釜石 製鉄工場とともに戦後急激に発展衰退した町

岩手県
釜石市
浜町
大町
鈴子町
中妻町
桜木町
小佐野





交通

JR釜石線
釜石駅下車徒歩






浜町


大町


鈴子町


中妻町




2009.06.28
2012.10.06
岩手県釜石市は、1874(明治7)年この地に官営製鉄所の建設が始まって以来、製鉄の町として栄枯盛衰をともにしてきた。官営時代はすぐに失敗、田中製鉄時代も苦難を重ね、大正期の三井鉱山時代に入ってようやく生産が軌道に乗った。戦前・戦時中には戦争を背景とした鉄需要により、日本製鉄の一工場として製鉄所も町も急激に膨張したが、1945年艦砲射撃により壊滅的な打撃を受けて、終戦を迎えた。
戦後は日本製鉄を分割した富士製鉄の一員として生産を再開、特に1950年代には戦後復興を背景に急激な成長をみせ、繁栄する企業城下町の代表的な事例として全国にその名を知られた。しかし、鉄鋼不況とともに、狭く遠い製鉄所として戦後の急激な生産性上昇についていけず、高度成長の真っ只中だというのに合理化の波が押し寄せる。1964年には大量の人員が東海製鉄に移された。1970年、富士製鉄は八幡製鉄と再合同し新日本製鐵となり、釜石製鉄所も新日鐵傘下になった。
しかし、新日鐵になってからの釜石製鉄所はそのまま合理化の一途をたどり、1980年には大形工場休止、そして1989年には製鉄所のシンボルとでもいうべき高炉も停止に至った。それとともに、最盛期9万人以上いた釜石市人口は減り続け、現在では半分以下の4万人強となっている。

釜石の町は、リアス式海岸地形の谷部に形成された細長い都市で、海から内陸に向かって、
港町(漁師町以来の町)→中心商業地の旧市街→工場門前町と釜石駅→工場の厚生施設や社宅町
という構成になっている。第二次世界大戦時に大空襲を受けているため戦前の建物はほとんど見られないが、町の形成の歴史に沿って異なる町並みが見られるところが面白い。

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眼下に釜石駅と製鉄所正門前の鈴子町、遠くに旧市街・港町を臨む

釜石駅と製鉄所正門との間に形成された鈴子町。周囲の企業関係の厚生施設(病院等)は移転し、再開発されている。

中妻町の社宅(上)と迎賓施設「楽山荘」(左)

中妻町の幹部社宅(上)とノロ捨て場(左)
せいてつ記念病院(左下)と新日鉄の購買部が運営しているスーパー「共栄」

桜木町の「山上社」
製鉄所の守り神。鳥居、灯籠、賽銭箱までもが鉄でできている。しかし、社殿は木造。


釜石駅から甲子川の大渡橋を渡ると昔からの釜石の町としての旧市街。商店街は製鉄所とともに戦後栄えた。(左)
(三陸大津波の被災により変わっている)
 

大町の歓楽街
工場の塀に沿って並ぶのんべえ横丁。戦後のある時期に市中の飲み屋がここに集められたという。

(三陸大津波で失われた) 

釜石港の魚市場
(三陸大津波で失われた) 
 
浜町
漁師町時代からの港町。画像の白い石外装の建物は戦前の銀行か何かであろう。
(三陸大津波で失われた) 

浜町の旧遊郭
(三陸大津波で失われた) 

浜町の旧遊郭
(左上・上:三陸大津波で失われた) 
  

浜町の町並み
(上:三陸大津波で失われた) 
参考資料 リンク
釜石市

参考文献