海界の村を歩く 上五島

海界の村を歩く 五島列島 movie


海界(うなさか)の村を歩く、第2話は長崎県の五島列島上五島です。

島旅には時間と費用を要します。不便であるからこそ往時からの集落の姿を留めているわけですが、行くには大変です。飛行機で飛んで空港から港まで移動し、便数の少ない船に乗り換えて時間をかけてやっと辿り着くのです。しかも、天候が悪く船が出なければ渡ることすらできない。かつて夜行列車で一晩かけて折角港まで行ったのに船が欠航して渡ることができなかったこともありました。
島の集落は何と言っても自然とのかかわり方を見たいもの、天気が良くなければその良さも半減してしまいます。こうして苦労して辿り着いた島の集落では、それだけに感動が待っています。

今回は3月下旬の連休を利用して、長崎県の五島列島の内、
北部にあたる中通島と今では平戸諸島に属する(かつては五島列島の一部でした)の小値賀島、宇久島を旅する予定です。

連休前の金曜日夜、長崎空港経由で長崎市内に入りました。大波止のホテルに荷物をおいて、長崎一の繁華街である思案橋へ繰り出しました。

年度末の金曜日だからでしょうか、送別会やなにやらでビジネスマンやOLのグループが多い。街角には呼び込みのにいちゃんねえちゃんが沢山出ています。

まずは、空腹を満たすために
一口餃子の店で一杯、二軒目は中華料理屋で長崎ちゃんぽんを食べながら一杯とはしごです。

思案橋の歓楽街は、国際的な遊郭とうたわれた丸山町の前。
丸山町は数年ほど前に歩いたものの寄居町を見落としていたので真っ暗のなか歩きました。そして、その背後にある斜面の町に入って行くと、そこはまさに長崎坂の町。クルマの入れない路地や階段が続いています。
斜面を下ると再び思案橋界隈の歓楽街。いやはや
長崎の夜のまちは活気がありますね

長崎思案橋の歓楽街

思案橋名物のミニ餃子

以前に歩き損ねていた円山寄居町
土曜日の朝、大波止のフェリーターミナルへ行ったら長蛇の列。何と7:40発の九州商船福江経由奈良尾行のジェットフォイルが欠航になっていて、みんな動いている8:00発のフェリーに並んでいるのでした。これでは中通島奈良尾港着が13:30と遅くなってしまう。渡れないよりマシかと一旦切符は買いました。ところが、隣の空いてるマイナーな船会社(五島産業汽船)の高速艇は動くという。少々値が高いけどこれで渡ることにしました。ラッキー!

しかーし!
海はしけててジェットコースターだ。きもちわる↓

あとでわかったことですが、九州商船のジェットフォイルや高速艇はすぐ欠航になるそうです。そんな時にも五島産業汽船の高速艇は出るとか。リスクの見方の違いなのか?


大波止の五島行き旅客船乗り場にて

上五島鯛ノ浦港行き高速艇船内から
五島産業汽船の高速艇は、これまた中通島の中心市街からは離れた鯛ノ浦港に入りました。有川に移動し、遅い朝飯は五島うどんのワカメのせ。これが絶品だ!
腹ごしらえをして、さぁ計画の立て直しです。夕方宇久島へこの船で渡る予定だった高速艇はまず欠航間違いないというので、今回は泣く泣く宇久島渡航をカット。明日天候が回復すれば昼過ぎに小値賀へ渡ります。

中通島中部北東方面から、自然と向かいあう集落と古い天主堂を求めて島めぐりを始めましょう。

頭ヶ島へ向かう途中、
石垣が美しい集落があったので歩いてみました。石は青いけど名は赤尾集落。上五島は石が豊富で石垣が多くみられるのも集落景観の特徴の一つでしょう。


上五島名物の五島うどん

赤尾郷集落(中通島旧有川町)
北東端にある頭ヶ島。橋で中通島とつながっていて、上五島空港がありこの地方の空の玄関口でもあります。

頭ヶ島教会は、明治の教会堂建築家・棟梁でしられる鉄川与助の作品ですが、
珍しい切石積造。先の赤尾郷の石垣に通じるものがあります。内部も見事でした。


頭ヶ島教会(中通島旧有川町)
島中部の西海岸にある大曽天主堂も鉄川与助の作品。ここは頭ヶ島とは違い得意の煉瓦造で、平戸口の田平教会とよく似ていました。


大曽教会(中通島旧上五島町)
五島列島は宇久島から福江島にかけて点々と島が連続する、文字通り列島です。中通島の北部は、隣にある野崎島へ向かって細い半島状が延びていて、まるで山脈のワインディングロードでした。その先端に津和崎という集落がぽつんとあります。まあ日本という国はよくぞここまで人が住み渡っているものだと感動です。

引き返して、今度はその山脈半島の東海岸に突き出した
小さな岬の付け根にへばりついた集落立串へ。悪天候で強風吹き荒れる中歩いたので、「海に対峙するタフな集落」というイメージを体で感じることができました。冒頭で島旅はお天気でなければ良さが半減すると言いましたが撤回します。自然と対峙する集落の姿は、その自然が最も厳しい季節と天候の時にわかるのかもしれません。密集度はなかなかのものでした。


津和崎集落(中通島旧新魚目町)

立串集落(中通島旧新魚目町) 
山脈半島の西海岸を南へ下がって行くと大きな湾になっています。その奥にある奈摩は、青方方面からもう一つの半島の先に向かっている街道に沿って町が形成されていて、町並みらしい景観が見られました。

今日午後になって雨は上がりましたが、以前風が強く一日町歩きには難儀しました。今日はこの町でおわります。


奈摩集落(中通島旧上五島町)
山脈半島の中ほどにある尾根上に建っている国民宿舎が今晩の宿です。外では一晩中ガタガタピューピューと風が吹き荒れてました。
日曜日朝、天気は晴れ!でも強風は続いています。今回の旅、中通島、小値賀島、宇久島とたいらげる予定でしたが宇久島は諦め、今日も船が出なかったら小値賀島も諦めざる得を得ません。島旅はこのリスクに時たまやられます。これもまた
島旅ならではの楽しいハプニングだと思っています。それにしても、外はすごい風の音だぁ。

山を下りて、昨日防風の中歩いた
立串集落を見下ろせる場所へ。やっぱり昨日とは見え方が全然違います。

 

曽根の国民宿舎から小串鼻を見下ろす(中通島旧新魚目町)

立串集落(中通島旧新魚目町) 
山脈半島の付け根東側にある榎津郷ここは洋館が数軒集まっている場所があり思わぬ見所となっています。一番大きな洋館は今は廃屋ですが、かつて何の用途だったのか。玄関を覗き込むと受付とかかれたまどがある。病院かなぁ?旅館かなぁ?
珍しい集落です。


榎津集落(中通島旧新魚目町)
昨日走った山脈半島ですが、天気がいいので再度北上してみました。というのは途中に江袋という集落があって五島列島で一番古い木造教会があるらしい。車を飛ばして行ってみた。ところが修復工事中。何故?
実は
二年前に火災に見舞われたのでした。ほとんどやけましたが外壁だけは残ったので、外壁を残して復原してるようです。失われなくて良かった!


江袋集落(中通島旧新魚目町)
佐世保行きの船が出る大きな町有川よりやや南の東海岸にあるポツンと存在する大田郷集落。有川からの一本道しかない集落ですが。平らな土地の上に比較的古くて大きな民家が多く見られ、ほかの集落とは違った趣でした。


太田郷集落(中通島旧有川町)
中通島青方港から時化により予定より3時間遅れて出たフェリー太古号で小値賀へ渡りました。外海はすごいうねり、何度も無重力状態を体験しました。

やっとのことで渡ることのできた
小値賀。日没間際になってしまいましたが町並み探訪。ところがこれが素晴らしくいいじゃありませんか。旧遊里歩きマニアとしての鼻が効いて、遊郭だったと思われる一角を発見。高低差のある場所に木造二、三階建てが集まっている。シークエンスが最高で何本写真と動画を撮ったことでしょう。
諦めず渡って良かった。


笛吹集落(小値賀島小値賀町)

笛吹集落(小値賀島小値賀町) 
小値賀島の民宿を早々と出発し、高速艇で中通島有川港に戻ります。最終日は中通島中南部の集落と教会を巡ります。島の南西海岸はリアス式海岸で小さな入江が連続しています。瀬戸内のような静かな海です。

五島列島は桜が満開寸前。あたたかくなってきました。


中ノ浦教会(中通島旧若松町)
上五島の旅は終盤へ。橋で若松島に渡ります。しかし、集落はいまひとつインパクトに欠ける。入江が多く地形が緩やかなので密集する必要がないのでしょう。何箇所か巡りましたが取り上げるに足らず。
島東側の
岩瀬浜も同様でした。

最後は上五島南部最大の町、
奈良尾へ。この港から長崎行きのジェットフォイルが出ているのです。
ところがどっこい、すごい集落だ!海に開いた大きく緩やかなV字谷地形にびっしりと集落が形成されています。背後は段々畑。これは見事といっていいでしょう。建物はたいしたことないけど地形に萌えて歩きました!
上五島の旅の最後を飾るに相応しい集落でした。


奈良尾集落(中通島旧奈良尾町)

奈良尾集落(中通島旧奈良尾町)
ジェットフォイルは時速80kmで水面を浮き上がって航行します。水面すれすれを飛行機で飛んでるみたい。無事、長崎港に到着しました。三日前は大荒れでどうなることかと思いましたが、宇久島には渡れなかったものの概ね有意義な旅にまとめることができました。五島列島。自然に向き合う集落の姿、青い海、旨いうどんが印象に残った旅でした。

長崎の新地中華街は休日ということで閑散としていましたが、行きつけの店でひとり打ち上げ。集落と天主堂をじつによく巡ったなぁ。

五島列島その2<下五島編>へつづく