備中カルスト紀行 前編
 

「カルスト」とは聞きなれない言葉かもしれない。秋吉台(山口県)や平尾台(福岡県)と言えばご存知の方もいるであろう。草原状の台地に白い石灰岩が羊の放牧のようにごろごろしているのが地表の地形で、地中には秋芳洞などの鍾乳洞がある。
今回は、吉備高原のカルスト地形の集落を中心に岡山県西部の集落町並みを歩く。

今年は年始からいろんなことがあって本格的に町並みを歩かず3ヶ月が経っていた。3月の連休前夜、サンライズ号シングルは満席。やむなく高い料金を払って1人でシングルツイン(2段ベッドをたたんで天井が高くなるだけ)に乗った。ちょっと損したと思ったが部屋が広いおかげなのか、いつになくよく眠れ、目が覚めたら岡山駅だった。今日はこの駅で降りず次の倉敷まで行く。
倉敷川西町(岡山県倉敷市)
倉敷駅は有名観光地だけあって立派な駅舎と駅前広場である。今日最初に歩く町は、岡山をベースに歩いておられる「Yasukoの心象風景」で紹介された倉敷の旧遊里からである。

駅前の通りを西へ5分ばかり歩いていくと川西町の交差点がある。左折するとスナックやキャバレーのネオン看板が並んでいる。その中に洋風看板建築の銭湯を発見。ここが旧遊里なのだろうか?。ネオン街が途切れる交差点から、かつて商店街だったらしき通りを駅方向へ戻る。するとアイストップに倉敷らしい海鼠壁をあしらった白壁の蔵が現れた。ここから右手に古い町並みが始まっていており、地図を見ると美観地区の方へ繋がっているようだ。誘われるが今回の目的ではない。

白壁蔵の前の橋を渡ると古そうな旅館と芝居小屋があった。ここはYasukoさんも紹介していた一角だから、やはりこの辺りが旧遊里に間違いないと安心した。その先のアーケードを抜けると倉敷駅前に一周して帰ってきた。
吉備津(岡山県岡山市)
岡山駅に引き換えしたらちょうど8:00am。駅レンタカー貸出までの時間を利用して倉敷川西町を歩いたというわけだ。レンタカーは軽自動車を頼んでいたのに配車が無くビッツになった。普通の客なら同一料金で車格が上るのだから喜ぶのだろうか、私の場合、狭路に行くためにわざわざ軽にしたというのに・・・。まぁいい、カーナビの目的地を吉備津神社にセットしてスタートすることにしよう。

吉備津神社は、あの有名な回廊が好きで過去2度訪れている。その時は門前に古い町並みがあるとは知らず、今回初めて歩くことになった。まず門前町の宮内地区を車で流してみるが古い町並みが見当たらない。車を降りて歩いたら僅かな痕跡から「ここか?」と納得することができた。古い町並みは風前の灯火である。本に紹介されている町並みでいままで期待していただけに、肩透かしを喰らったかたちでガッカリした。

近くの旧山陽道板倉宿も行ってみたが殆ど残っていない。雨も降ってきたので横着して車の中からパシャリ。町並み研究家を名乗るに相応しくない行動だが、こういう時だってある。
総社(岡山県総社市)
気を取り直して吉備津の田園の中を西へ走る。吉備国分寺の五重塔の近くを通りすぎる。このあたりの風景はいかにも吉備路という感じがして好きである。

総社の町に入ってゆく。総社に関する古い町並みの紹介本は無いが。今回は空中写真でありそうな場所を絞り込んでいる。吉備地方の総社である総社宮の駐車場に車を停め、境内を抜けて旧市街に出る。するといきなり明治建築の警察署が強烈に出迎えてくれた。旧警察署は現在資料館になっていて、入るとボランティアの方が丁寧に説明をしてくれた。古い町並みについても話を伺うことができた。

昭和50年代の空中写真にはアーケードがかかっていたようだが現在ない。ある時期、お客集めを狙って全天候型のアーケードを設置し歩行者天国にしたのだが、時代は車社会へ移行し、今度は車でこられるお客集めのためアーケードを撤去したという。この現象、実は全国的に起こっていることなのだ。
アーケードがあると沿道の建物の改築がやりづらい。アーケードに中から眺められる前面だけを改装されることが多い。だから、近年アーケードを外すと意外にも古い町並みが現れることがある。その典型が栃木県栃木市の町並みである。総社は栃木ほどではないが、古い町並みが残っていた。
矢掛(岡山県矢掛町)
総社から西へ旧山陽道の宿場町を巡ろう。この地域は鉄道(山陽本線)が離れて開通したため、宿場町を基盤とした町は寂れ、結果として古い町並みを残している。

矢掛は宿場町時代の本陣と脇本陣の両方(国重文)がセットで残っているという全国的にも珍しい町並みである。矢掛町はこの古い町並みを大事にしながら離れた場所を開発するというバランスの取れた都市計画を進めている。8年ほど前、私は町役場の前に文化センターを企画する仕事をしていた。その関係で毎月この町を訪れていた。その文化センターもその後、私の同僚の設計によって完成している。今回、古い町並みの再訪と共に見学した。お〜っ懐かしい!。

そして改めて旧宿場町を歩いてみた。見ごたえのある本陣と脇本陣の建物が町並みの両端にあるというのはやはり素晴らしい。仕事で来たときにも歩いているのだが、あの時は上司が一緒だったのでしっかり見ていなかったようだ。
町の西方で分岐する旧松山街道(高梁方面へ)にも結構古い町並みが残っているが、これもまた素晴らしい。
小田(岡山県矢掛町)
小田は矢掛のすぐ西にある間の宿である。矢掛町役場に仕事で通っていたときも、役場の方から古い町並みの存在を教えてもらっていて、知ってはいたものの歩いてはいなかった。このように「今度来たときに歩きゃいいや」と後回しにした集落町並みは全国に山ほど散在している。困ったものだ。

矢掛方面から町並みに入っていく。矢掛と似た妻入平入混在の町並みが始まる。西へ進むと旧中国銀行小田支店の近代建築があり、その辺りから緩やかな坂道になっていて上っている。すると右左に郵便局や商店の戦前洋風建築が並んでいて、レトロな空間が生み出されている。振り返ると洋風建築ごしに旧山陽道の小田の町並みがやや見下ろしぎみに見渡せた。自然の微地形と古い建物が醸す心地よい町並みである。
井原(岡山県井原市)
矢掛文化センターの後、少し企画に係わった建物が井原にもある。それは井原鉄道井原駅の駅舎で、やはり会社の同僚の設計で、ガラスのコーンが大屋根に突き刺さった派手なデザインである。この駅舎、実は設計している途中に井原鉄道の開通が送れ、鉄道が開通する前に駅が完成したという珍しい経歴を持った駅舎なのである。しばらくの間、イベントで使用されていたと記憶している。

さて、井原の古い町並みだが、この駅からはかなり離れている。旧山陽道の宿場町のほうは駅に近いのだがあまり残っていない。残っている町並みは旧山陽道から分岐して北に延びる旧街道沿いである。それは宿場町ではなく、近代の機業地として繁栄したもののようだ。小田川に沿った町は長く、下町、中町、本町、新町と1kmつづく。

井原の古い町並みは、岡山県といっても広島に近いような気がする。何処と無く岡山名物海鼠壁がおとなしいように思うのだ。本町を歩いているとエグイ洋風看板建築が現れた。四隅に柱頭飾りをのっけた手の込んだ一品。こういう建築っていうのは、木造の上にどうやって造っているのであろうか?。
高屋(岡山県井原市)
また旧山陽道に戻って岡山県最西端の町、間の宿高屋を歩く。町並みは和洋の古い建物が混在したものである。

町の中ほどを歩いていると、西方向にやたら大きなシルエットの建物が見えてきた。それが近づくにしたがってオヤオヤ?不思議な意匠だ。直ぐそばまできて、やっぱり何か妙だ。何処がどうといえないのだが、和風なんだけど洋風に感じる。おそらく窓が洋風だからであろう。高屋は機業地として栄えた井原地域の「備中小倉織」発祥の地。それで財を成した豪商なのであろうか。井原には比較的立派な町家が多いように思えた。

さlぁ、これから今回の旅のテーマである備中高原に足を踏み入れよう。どんな山村集落に出会えるか楽しみである。
高原台(岡山県井原市)
井原のさっき歩いた町並みを通り過ぎて小田川沿いに上流方面へ上って行く。芳井町川相で小田川は支流の鴫川分岐し、本流は広島県へ入ってしまう。その鴫川の方をさらに遡ってゆく。谷幅はだんだん狭くなり、吉備高原特有の谷間の風景に変わってきた。上鴫というところで鴫川は台地の外側を大きく西へ迂回し湾曲している。その台地上に目的としている最初の高原面上集落がある。

谷から急勾配の細い道を一気に駆け上る。すると伏せたお椀の底のような地形の「天界の村」が現れた。家々はというとお椀の底に散在している。その秩序が意見して分からない。ところが集落内を3度回っているうちになんとなく見えてきた。カルスト台地は僅かに低い場所に水が溜まり、侵食されドリーネと呼ばれる独特の窪地をつくっている。集落内の家々は、窪地の底には無く微高地を選んで建てられているようだ。
一軒だけ茅葺屋根のままの民家があった。手入れもよく民宿を営んでいるようだ。高原というと八ヶ岳高原や軽井沢のようなヨーロッパのアルペンなイメージが浮かんでくるが、吉備高原はそれとは対照的な和風である。
高山市(岡山県芳井町・高梁市)
高原台から鴫川の谷に戻り、鴫川を再び上ってゆく。広島県境すれすれの杖立という場所で東西に走っている県道美星高山市線に出た。この道は、かつて瀬戸内海に面する笠岡(岡山県)と東城(広島県)とを結ぶ旧街道である。県道を東へ進むと高山市という集落がある。

県道から分岐する旧道を入っていくと両側に茅葺トタンカバーの大きな民家が向かい合って出迎えてくれた。その佇まいは農村ではなく宿場町らしい。高山市は、近くの穴門山神社の門前町から発展した吉備高原東南部地域の中心だった。穴門山神社の参道入り口を過ぎると赤瓦と漆喰の町家が並んでいる。吉備高原で有名な吹屋の町並みに似ている。その先で道は鈎型にクランクしており、旅籠のような赤瓦の民家も残っていた。

霧が立ち込めシトシトと小雨が降っている。そんな高原上に町家はいかにも似合わない。高山市はその名のごとく市が立ち、かつては大いに賑わっていた。その面影は、残された古い建物にかすかに感じることが出来る。
地頭(岡山県高梁市)
高山市一帯の高原地帯を東へ進み、成羽川支流の大竹川が削った山間盆地に下って行く。地頭はいまでは高梁市に属するが、ちょっと前まで川上村の役場のあった町である。

航空写真と地形図をたよりに旧市街を歩くと、下見板貼で正面中央に三角屋根を載せた左右対称の木造2階建てがあった。旧川上町役場で、現在は高梁市の支所となっている。旧役場の前は「きじ丸通り」という変わった名前の商店街。地頭は、明治中期のタバコ収容所設置以来発展した市場町である。高原面で栽培されたタバコが山間盆地の地頭に集まり出荷された。ところが、商店街といっても賑わいは全く感じられない。造酒屋の建物が目立つだけの町並みだ。
中国山地の町や集落は山が低いため山奥にいる感じがしない。でも実は結構山奥なのである。
今晩は吉備高原の真っ只中の高原面上集落にある民宿を予約している。近頃はそっけなくビジネスホテルに泊まる旅が多かったが、たまには民宿で1泊2食付というのもいい。宿の主から村のことを聞けるのも必要なこと。ただし、時間に余裕を持った旅でなければ出来ないので、これからは極力「現地泊」を心がけたいと思っている。
予定通り夕方6時にペンションに着いた。食事は囲炉裏端で、地鶏を七輪で焼くなど美味しい料理であった。シーズンオフのため、客は私と隣の若い男女の2組。「どうしてこの宿を知ったのですか」と尋ねたら、実は結構雑誌やテレビに取り上げられている有名な宿であった。近くの吹屋が歴史的町並みとして脚光を浴び始めた時期に、先見の目で民宿を始めたという。観光客に媚びを売るようなことはせずテレビも無い。それでも今では常連の固定客がいて、「農業の傍らで営業するには丁度いい」とおかみさんは言っていた。   ・・・後編につづく