋があってその周辺に古い町並みが残っていましたが、点在しており連続感は薄い。下見板張りの大正期の郵便局や武家屋敷跡のような住宅街もあった。いいものは持っているが、まとまりに欠ける町並みでした。
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大湊
さて、七戸を出た後どうしよう。八戸→七戸と消化して予定より1時間早い。これは朝虫温泉の前に大湊と田名部をやっつけてしまえ!ということで下北半島に向かって舵を切ってしまった。
大湊には遊郭がありました。そこには、ごっついall擬石仕上げの妓楼が残っていました。脇の一番坂を上っていくとまた別の建物が。軍港を控え賑わった遊郭だったのでしょう。
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田名部
そして同じむつ市内の田名部へ。ここにもかつて遊郭がありました。であれば当然、田名部神社の周辺に違いないと行ってみたら、なんと神社は飲み屋や小料理屋にすっぽり囲まれているではないですか!興奮して早速取材をしましたが、スゲーいいです、必見です。
田名部でタイムアウト!浅虫温泉は次回にまわしましょう。やっぱ下北半島は遠かった!
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おはようございます。
盛岡駅6:05発釜石行に乗っております。鉄道には詳しくないのですが、jr東日本ではみんなこの型の気動車になったんでしょうか。とても綺麗ですね。昔の煤で汚れてニオイのするツートンカラーの気動車が懐かしい。ローカル線を各駅停車で全線乗るなんて何年ぶりでしょうか。
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遠野
遠野駅は外壁石の由緒有る建物でした。駅を出て左を見るとスナック街が続いている。遊里目的で訪れたわけでは無いもののそっちの方に吸い込まれて行きました。爽やかな朝の光にカラフルなモルタル壁が映えています。
遠野では列車の時間割で二時間以上時間をついやさなければなりません。だから丹念にかつ縦横無尽に歩きました。蔵の町とはいうけれどあまり残ってはいません。それより目についたのが看板建築を主体とした昭和のモルタル系の建物。しかも道が広いのです。大正から昭和前期にかけて大火でもあったのかなあ?と思ってしまいます。
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釜石
movie
終点釜石の一つ前、小中野という駅で下車します。駅には友人Dr.Yasが待ち構えていました。
早速、この旅の最大のイベント、企業城下町釜石探訪を二人で始めます。
小中野から中妻までは、工場に沿った社員の町。企業城下町の面白いところは、企業と町との間に境界がなく、街の中に企業関係の施設が普通に存在しているところです。社宅、厚生施設、購買部の運営している店舗、迎賓施設、そして神社までもが新日鉄が整備するあるいは所有しているのです。
このエリアで一番ユニークだったのが山神社という神社。もともと工場の中にあったそうですが、戦後移転されたもので、なんと鳥居、灯籠、賽銭箱までが鉄製なのです。
大渡橋を東へ渡ると旧市街。ここには戦後製鉄業とともに繁栄した商店街や歓楽街があります。そこにまたユニークな物を発見。工場の塀に沿って真っすぐに並んでいる飲み屋街「のんべえ横丁」。一時期に移転し集められたものと云われていますが、なかなかな一品です。
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山田
リアス式海岸を北上します。文献によれば大槌、山田、宮古鍬ヶ崎に遊郭があったとあります。
大槌は探したけど旧遊郭らしき町はなし。山田では、八幡宮があったのでそのまわりだろうと八幡町界隈を散策して見つけました。盛岡でも八幡町が遊郭だったですが、地域ごとに形成パターンや地名が似ることがあります。
遊郭発見技術にもずいぶん磨きがかかったものだと自分でも感心します。
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宮古
宮古は友人の本拠地。しかし、彼も旧遊郭の場所は知りません。ここでも稲荷神社を頼りに探したらその周辺にそれらしき建物がありました。おそらく間違いないでしょう。
鍬ヶ崎には友人の行きつけの鮨屋があって、とっても美味しい。ご馳走にんなってしまいました。三人で酒+寿司+お造りまであって何と八千円台!安さにびっくりです。
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山田線車内にて
友人夫妻に見送られた後、宮古から盛岡までは山田線の鈍行列車で移動します。乗って30分もすると窓の外は真っ暗になってしまいました。
さて盛岡までの所用時間は2時間。なんと盛岡東京間とほぼ一緒です。三陸は遠いのう。
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