榎津 有川湾に臨む定置網漁で栄えた洋館の町並み

長崎県
新魚目町
(新上五島町)
榎津郷






交通






榎津郷





2010.03.21
五島列島は、かつて宇久氏の支配時代、宇久島・中通島・若松島・奈留島・福江島の五島を総称したことに由来する。現在は、宇久島(小値賀島、野崎島含む)は平戸諸島とされ除かれる。本土に面した東側を表五島、西側を裏五島とよび、主集落は東側に集中しており、地塁山地が沈降してできたリアス式海岸が発達している。奈留島以北の上五島は主漁副農、以南の下五島は主農副漁である。
中通島は五島列島最北の島で、リアス式海岸に細長い半島が随所に突出した複雑な形をしている。耕地が少なく、サツマイモ、麦を栽培、放牛・養豚を行う。沿岸ではアジ・サバのあぐり網漁、ブリの定置網漁、ハマチの養殖などが行われる。江戸時代は捕鯨で栄えた。

町村合併前の新魚目町は、中通島北部に突出する長さ約15km、幅1〜3kmの細長い半島部で、集落は有川湾に臨む東岸に多く、江戸時代も「浜方百姓」とよばれた漁家が主であった。榎津は、新魚目町の中心集落である榎津は、定置網漁業の漁港として古くから栄えた。町を歩くと洋館が並ぶ一角がある。往時の遺構であろうが、集まっているところが面白い。下見板張りと軒装飾がみごとな二階建ての大きな洋館は廃屋となっていたが、かつては何の用途だったのであろうか。煉瓦塀や料亭らしき玄関を持つ家屋もみられた。

船溜まりから30mほど入ったところがかつての街の中心だったと思われる通り。
下見板張りと軒装飾、玄関装飾が施された大きな洋館。中をのぞくと受付があったりしているから病院だったのか?
大きな洋館玄関前の通りを港へ向かっていくと他の洋館が並ぶ。
煉瓦塀の家

ここにも洋館
壁が途中で斜めになっているのは何故?

かつては料亭だったのか旅館だったのか
石垣の塀が残る
榎津の町並み
榎津の町並み 
参考資料 リンク
新上五島町

参考文献