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海界の村を歩く |
第5話 東京しま紀行 |
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思い立って伊豆諸島
マンションのスカイロビーで朝食を食べて外を眺めていたら妙に速い船が海上を走っていくではありませんか。ほうほう、ジェットフォイルというやつか。どこへ行くんだろうと調べたら伊豆七島へ向かう船だ。
ん?東京竹芝⇒伊豆大島が何と1時間45分。船でしょ?時速80km。乗ってみたーい!
ということで今週末行ってしまえと勢いで予約してしまいました。東京の島めぐりの始まり始まり。そういえば、旅行少年の頃から何度か行こうと企てていた。35年経ってやっと実現です。
まずは東京に一番近い伊豆大島から、日帰りの旅。ジェットフォイルは竹芝桟橋を出て、レインボーブリッジをくぐって離陸し始めました。船なのだけれどボーイング社製なのです。そう、ジェットが空気の代わりに海水を噴射してその強烈な推進力で船を浮かすのです。うーん、速い速い。あっという間に羽田、横浜、三浦半島、江の島と過ぎていきます。しかし、台風が近づいているということで海は荒れ気味。大島の中心地のある元町港は強風時は着岸できないらしく、岡田港に着きました。出だしから予定が遅れてしまった。
岡田港から元町までバスで移動し、元町港前でバイクを借りてGO!
島の情報をGETするため郷土資料館へ。ちょうど郷土史家の方が居られて事前に情報を得ることができました(長引く話を打ち切ってもらうのに苦労しましたが・・・)
岡田港方面へ戻るように走って島を時計回りに一周します。郷土史家の方から古い屋敷割が残っていると教えていただいた、島の東北部にある泉津集落から歩きましょう。
なるほど石垣が綺麗な村だ。三原神社というのがあってきっちりした切石で参道が築かれていた。そこで、地元の親子が散歩している。ほのぼのとしたいい風景だ。
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東京竹芝桟橋にて
東海汽船ジェットフォイル搭乗 |
東京の島めぐりは伊豆大島から
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伊豆大島 泉津集落 |
三原山噴火の溶岩流の地層が露出していた
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波浮の港 強風と雨の中・・・
泉津から波浮への道は三原山山腹の山岳道路。強風にあおられながら原付バイクでワインディングを攻めます。30分くらいで波浮港の入口に着きました。波浮は元々噴火口だった地形ですから、港は崖に囲まれて鍋の底のような場所にあります。その鍋の底へ何もないさびしい道を下っていきます。円に沿ってぐるっと回り、行きついたところが港町。
波浮港の町には、切妻平入の2階建て家が軒を連ねてびっしり建っています。ところどころに木造3階建てもある。そう、ここは最盛期には遊郭だったのです。
港鮨という小奇麗な店があったので昼飯に入りました。ちょいとビールを・・・いやいやバイクだからそうはいきません。
一服して店を出て、町の端っこまで歩きます。酒屋さんがあって通りの上に屋根がかかっている。そこに入ったとたん、いきなり土砂降りに。しばらく動けない・・・
雨足が弱まったところで即座に移動し、丘上に上る階段の途中にある旧港屋旅館に逃げ込みました。でも入ってビクッ、蝋人形が宴会してるぅ・・・。
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波浮の港 |
波浮の港の町並み 丘の上にも町はある |
港屋旅館の展示にビックリしたぁ
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最盛期の波浮港 三原山が噴火すると沿岸が豊漁になり全国から漁船が集まったそうだ
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東京へ 日没に間に合わないぞ!
波浮でゆっくりしすぎました。先を急がないと帰りの船に間に合わないよ。
差木地、野増と伊豆大島の南西の集落を巡ります・・・が見どころは少なし。面白かったのが野増の谷口酒造の建物。屋根に草が生えてる⇒これは建築家藤森照信氏の設計だぁ!異彩を放っておりました。
元町でバイクを返し、タクシーで岡田港に向かいます。でも船は台風の影響で遅れている様子。時間つぶしに岡田の町も一応歩きましょ。
東京行きのジェットフォイルは熱海からやってきます。結局、予定より1時間半遅れて岡田港を出港しました。船は最高速で飛ばしています。ジェットフォイル、実は東京港に入ってから日没になってしまうと危険なため高速走行をやめてしまうのです。あまり手前で日没になるとそこからとんでもなく遅れ、ジェット料金が払い戻しになる。東海汽船としては払い戻しは痛いので、ギリギリまで高速走行を続けました。が、しかし、羽田空港を過ぎたところで万事休す・・・時速20kmの低速走行に。こうなるとただの船です。羽田から竹芝まで1時間かかっちゃいました。あ〜あ。
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野増の谷口酒造 異彩を放った建物 |
もうちょっとのところで高速運転をやめてしまった
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かつてナンパ島とよばれた新島へ
大島へ行った次の翌週末、再びジェットフォイルに乗ります。大島の先の新島へ。
先週行った大島は有名なのでもっと観光化されていると思っていましたが、反して素朴な印象でした。それと天候が悪かったのもあって暗かった。しかし、新島は明るい。砂が白いせいなのでしょう、海の青は鮮やか。そして、町はコーガ石という地元で採れる白い石でできている。したがって、道路も建物も白いわけです。明るい!
この島でもバイクを借りて巡ります。島の中心の本村にある新島村博物館で情報収集。ここの屋外に木造茅葺の民家とコーガ石の蔵が移築復元されていました。つづいて町を歩いてみるとたくさんの石造建築があります。石造の建物は栃木県の大谷はじめ石の産地には良くあるものですが、新島が興味深いのは塀や壁だけではなく屋根や庇など全てが石でできていることです。普通、建材として使われる花崗岩(御影石)は非常に硬く、細かく加工するやわらかい石としては安山岩や凝灰岩が使われます。それでも屋根まで石で葺いている(スレートではなく)事例は、新島以外では長崎県対馬椎根集落の石屋根くらいしか見たことがありません。おそらく、コーガ石は非常に柔らかいため加工がしやすくいろんな場所に使いやすかったのでしょう。
しかし一方で、コーガ石は耐久性がありません。寺の山門に使われているものもありましたが、ひび割れていました。
向山に上りコーガ石の採掘場に行ってみました。広大な丁場はもう採掘をしていないそうです。ガラスの原料に使うぐらいだとか。危うくバイクがスタックしかけた。
向山を下り、本村を横切り、若郷へ東海岸を北上します。しかし、旧道が通行止めだ。三宅島噴火のときに起きた地震で崖が崩壊したのだそうで、しばらく若郷は陸の孤島だったそうです。その復興に地元要望もあり、東京都は2kmに及ぶ「新島平成トンネル」を掘りました。こんな小さな島に。この辺が東京であることの証というか。というわけで、私は原付バイクで延々と続くトンネルを越えなければならなかった、怖かった。
若郷は新島では珍しい黒い砂の前浜に沿った漁村で、家々は比較的新しいのかRC造の軸組み+コーガ石ブロック壁でした。
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新島本村 コーガ石の町並み |
新島本村 寺の山門も全てコーガ石でできていた |
向山にあるコーガ石の採掘場 |
若郷へ 2km以上あるトンネル通過は怖かった |
コーガ石は柔らかいのでこのように落書き彫刻も簡単にされてしまう
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八丈島行きの飛行機から八丈富士を見下ろす |
八丈島 二日酔い紀行
時は11月の早朝。なんとなく目が覚める。スーツ着たまま照明付けっぱなしでベットに寝てる。いま何時?ヤバッ、旅行に出かけなきゃ。
急いで旅の支度をし、家を出る。八丈島行きの飛行機にはギリギリ間に合いました。よくぞ目覚まし時計なしに起きられたもんです。自分を誉めてやりたいけれど、二日酔いで超気持ち悪い。なんとか八丈島にはたどり着いたものの金がありません。みずほ銀行があってホッとしたがATMの扉が開かない!まずい。島では休日に銀行やってないのかも。探しまわったら「七島信用組合」という地元銀行のATMがやってました。ホッ、これでかろうじて準備が整いました。ゲップ。
八丈島の見るべき集落は事前調査によれば大賀郷大里しかありません。まずそこへ行きましょう。ふるさと村というのがあって、観光用に保存民家や散策道も整備されていました。玉石垣は見事だけど保存民家以外の古い家は残っていません。武家屋敷町のような塀だけの集落です。
八丈島にはかつて高床式倉庫がありました。東南アジアと共通するということで、学生時代に調べたことがあった。以来、ずっと見てみたいと思っていました。ふるさと村や歴史博物館に保存建物がありましたが、現役では残ってなさそうです。残念に思いながら大里の海側の集落を徘徊していたらあった!感動!現役の高倉だ。
次に大阪トンネルを越えて坂上地区の樫立、中之郷、末吉を訪れます。が、二日酔いで歩く気がしません。取り上げるに足りうる集落ではないなどと自分にいいわけをして、そそくさと三根のホテルへ向かってしまいました。
昼寝をしたら身体がかなり回復した。お風呂に入ってディナーだ。そこでやめときゃいいのにまた焼酎を頼む。しかも一番強い島焼酎をオーダー。その名も「島流し」やばそうでしょ。案の定、ぐてんぐてんになってしまいました。
酔いさましに三根の街に出て散歩。真っ暗でところどころに点在する飲食店の光以外町が見えません。ところが、町じゅうにカタカタといった虫の鳴き声が響き渡っています。クツワムシかな?どこへ行ってもその虫がいる。うるさいほどの大きな音。怖くなってきたので、一周して戻りました。
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大賀郷大里の玉石垣の集落 |
大里 歴史博物館に保存されている高倉 |
大里集落で見つけた現役の高倉 感動! |
三根のリゾートホテルで昼寝の後ディナー |
三根の夜間散策 虫の鳴き声に怖くなった
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東京都とは思えぬ
トロピカルリゾート八丈島
島焼酎の「島流し」が効いたのか、今日も三日酔いです。ホテルをゆっくり出て八丈富士を一周します。身体がきつくて歩きたくないため、何も無いやと判断しどんどん先に行ってしまいます。
もう大賀郷に戻ってきてしまいました。どうしましょう。昨日とばした坂上地区を再訪することに。
樫立、中之郷、末吉とじっくり歩き直せばそれなりに見えてくるものです。
樫立のソバ屋で遅い昼食。店は木造下見板張りの民家でした。席の横の壁に古い八丈島のマップが貼ってあった。昭和40年当時、定員の少ないプロペラ機だったのでしょうが、一日7便も東京八丈島間を飛んでいたようです。名古屋空港からも。
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樫立の服部屋敷 |
昭和40年代の八丈島のマップ
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伊豆大島、新島、八丈島の「東京しま紀行」はひとまず終わりにしたいと思います。伊豆諸島ではあと、災害でまだ立ち入れない三宅島を除くと利島、神津島、御蔵島などがありますし、さらに小笠原諸島もある。東京って沖縄県や鹿児島県に比べても負けないくらいの島しょ地域をもっているんですね。
でも、今回の3島の印象は「あかぬけしたいなか」。これは自然豊かな奥多摩なんかでも感じることですが、都会人が良く来る場所なんですね。しかも品川ナンバーだし。
伊豆諸島、本当好きになりました。仕事に疲れた時なんかいいですよ、伊豆諸島の旅。またぶらりと訪れたくなるでしょうね。 |
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